町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

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わが母校、慶應義塾、一橋、早稲田、立教大学

慶應義塾大学 革新の連続が、伝統をつくる

 慶應義塾の淵源は、福澤諭吉が1858(安政5)年に、江戸の築地鉄砲洲にあった奥平家の中屋敷(現在の東京都中央区明石町、聖路加国際病院のあたり)に、国許の中津藩の命を受けて開いた蘭学塾にまで、さかのぼることができます。
 1863(文久3)年に英学塾に転向後、1868(慶應4)年に時の年号にちなみ「慶應義塾」と定め、近代私学として歩み始めました。
 1890(明治23)年には、Harvard Universityの協力により大学部を開設し、文学・理財・法律の三科を設置することで、私立としてわが国最初の総合大学にいたる、礎が築かれました。
 ここに、福澤諭吉が1896(明治29)年におこなった演説の一節である慶應義塾の目的を、掲出いたします。
 慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず
 其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、

 智徳の模範たらんことを期し、
 之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、
 之を口に言ふのみにあらず、
 躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり


 1920(大正9)年には早稲田大学とともに、大学令にもとづく私立では初の大学に昇格し、文・経済・法・医学部からなる、総合大学が形成されました。

創立50周年を記念して1912(明治45)年に竣工した図書館旧館は、曾禰達蔵と中條精一郎による設計で、赤煉瓦造り、ネオ・ゴシック様式の建物。1969(昭和44)年に、国の重要文化財に指定されました。

慶應義塾大学大学院 法学研究科単位修得科目

 1890(明治23)年に設置された大学部法律科の初代主任教授は、Harvard University出身のJohn Henry Wigmoreでした。1898(明治31)年には政治科を増設し、それが現在の法学部政治学科、大学院法学研究科政治学専攻へとつながります。
 政治学専攻学問領域は、5系列に分かれています。それらは、政治思想論、政治・社会論(政治、行政、社会、情報・マスコミに関する理論的研究を含む)、日本政治論、地域研究・比較政治論(主要な地域や国々の政治・文化・社会などについて研究する)、国際政治論です。
 教員は原則としてこれら5系列のいずれかに属し、自分の専門分野を中心として特殊研究と特殊演習を主に開講しています。それぞれの領域において、これまでの研究を継承・発展させるとともに、新しい研究対象の開拓にも取り組んでいます。
 今後の政治学研究においては、アジアがますます発展するにつれて、日本発の政治学の理論が、国境と地域を越えて普遍性を持ち得るかどうかが問われています。また、理論、思想、歴史の研究を基礎としつつ、現実との緊張関係を維持し続けるためにも、政策指向性の高い研究にも取り組んでいます。

 2009(平成21)年度には、「政治」に強い公務員・政策専門家の養成を目的として、公共政策専修コースが設置され、同専修コースにて修学した際、政治・社会論系列の片山善博教授〈慶應義塾大学(定年退職)⇒早稲田大学、元総務大臣・前鳥取県知事〉に、指導教員をつとめていただき、「修了証(公共政策)」を授与されました。

1875(明治8)年に竣工した三田演説館は、わが国最初の演説会堂であり、外壁は板瓦貼り海鼠壁です。speechを「演説」、debateを「討論」と訳したのは、福澤諭吉です。1967(昭和42)年に、国の重要文化財に指定されました。

慶應義塾大学 文学部単位修得科目

 慶應義塾は1890(明治23)年に、文学科・理財科・法律科からなる大学部を開設し、文学科は、アメリカ北東部の名門大学でアイビーリーグのひとつ、Brown Universityで修辞学と近代言語を講じていた、William Liscombを主任教授に迎えました。

 文学部での逸することのできないコンテンツに、三田文学会の機関誌「三田文學」を挙げることができます。同誌は文学科顧問、森鷗外上田敏の推挙によって義塾教授に招聘された永井荷風を編集主幹として、1910(明治43)年に創刊されました。その後、1985(昭和60)年からは第8次「三田文學」として、今日に至るまで発行されています。

