『都市』第58号・2017年8月
桜見て少しく長く歯をみがく
まづなめて肌を味はふ柏餅
米研がず炊くもありなん花魁草
江ノ島の水族館へ袷着て
哲人の貌の乞食聖五月
桜見て少しく長く歯をみがく
まづなめて肌を味はふ柏餅
米研がず炊くもありなん花魁草
江ノ島の水族館へ袷着て
哲人の貌の乞食聖五月
久方のカフスボタンや冴返る
白梅を腰を伸ばして見入る母
涅槃雪怒るわけにもいかず寝る
動きゐるやうにも見えて春の土
三月や人生決める本を読む
ちやんちやんこ着てバスを待つ夕べかな
漱石忌卵落としてカリー食ぶ
風邪引の妻の味噌汁味薄し
ジャズピアノ聞きつ賀状の宛名書き
正月来ざふきんのなき家庭にも
ごきぶりを殺してのちの葬儀かな
飼犬の鼻の乾きや熱帯夜
何をしたでもなく迎ふ夏夕べ
都県境の橋渡りつつ秋覚ゆ
美しき人のきれいに汗をかく
媼一段おきに駆け上がる秋
服たたむにも癖があり秋の昼
なめこ汁唇にても味はへり
みの虫の茶は他とは違ふ茶色
飼主も犬も走るや冬ぬくし
白南風の髪の隙間を吹き抜けり
ジャズバーの打ち水をして店開ける
政談を好む子どもの夏休み
車椅子の手を動かすや盆踊り
糸瓜食むことなく五十七才に
小満や本読む眼(まなこ)休めをり
親指に体重を掛け岩魚釣
なすびなりとも端好む考(ちち)なり
好きな人隠しきれずに大花火
完璧な蟹股歩きやませ吹く
山中多美子選(『都市』54号11頁)
襟立てて花見の列に入り行けり
片想ひ独活の天ぷら噛みしめて
スカイツリーエレベータに蝶も乗り
短めに髪切らせゐる薄暑かな
遠くからジャズ聞こえくる麦の秋
『都市』第51号での「趣味燦燦」欄に掲載されたものを、転載して掲出いたしました。
趣味を広辞苑(第二版補訂版)で引くと、
1、感興をさそう状態。おもむき。
2、美的な感覚のもち方。このみ。
3、専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄。
と記されています。
いかにも、広辞苑らしい面白みに欠ける語釈ですね。そこで、新明解国語辞典(第七版)にお出ましを願うと、次のように記されています。
1、そのものを深く知ることによって味わえる、独特の良さ。
2、〔利益などを考えずに〕好きでしている物事。
3、〔選んだ物事や行動の傾向を通して知られる〕その人の好みの傾向。
わたしの場合、俳句はまさしく新明解国語辞典の語釈にあるとおりの趣味なのですが、小稿では、ジャズを採り上げます。
楽器は一切できないので、専ら聴くばかりです。聴くうちにわかってきたのですが、多くの方が指摘するように、ジャズとわたしの本来の職業である落語は親和性が高いのです。
どこが似ているのかといえば、どちらも、テーマをおさえれば、あとは自由というところです。たとえば、「千早振る」という落語がありますが、これは、ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは、を珍妙に解釈する噺というテーマをおさえれば、あとは演者の自由です。ジャズも同じで、同じ曲でも、プレイヤーによって全く異なる曲調となることがしばしばあります。
その際、双方で重視されるのが、即興性です。ジャズも落語もお客さんに左右される要素が、非常に大きく、会場に反応のよいお客さんが多ければ、演者は乗せられて、実力以上の力を発揮することがありますし、その逆となれば、惨憺たる結果と相成ります。
それは、俳句とも通じるところがあって、荻野雅彦が、「『孤独』ほど俳句にとって縁のない言葉はないのではないか」というように、落語もジャズも、そして俳句も、そこに「座」がもうけられなければ、面白味のないものとなってしまいます。
マスクしてなほ美しく魅入るなり
山葵田の風に吹かれてガムを噛む
春浅し帽子いくらか深く下げ
薄氷を踏んで確定申告へ
見上げたる額に椿落ちきたる
町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打