町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

日々の活動 記事一覧日々の活動

 議会や会合、訓練など、らん丈が日々行っている活動や、参加した催しのご報告をしております。

まちだのパブリックアートツアー2025

2025.04.30(水)

 好天のもと、NPO法人アートネットまちだとアートクロスまちだによる、「まちだのパブリックアートツアー」2025の第1回が開催されたので、妻と参加いたしました。
 11か所の原町田に点在している、町田のパブリックアートを順次巡りました。
 写真は、町田東急ツインズイースト裏にある、北村西望「花吹雪」とレンブラントホテル東京町田の前にある、工藤健「肩車」です。

364回目の献血

2025.04.29(火)

 まちだ献血ルームcomfyにて、血漿で364回目の献血をおこないました。⇒https://www.ranjo.jp/profile
 献血ルームは全国にたくさんありますが、名称に英語が使われているのは、珍しい❣
 今回も、成分献血で献血をおこないました。
 すると、2週間明けるとまた、献血ができるのです。

町田市監査委員会

2025.04.28(月)

 本日は午前9時から、町田市監査委員会で、代表監査委員と例月出納検査をおこないました。
 本日は、病院分、会計課分、下水分の検査をおこないました。
 そこで質疑をおこなったのは、後発医薬品使用量割合は、他の病院とはおなじような割合なのか、ということです。
 抗がん剤の薬価が高騰している折、配慮していただきたいものです。

西園にて新緑と楽しむ茶会

2025.04.27(日)

 町田薬師池公園四季彩の杜西園にて、町田茶道会と町田市が協働で18回目となるお茶会を行い、参加させていただきました。
 芝生広場にて野点が開催され、妻と参加いたしました。
 写真は、町田市文化協会の会長もつとめている、高野宗佳会長です。
 野点傘には、「和敬静寂」と記されていました。
 いいお天気に恵まれ、素晴らしいお茶会でした。

サッカーJ1リーグ

2025.04.26(土)

 明治安田J1リーグ第12節があり、FC町田ゼルビアは町田gionスタジアムに湘南ベルマーレを迎え対戦したところ、1対0で敗れました。
 苦戦がつづいている町田ゼルビアですが、必ずや復活すると信じています。
 現在11位ですが、浮上を期待しております。

ソケリッサと踊ろう!

2025.04.25(金)

 アオキ裕キ氏が主宰する路上生活経験者たちで構成されるダンスグループ、新人Hソケリッサと踊ろう!写真&トークが、東急リバブル町田センターコミュニティプレイスで、4月28日まで開催されています。
 4月26日17時から18時まで、アオキ裕キさんによるスペシャルトーク『融合のススメ』が開催されます。参加ご希望の方は、kei-okamoto@mail.goo.ne.jpにご連絡を、ということです。

「まちだいきものかるた」

2025.04.24(木)

 町田市庁舎1階のイベントスタジオでは、「まちだいきものかるた」展を、4月25日まで開催しています。
 町田市で見ることができる生きものを題材にした「まちだいきものかるた」を制作しました。その絵札や読み札などを展示しています。
 お問い合わせは、環境共生課 電話:042-724-4391です。

町田市障がい児者自立支援研究・研修会

2025.04.23(水)

 ぽっぽ町田にて、町田市障がい児者自立支援研究・研修会が開催されたので、出席させていただきました。
 そこで、佐藤繭美(法政大学現代福祉学部)教授による講演があり、佐藤教授は次のご指摘をされていました。
 障がいの分野でもAIが活用されている、学生は就職の際、初任給をくらべ公務員よりも、民間を選ぶ傾向にある、とのことです。

東京都市監査委員会定期総会

2025.04.22(火)

 昨日は、令和7年度東京都市監査委員会定期総会が、東京自治会館で開催されたので参加いたしました。
 すべての議案は、質疑もなく、無事原案のとおり可決いたしました。
 昨年度は、「不祥事の実例からの監査の視点」と「公会計制度の国際的動向」の2回にわたって研修会が開催されましたが、今年度も研修会が予定されています。

まちだ史考会

2025.04.21(月)

 まちだ史考会の第32回定期総会が、町田市民フォーラムにて開催されたので、出席いたしました。
 すべての議案が原案のとおり可決し、無事総会はお開きとなりました。
 その後、講演会が開催され、それにも参加いたしました。演題は、「小田急線の敷設と沿線の都市化」というもので、講師は、浜田弘明(桜美林大学)教授がつとめました。
 内容は、1927(昭和2)年に小田急小田原線が開通し、2年後の1929年には、江ノ島線が開通しました。当初は、観光路線として沿線開発が進められましたが、相模原周辺では戦時下の軍事施設の建設とともに駅も増設された、というもので、戦後は、沿線に住宅団地の建設が相次ぎ、人口が急増した、というものでした。