 通信教育部は1947(昭和22)年に設置され、翌年、大学通信教育講座が開講されました。教員組織は通学課程と同じ教員で構成され文学部通信教育課程は、哲学を主とする第1類(哲学、倫理学、美学美術史学、図書館・情報学、社会学、心理学、教育学、人間科学)、史学を主とする第2類(日本史学、東洋史学、西洋史学、民族学考古学)、文学を主とする第3類(国文学、中国文学、英米文学、独文学、仏文学)によって構成されています。
 立教大学文学部を1981(昭和56)年に卒業した際、キリスト教学科だったため、「神学士」を受けました(その後学則が変更され、同学科を卒業しても「学士(文学)」を授与)。在学中、文学を専門的に学修していなかったため、義塾文学部では第3類に入学いたしました

カリキュラムポリシー(教育課程の編成・実施方針)
 文学部は総合的な教養教育と幅広い興味を育てる専門教育を展開していますが、通学課程とは異なり、他の類の科目も幅広く履修する必要があります。どの類に所属していても開講科目一覧に挙げる科目の履修は可能です。
 各類ではそれぞれ学問の伝統に基づきながらも社会的ニーズに応えた多彩な科目が設置され、学生の意欲的な取り組みを指導してきています。


通信教育課程では、所属する類の専門教育科目を中心として、幅広く、各類にわたって学習していく方針をとっています。ただ専攻の意義が失われないように、卒業論文を必修とし、その研究題目に自分が専攻したいテーマを選び、卒業論文を通じて、指導を受けながら専攻領域を掘り下げ、十分に学習できるようになっています。

三田キャンパスの「幻の門」から見た、東館です。アーケードの上部にはラテン語で、「HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR」(天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず)という福澤諭吉『學問のすゝめ』劈頭にある有名な警句が、しるされています。

一橋大学 社会科学系で唯一の指定国立大学法人

 一橋大学は、わが国で最も伝統のある社会科学系研究大学としての長い歴史と実績を誇ります。

 一橋大学の建学理念は、Captains of Industryであり、Captains of Industryは、イギリスの思想家にして歴史家、Thomas Carlyleが1843(天保14)年に著した、“Past and Present”(邦題『過去と現在』)にみる文言です。
  「Captains of Industryとは、混沌、必然、諸悪に対して戦い、人類を導く真の勇者である」 として、一橋大学は、国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材の育成を、使命としてきました。

 初代文部大臣をつとめた森有礼が、東京銀座尾張町に1875(明治8)年に設立した私塾商法講習所から、その後、東京高等商業学校、東京商科大学を経て、1949(昭和24)年に改組され、現在の一橋大学となるまで一貫して、単に西洋式の「商法」-「商い方」を身に付け、即戦力になる人材を供給することだけではなく、Captains of Industryにふさわしい実業人の育成を目標としてきました。

 一橋大学は、市民社会の学である社会科学の総合大学として、リベラルな学風のもとに日本における政治経済社会の発展とその創造的推進者の育成に貢献してきたことに鑑み、一橋大学研究教育憲章を定めています。 

兼松講堂は、ロマネスク様式の建物で、権威主義でもなく合理主義にも流されず、伊東忠太博士による縦横無尽な表現が随所に見られます。2000(平成12)年に、国の登録有形文化財に選ばれました。

一橋大学大学院 国際・公共政策教育部単位修得科目

 国際・公共政策教育部の理念は、次のようにしるされています。
 専門性、実践性への要求の高まりは、国際組織、国や自治体、NGO/NPO 等における国際政策および公共政策の立案と執行等の場面においても生じています。 一国、一地域の視点のみから見た政策は通用しなくなってきており、あらためて公共性とはなにかが問われる時代において、法律学、経済学や国際関係等の広い視点と高度な専門的分析力が、国際・公共政策の担い手にとって必要となってきました。さらに、能力主義の流れのなかで、組織の中での個人の力量が真に問われる時代となってきています。

 一橋大学では、このような環境変化のなか、法学研究科・経済学研究科が連携して専門職大学院である国際・公共政策大学院を設置し、公共政策の課題を発見して、自らその解決を図ることのできる人材の育成を目指します。 その基本理念は次の4つです。
基本理念 1 先端研究の基礎に立つ高度専門教育
基本理念 2 横断的分析による複合的視点の育成
基本理念 3 政策分析における多角性と実践性の重視
基本理念 4 アジア・太平洋における拠点の構築と世界への発信力の養成

