1996年に真打に昇進した直後から、それまで自らを律し戒めていたことのいくつかを解き放ちました。たとえば、大学卒業以来遠ざかっていたカトリック教会へと再び通い始め、明くる1997年の復活祭には洗礼を受けましたし、ほぼ時を同じくして以前から興味があった俳句の創作を始めました。
創作とはいささか大げさな物言いですが、それには訳がありまして、ぼくに何よりも欠落しているのは、詩心です。ですから、俳句を読んでも、その良さが分かるのはごく僅かでして、じっさいのところ名句を前にしても、この句のいったいどこがそんなに好いのだろうと、じつにしばしば悩むことになるのです。
鑑賞には不向きだと覚ったぼくは、一転、俳句らしきものをでっち上げることならばできるのではないかと、今から思えば不遜なる錯覚をおかし、俳句を学ぶために句会へと生まれて初めて参加したのでした。
宗匠は立教大文学部の先輩、須川洋子先生です。先生は巷間云われるところの人間探求派の一翼を担う、加藤楸邨門下らしく、人生万般にポジティヴな句風を旨とする方でして、それが何事につけネガティヴな俳風を好むぼくにはうまく作用したようで、どうやら未だに、続いております。
その須川宗匠主宰の『季刊芙蓉』に掲載された句を以下に転載します。原則として1号あたり8句前後掲句されます。(★)を付した句は、須川宗匠とその後継宗匠による特選句です。
須川先生の没後、慶應義塾の先輩である中西夕紀先生と出会い、先生が主宰する結社、「都市」俳句会に参加し、現在に至っています。
中西夕紀主宰は、藤田湘子の門下で、2008年に「都市」を創刊しました。
『必携季寄せ』(角川書店、2003年)には、先生の下記の句が採られています。
一客一亭屋根替もをはりけり
闘鶏の赤き蹴爪の跳びにけり
空仰ぎ弁当使ふ四迷の忌
戸を開けて月の近さや氷頭鱠
貝焼の貝の中へも飛雪かな
何もかも丸く刈られし御命講
寒鮒にはつかな泥のたちにけり