町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

内村鑑三著『代表的日本人』鈴木範久訳(岩波文庫)らん読日記

2004.10.03(日)

訳者の鈴木範久教授が担当されていた「日本キリスト教史」を、立教大学文学部在学時履修いたしました。

 本書刊行の経緯をご存じない方は、なぜ、日本語を母語とする内村鑑三の著書なのに、翻訳なのだろうと、不思議に思われたことでしょう。

 本書は、脱稿しながらも出版されないでいたHow I Became a Christian『余は如何にして基督信徒となりし乎』に先立って、明治27年に徳富蘇峰が主宰する民友社からJapan and the Japaneseと題して刊行された著書の改版であり、明治41年に刊行された英文著作Representative men of Japanを翻訳したものです。

 内村が著書を改題し、内容を改めた経緯は、日清戦争終結の頃から、その戦争を「義戦」から「非戦論」へと大きくその考えを変えたことに起因します。
 そこで、日露戦争後の改版にあたって、古い思想のもとに書かれた文章4篇を除き、人物論のみとして、題名も上記のように、『代表的日本人』へと改題したのでした。

 内村は、キリスト教国の人々から「異教徒」と呼ばれている日本人のなかに、キリスト教徒よりも、むしろ優っている人物を発見したことで、“青年期に抱いていた、わが国に対する愛情はまったく冷めているものの、わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできな”いと思ったことが、本書執筆の大きな理由です。
 それを内村は、こんな文章で証明しています。
 “私の貴ぶ者は二つのJであります。其一はJesus(イエス)であります。其他の者はJapan(日本)であります。本書は第二のJに対して私の義務の幾分かを尽した者であります。”

 それゆえに、“わが国民の持つ長所を外の世界に知らせる一助となる”ために外国語で本書をしたためたのでした。
 外国語=英語で本書を記した理由として、内村はこんなこともしたためています。
 “日本文で言ひ兼ぬる事を欧文を以て言ふ事ができます”と。
 以上の2点から、本書は英文をもって記されたのでした。

 新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並んで、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的著作のひとつに、本書は数えられるだけのことはあって、『代表的日本人』で採り上げた人物はいずれも、内村がどんな人物論を展開したのか、食指を動かされる以下の5人です。
 西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人。

 今回、ぼくが本書を採り上げたのには、二つの理由があります。
 ひとつは、熟年世代から、日本の若者が劣化したとの意見をじつにしばしば聞くことがあります。

 たしかに、どうにも困った若者を見かけることがありますが、若くないものは若者を蔑視するのが、いつに変わらぬ世の習いです。
 けれど結果として、今夏のアテネ五輪では、日本選手団は五輪史上最高数のメダル獲得を果たしました。
 あるいは、ボランティア活動が活発化=平常化したのは、ほんの最近のことであって、往時の日本では特別視されていたことです。
 このように、イチロー(シアトルマリナーズ)の活躍ぶりを見ても分かるように、今の若者は充分に世界に伍してその実力を発揮することが出来ます。
 あるいは、ボランティア活動をみても分かるように、無私の精神も少なからず持ち合わせています。
 そこで、往時の日本にはどんな人物がいたのかを再認識したく、本書を手に取ったのでした。

 もうひとつ、大室幹雄(元千葉大教授)が『志賀重昂「日本風景論」精読』(岩波現代文庫)において、日本の散文は「福沢(諭吉)から内村(鑑三)や志賀(重昂)にいたる元気のいい硬質な散文を拒否した。それが以後の日本の散文にとって仕合わせであったかどうか」を、検証することにありました。

 本書は、もとは英文ですから、実地に検証するわけにかいかないものの、いかばかりかは、それを感じ取れるのではないかと思い、読んでみたのでした。
 その結果、しっかりとした散文の充実というものを、翻訳でありながらもありありと実感することが出来るという幸福感をもって、本書を読み終えることができたのでした。
 たとえば、西郷隆盛を論じた章で、“諸国がたがいに分かれて反目する状態に飽き飽きしていた日本人は、歴史上はじめて、国家の統一が、重要で好ましいことであると感じるようになっていました。”という文章に出会えば、明治維新というものの本質を、一文で見事に指摘する爽快さを、読者も味わうことができるのです。

 なお、訳者の鈴木範久先生は、らん丈が立教大学の文学部に在籍していた際に、「日本キリスト教史」を受講した恩師であり、その当時のことを思い出しながらの楽しい読書であったことも付言しておきます。