 研究論文の主査は、高橋滋教授(行政法、環境法)に、副査は、薄井一成准教授(行政法、地方自治法)につとめていただき、「国際・行政修士(専門職)」を授与されました。

国立西キャンパスにある一橋大学附属図書館。1930(昭和5)年の国立移転と同時に竣工した附属図書館正面玄関にあたる時計台棟は、建築家伊東忠太と文部省との共同設計といわれています。

早稲田大学 伝統を基盤に、進化を続ける学びの杜

 早稲田大学の総立者にして初代総長の大隈重信は、 1913(大正2)年の創立30周年記念式典において、早稲田大学教旨を宣言しました。
 早稲田大学の教育の基本理念を示す早稲田大学教旨の起草委員は、天野為之、坪内雄蔵(坪内逍遥)、浮田和民、松平康国、塩澤昌貞、金子馬治、中島半次郎らによって構成され、最終草案に大隈の意見も入れて下記の教旨が制定されました。(1949(昭和24)年に、一部の語句を削除して現行のものに改定)
早稲田大学教旨
早稲田大学は学問の独立を全うし学問の活用を效(いた)し模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以てこれが自由討究を主とし常に独創の研鑽に力(つと)め以て世界の学問に裨補せん事を期す
早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て学理を学理として研究すると共にこれを実際に応用するの道を講じ以て時世の進運に資せん事を期す
早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て個性を尊重し身家(しんか)を発達し国家社会を利済し併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す

 1920(大正9)年には慶應義塾大学とともに、私立では初めて大学令にもとづく大学に昇格し、政治経済・法・文・商・理工学部と大学院を設置しました。

早稲田キャンパスにある、本学創立50周年と大隈重信没後10周年忌に合わせて1932(昭和7)年に除幕された、「東洋のロダン」朝倉文夫作の、大隈重信銅像(新宿区指定有形文化財(彫刻))。
学祖大隈重信の言「喬木は風雪に耐えて愈々高し、樹根は大地に張って愈々深し、天下に憂いをいたして想いかえして考えるんである。高く飛ばんと欲すれば深く学ばざるべからず。

早稲田大学大学院 法学研究科単位修得科目

 早稲田大学は、1882(明治15)年に東京専門学校として開校しましたが、当時は、政治経済学科、法律学科、理学科の正規三科を設け、英学科も設置して希望する学生に兼修させました。
 その法律学科以来の伝統を継ぐ法学部と大学院法学研究科は、大学院法務研究科(法科大学院)、比較法研究所、法務教育研究センターとともに、法学学術院を形成しています。法学研究科では民事法学を専攻し、研究課題は「社会保障・社会福祉の法と政策」でした。
 修士論文の指導教授は、菊池馨実教授(社会保障法)に、副査は、宮島洋教授(財政学)田山輝明教授(民法)につとめていただき、「修士(法学)」を授与されました。

1927(昭和2)年に創立45周年記念事業として落成したゴシック様式の大隈講堂は、2007(平成19)年に国の重要文化財に指定されました

早稲田大学大学院 社会科学研究科単位修得科目

 社会科学部を卒業後、大学院社会科学研究科に推薦入学しました。どちらも、社会科学総合学術院の一翼を担っています。同研究科では政策科学論を専攻し、市民社会研究分野のうち、指導教員後藤光男教授による【現代人権論】研究演習を履修し、修士論文の主査をつとめていただき、副査は、清水敏教授(労働法)久塚純一教授(社会保障法)につとめていただきまして、「修士(学術)」を授与されました。

大学院 社会科学研究科 地球社会論専攻・政策科学論専攻】
 現代的課題を、総合的・学際的に解決できる研究者や実務家を養成する研究科。
 社会科学の諸分野は19世紀以降、細分化・専門化によって発展し、精緻な理論形成という成果をあげてきました。しかし、その一方で各分野が自己閉鎖的に独立する結果を招き、領域横断的な視野が損なわれる弱点を生み出しました。
 また、現実社会は、globalizationやregionalizationが加速し、環境問題に代表されるように地球規模の課題を数多く抱えるようになってきています。
 これらの諸問題は、政治・経済・法律・文化など諸要素が複雑に絡み合うために、その解決には従来の個々の学問分野だけではなく、社会科学の総合的・学際的なアプローチが必要となってきています。
 そこで、こうした現代的課題を解決するために、社会科学・人文科学・自然科学のそれぞれの分野の専門研究者が、研究科の基本的理念である社会科学の総合化および学際化をめざして研究・教育・指導に当たっています。

大隈講堂は、早稲田大学建築科の創設者佐藤功一教授とその門下、佐藤武夫教授が設計し、構造設計は内藤多仲教授が担当され、時計塔の高さは、大隈重信が生前唱えていた人生125歳説にちなんで125尺(約38m)あります。

早稲田大学 社会科学部単位修得科目

 早稲田に社会科学部が呱呱の声をあげたのは、1966(昭和41)年でした。
 当時早稲田大学にはすでに政治経済学部、法学部、商学部といった学部において、社会科学系のそれぞれの専門分野に関する教育が分科された形で行われていました。
 社会科学部は、そうした社会科学系専門分野を統合的、学際的に一体化したカリキュラムによって構築し、社会科学の総合を旗印にして、学生に社会科学に関する総合的知識能力を修得させ、各界に貢献しうる有能な人材を育成することを目的として、独立した学部として創設されました。
 社会科学部で履修したゼミナールは、大久保皓生先生の地方自治と行政でした。なお、大久保教授の本務校は中央学院大学(法学部)で、先生はその第10代学長をつとめられたのち、名誉教授となりました。

大隈講堂のファサードです。内部に入り、天井の明かり取りを見上げると、中心に太陽、周りに月が配され天井一面の照明は煌めく星々を象徴しています。つまり永遠なるものが、集う学生を見守るのです。

立教大学 鼓動する、自由の学府

 立教大学の前身は、米国聖公会から派遣された宣教師Channing Moore Williamsが東京の築地に、1874(明治7)年に開校した、立教学校 St.Paul’s Schoolです。
 ウィリアムズ主教は1859(安政6)年、禁教下にあった日本の長崎に、日本プロテスタント史のうえでは本土に着任した2人目の宣教師として降り立ち、伝道に努める傍ら、訪ねてくる若い武士たち(大隈重信や前島密など)に英語を教えました。当時の太政官諜者は、伝道の「志、金石ノ如シ」と感嘆しています。
 1873(明治6)年、とうとう日本は欧米諸国の主張を受け入れ、太政官布告第六八号によって、キリスト教禁止の高札を廃し、キリスト教を「黙許」します(鈴木範久『日本キリスト教史』教文館、100頁)。
 当時の日本は、職業教育など実学中心のエリート教育が重視されていましたが、英語で聖書を学ぶことを中心に、普遍的な価値観としてのキリスト教と英学に代表される実際的な知識の両方を学べる立教学校は、日本における近代教育の一方のさきがけとなりました。
 西欧の伝統的リベラルアーツカレッジをモデルにした立教の教育の中心は、キリスト教に基づく教育です。
 立教大学の使命は、単に競争社会で自らの能力を誇るような人間ではなく、人間の一生において欠くことのできない大切なものとは何かを探求し、すべての生命が尊ばれる社会の実現のために奉仕する人材を育てること。
 それは「道を伝えて己を伝えず」と評された、創立者ウィリアムズの謙虚でひたむきな生涯を模範とした教育理念、キリスト教に基づいた人間観の具現化といえます。

  立教大学は、大学全体での教育目標として「専門性を持った教養人」の育成を、掲げています(『立教大学認証評価報告書』)。

築地から移転し1919(大正8)年に落成した、池袋キャンパスの本館は、東京都選定歴史的建造物です。

立教大学 経済学部単位修得科目

 立教学校は、1907(明治40)年に専門学校令により、キリスト教学校では最初に大学昇格が認可され、「立教大学」となりました。
 立教大学は、本科として文科と商科を設置し、商科は、1922(大正11)年に大学令による大学に認可された(キリスト教系の大学としては、同志社大学に次いで二校目)際に、商学部となりました。のちに、商学部は商学科と経済学科に分科し、さらに学部名も、経済学部となりました。
 1949(昭和24)年に新制大学に移行し、経済学部は経済学科と経営学科の二学科となりましたが、2006(平成18)年からは、経済学科・経済政策学科・会計ファイナンス学科の三学科となり、経営学科は国際経営学科を併置し経営学部に改組されました。
 経済学部は、経済学を三学科共通の基盤として、理論と歴史を重視しています。そこでは、財政・企業会計・金融など、具体的・現実的な問題を分析し、解決のための政策を考えることができるカリキュラム編成をしています。

 2000(平成12)年に、経済学部経済学科3年次に編入学し(現在は、経済学部への編入学試験は実施されていません)、学部教育の要であるゼミナールは、野呂昭朗教授が担当されていた現代地方財政の研究を履修しました。
 野呂先生は、立教大学大学院経済学研究科では、藤田武夫教授の門下でした。

本館は、米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリスから寄付を得ているため、モリス館とも呼ばれています

立教大学 文学部単位修得科目

 立教大学文学部は、1907(明治40)年に商科とともに設立された文科を、その本源としています。
 文学部は、1969(昭和44)年以来現代社会における人間学の再創造を理念とし、かつ、これを仮説的課題としながら、様々な科目が展開される、リベラルアーツを重視した「自由の学府」に相応しいカリキュラムを編成しています。

 1981(昭和56)年にキリスト教学科を卒業しましたが、2006(平成18)年に文学部は、キリスト教学科、文学科(英米文学専修、ドイツ文学専修、フランス文学専修、日本文学専修、文芸・思想専修)、史学科(世界史学専修、日本史学専修、超域文化学専修)、教育学科の4学科・8専修に改組されました。
 キリスト教学科は、世界の歴史や文化に大きな影響を2000年にわたって与え続けてきた「キリスト教」をさまざまな角度から解明することを、その主題としています。演習は、速水敏彦教授のキリスト教学演習(新約聖書学)と、八代崇教授のキリスト教学演習(キリスト教史)を、併せて履修しました。
 卒業論文の指導教授も、速水敏彦教授
につとめていただき、論文題目は「遠藤周作『沈黙』における「水」の位置」でした。

1919(大正8)年に落成された、第一食堂です。ラテン語の石文 「APPETITVS RATIONI OBEDIANT」は、「食欲(本来は欲望)は、理性に従うべし」という哲学者キケロの言葉です

慶應義塾、一橋、早稲田、立教大学での恩師

片山 善博 教授〈慶應義塾大学大学院 法学研究科:定年退職後、早稲田大学 政治経済学術院〉【地方自治、地方財政】

 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻に在学時の、指導教授です。
 入学した2013年度に、先生が担当された政治・社会論特殊研究-自治体経営論-自治体のガバナンス研究を受講したところ、学生がわずか2名というなんとも贅沢な時間を過ごすことができました。
 2016年度に慶應義塾の文学部に入学する際、慶應義塾内での二重学籍は認められないため、やむなく法学研究科を自主退学いたしましたが、要件を満たしていたため「修了証(公共政策)」を授与されました。

慶應義塾大学三田キャンパス「大学院校舎」(設計、槇文彦)の教室

高橋 滋 教授一橋大学大学院 法学研究科:定年退職後、法政大学 法学部〉【行政法、環境法、科学技術安全法】

 一橋大学国際・公共政策大学院に在学中、大学院法学研究科の授業行政法演習(担当・高橋教授、山田洋教授、薄井一成准教授)への参加をお認めいただき、そのご縁で研究論文の主査をつとめていただきました。先生の御指導の御蔭で、なんとか修了することができました。
 先生は、わたしが入学した2011(平成23)年度には、国際・公共政策大学院院長をつとめていらっしゃった、その当時の写真です。先生は、一橋大学大学院で市原昌三郎教授、南博方教授の門下でした。
 『判例ナビゲーション行政法』(日本評論社)は、高橋先生と石井昇教授〈甲南大学〉とが共編者です。

菊池 馨実 教授〈早稲田大学 法学学術院〉【社会保障法】

 早稲田大学大学院法学研究科民事法学専攻に在学時の、指導教授です。その際の研究課題は、社会保障・社会福祉の法と政策でした。
 菊池先生は2020年まで、早稲田大学大学院法学研究科長を務めていらっしゃいました。先生は、早稲田大学での長期在外研究では、UCLA (University of California, Los Angeles)School of LawのJoel F. Handler教授のもとで客員研究員をつとめました。
 『社会保障法』第7版(有斐閣、2019年)の著者のひとりが菊池先生で、写真は、「早稲田大学GUIDE BOOK 2012」のものです。

後藤 光男 教授〈早稲田大学 社会科学総合学術院〉【憲法、行政法、現代人権論】

 早稲田大学社会科学部では、後藤先生の講義を、行政法(総論)、(行政争訟法)学際研究入門(国際社会)の3科目にわたって受講しました。
 大学院社会科学研究科では指導教授をつとめていただき、現代人権論研究演習を履修しました。
 なお先生は、同志社大学法学部において、田畑忍教授のもとで憲法学を攻究し、早稲田大学大学院法学研究科では、有倉遼吉教授の門下にて憲法学と行政法学を修められました。
 『憲法』(ナツメ社)は、一般市民向けの憲法学習書です。

大久保 皓生 教授〈中央学院大学〉第10代学長【地方自治、行政学】

 早稲田大学大学院政治学研究科を修了した大久保皓生教授が担当されていた、早稲田大学社会科学部のゼミナールⅠ・Ⅱ・Ⅲ(地方自治と行政)を履修しました。
 本田弘、下條美智彦編著『地方分権下の地方自治』(「都道府県行政」を大久保先生が担当、公人社)は、ゼミナールⅡ・Ⅲの参考書でした。
 写真は、先生が学長をつとめていた際の「中央学院大学GUIDE BOOK 2006」です。先生は、おなじ町田市民なので、今でもよくお会いし、お茶をご一緒させていただいております。

山口 義行 教授〈立教大学 経済学部〉【金融論】

 山口先生は、『聞かせる技術』(河出書房新社)という著作があるぐらいですから、経済学部で担当されていた金融論を、学生に聴かせる講義にするべく意を用いていたのが、受講した際、特に印象に残っています。
 また先生は、アカデミズムに捕らわれることなく幅広く活躍されていらっしゃり、『中小企業サポートネットワーク「スモールサン」』の主宰をつとめています。
 『誰のための金融再生か』(ちくま新書)は、副題が「不良債権処理の非常識」であり、中小企業・中小金融を基点とした改革を提唱しています。

八代 崇 教授〈立教大学 文学部〉【キリスト教史】

  八代先生は、立教学院院長や立教大学の母体ともいえる日本聖公会の首座主教をつとめられましたが、わたしにとっては、キリスト教学演習の先生です。
 先生は、何度も手術を受けられましたが、1991(平成3)年での快気祝いの際には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい」(新約聖書、テサロニケ前書5:16‐18)を引いて謝意とされていました。その後惜しくも、1997(平成9)年に御逝去されました。『世界史とキリスト教』(聖公会出版)は、先生の最初の著作です。
 御父上の八代 斌助師もまた、日本聖公会の首座主教をつとめられています。

らん丈が生まれ、育ち、学んだ、『町田市』関連

町田市議会

第16期町田市議会改革調査特別委員長(2020-2021年)

 町田市をどうしたら、もっと住みやすい、安全な、快適な、素敵な、心地好い、居場所にすることができるのか。それを議論し、追求する場であり、機関であり、らん丈もその参加者の一員である、町田市議会です。
 第16期町田市議会改革調査特別委員会委員長を、つとめていました。

議会運営委員長(2018-2020年)

デジタルラボラトリー

 落語家は700人ほどいますが、その中で現役の消防団員はらん丈ぐらいのものではないでしょうか。同じ町田市消防団第一分団の仲間のウェブサイトです。

NPO法人 顧問建築家機構

 町田市は多摩地区随一のNPO設置数を誇りますが、中でも有意義な活動をしているこちらのNPOには、らん丈も原町田地域市民講座でお世話になりました。

老舗ひじかた園

 町田でもっとも落ち着けるお茶屋さんです。お茶屋さんと言っても、イメージが湧かない方は、原町田にあるこのお店をお訪ねください。
 落ち着けるうえに、すばらしいお茶に巡り合えますよ。御店主の土方さんと。

航旅莉屋

 ちょっと読みにくい店名ですが、レストランです。お店は、オープン時中町にあったのですが、現在は、市役所をあがった森野にあります。
 お味はぼくが保証します。奥様と町田四小50周年記念祝賀会でお知り合いになった、そのご縁です。

落語・寄席

三遊亭圓丈 師

2015年元旦
お歳暮に伺った師匠の旧宅にて(2014/12/26)
圓丈一門(左から、彩大、らん丈、師匠、天どん、丈助)、浅草演芸ホールの楽屋にて(2018/5/21)

 わが師匠、三遊亭圓丈です。
 落語家になってよかったと思う、その最大の理由は、文字どおりの師匠をもつことができたことです。まして、わたしには過ぎた、このような類い稀なる師匠をもつことができたのですから。
 もしも、当時落語界に、師匠圓丈なかりせば、ぼくは落語家にはなっていなかったのではないか、とも思うのです。

師匠林家三平さんと、浅草演芸ホールの打ち上げ(2018/5/29)

三遊亭白鳥 師

 圓丈一門の弟弟子です。なかでも、白鳥さんはすぐ下の弟弟子ですから、まさしく同じ釜の飯を食った仲です。

(一社)落語協会

 落語協会の会員である、らん丈の身分はなんと真打なのです。
 落語家は、見習い、前座、二ツ目、真打の4段階を一段ずつ上がってゆくのですが、その最上位の“真打”に昇進したのは、1996(平成8)年です。
 真打がどれほど稀少な存在であるかは、会長の三遊亭圓歌師匠(当時:現会長・柳亭市馬師匠)から始まって、前座に至るまで総勢224名の落語家中、真打はそのうちたったの158人、7割しかいないことからも明らかでしょう。
  初席の浅草演芸ホールの入口にて、黒紋付を着ております。紋は、三遊亭圓生一門の定紋、三つ組み合わせ橘です。

両国寄席

番組表、一日の2番目に名前があります
両国寄席の楽屋にて

 五代目円楽一門会が、毎月1日から15日までお江戸両国亭で開催している寄席です。わたしは、落語協会に属していますが、円楽師匠とはおなじ、六代目三遊亭圓生一門なので、出演させていただいております。

らん丈の恩人・知人・友人

拙「ふるさと町田寄席」にご来場くださった、小倉まさのぶ代議士です。後ろ幕の比翼紋は、六代目三遊亭圓生一門の、三つ組み合わせ橘です。

小倉まさのぶ 衆議院議員・自由民主党:東京都第23区(町田市、多摩市の一部)選出

 小倉代議士は、自民党の公募に応募し、そのうえで公認を得て、2012年12月の総選挙で初当選を果たした衆議院議員です。
 代議士の前職は日本銀行員で、在職時オックスフォード大学大学院で、金融経済学修士を取得した金融のエクスパートです。
 総務大臣政務官を、つとめていました。

わたしが属す、町田市消防団第1分団第3部の新年会に吉原都議が、お越しくださいました

吉原 修 東京都議会議員・自由民主党:町田市選出

 面倒見のよい都議会議員です。弟が2001年に亡くなった際には、真っ先に駆けつけてくださいました。
 吉原都議は、自由民主党町田総支部の支部長をつとめているうえに、町田市体育協会の会長でもあります。

田中さとし 東京都墨田区議会議員

 立教大学の同窓にして、平成15年に初当選を果たした、好漢です。

早坂 義弘 東京都議会議員・自由民主党:杉並区選出

 立教大学の同窓にして、同じ弁論部に属していた仲間でもあります。

らん丈関連

公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン

 鶴見和雄事務局長(当時)は、立教大学の先輩であり、その関係で、NGO特集の拙寄席「どうしまショウ」にゲスト出演してくださいました。
 世界的なNGOなので、御存じの方も多いでしょうが、今後益々重要性が増すばかりです。