町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

HATS2003年度前期修了生レポート「町田の環境・参加体験講座」 「生まれ育った町田の環境への私感」町田の、らん丈

2005.10.10(月)

前書き
 このレポートは、5〜6枚という字数制限はあるものの、環境に関してはどんな内容でも構わないということであり、また、講座の各回で気づいたことは、その都度「受講生の声」に短いながらもレポートを寄せたので、末尾に本講座に関連した章を設けますがそれを除けば、従来とは違う視点でまとめてみたいと思います。
その視点とは、私は町田市森野で生まれ育ったので、町田の環境にちなんだ自分史と、これから町田の環境へどのようなアプローチをするか、という二つの面に絞って、稿を起こすことにいたします。

1)生まれ育ったのは町田市森野
 私は、昭和34年に森野(あくまでも正確を期すのであれば原町田の病院)で生まれ、同56年に師匠(三遊亭円丈)の許に弟子入りするために、町田を離れるまで、22年にわたって森野に住み、平成8年に真打昇進したのを機にひとり立ちを目指し、その5年後の平成13年に念願かなって、再び生まれ故郷の町田に居を戻しました。
 町田を離れたとはいえ、森野にある実家には、度々帰って来ていましたから、昭和56年以来ずっとブランクがあったわけではありませんが、それでも町田の空気をその間日々吸いこみ、土を踏みしめていたわけではないので、やはり、生活者の視点から町田の環境を見ていたとはいいかねます。
 そこでまずは、昭和40年代の町田を振り返って、今日の町田の環境を考えるよすがをそこに見出したいと思います。

2)昭和40年代の町田市森野周辺と今日の森野
 ぼくが生まれ育った森野には、境川が流れており、当時は暴れ川として、台風襲来時には、じつに頻繁に氾濫したものでした。そのため、台風が近づくと、小学校の授業は打ち切られ、襲来に備えて下校したのも一度や二度ではありませんでした。暴風雨で電線が切断されたために停電し、ろうそくの明かりを頼りに一夜を明かしたのも、今となっては懐かしい思い出です。
 昭和48年には境川の改修工事が完成したために、以後はまったく台風の脅威を、こと境川の氾濫に関しては受けずに済むようになりました。

 町田に戻って、何よりも驚いた環境面での変化は、下水道が町田地区では完備した結果、家庭排水がそのままの状態で境川へ流入しなくなったために、境川が綺麗になって、じつに多くの生き物が棲息する、「生きた川」へと変貌したのを知ったことでした。
 こうして、多摩地区他市にくらべてもあまりに遅れた町田市の下水道整備事業が、やっと町田地区でも普及したことを、実感させてくれたのでした。

 ひとくちに森野といっても、1丁目から6丁目まであり、小田急町田駅と接する1丁目と、5、6丁目とではそれを取り巻く環境が大いに異なります。
 ただ、そこに共通するところもあり、それは1丁目の一部を除いて、森野はさほど起伏のない土地であり、町田駅に接する交通至便の住宅地であるということです。

 住宅地としての森野を考えた場合、1丁目にある東京都住宅供給公社森野住宅を除けば、高層階の集合住宅は、昭和40年代にはほとんどありませんでしたが、いまや1、2丁目には、蝟集といってもよいほど高層集合住宅が立ち並んでいます。
 その結果、そこに住む若年夫婦の間に生まれた小学生適齢期人口が急激に伸張し、森野在住者が通学する町田第四小学校(らん丈の母校でもあります)は、一時は町田第一小学校との統合計画もあったと聞き及んでいますが、こと児童数に限ればいまや教室不足という活況を呈しています。

 ただ、急激に増加した人口を支える生活基盤整備は、あまりにお粗末なのが、森野地区のおかれた現状です。
たとえば、最近開通した道路の交差点にはいまだに交通信号が設置されていないため、自動車に轢かれるかもしれないという恐怖感におびえつつ道路をわたらなけらば横断できない箇所があります。
 また、街路灯の設置箇所が少ないため夜道の安全確保が万全でなく、その数少ない街路灯も明度が極めて低いために、その効果が半減しています。
 そのために森野という、駅とは至近距離にある住宅地に位置しているため、充分徒歩での帰宅が可能であるにもかかわらず、駅から自宅までの帰途の安全が確保されないと認識した子どもやご婦人は、自宅からクルマを呼んで、それに乗車して帰宅しています。そして、その割合が年々増えているような気がするのです。
それは、町田警察署庁舎が中町から旭町に移転したことにともない、いわば重しが取れた状態になったために、治安が悪化したのではないかと専ら巷間では言われていますが、それが大きく作用している、その現実を見逃すわけにはいかないと、ぼくは考えています。
 往時にくらべて町田駅周辺の治安は、夜間においては特に悪化したと考えるのは、なにもぼくばかりではないという、これはひとつの有力な証左と考えています。

 なによりも森野在住者にとって、環境面において改善していただきたいもののひとつに、小田急線第一踏切の問題があります。
あそこは、昭和2年に小田急線が開通して以来、今に至るまで、階段式の地下道が設置されただけで、高架化も地下道のスロープ化やエレベーター設置のいずれの施策も講じられてはきませんでした。
 その結果、原町田とは至近距離に暮らす森野在住者でも原町田商店街への買い物の際には、車椅子や松葉杖、乳母車、自転車に乗っての第一踏切の横断は、朝晩はなかなか第一踏切が開かないために、長時間待たされる苦痛を存分に味わわなければなりません。これは精神的なものだけでなく、貨物輸送の滞留という点から見れば、昭和2年から平成15年にわたっての76年間に及ぶ経済的損失は、測り知れないものがあります。
 町田市と小田急電鉄は、この環境面でのあまりに配慮を欠いた姿勢を、いつまでとり続けるというのでしょうか。

3)森野を含めた町田市における環境面での問題点
 この講座で配布された「町田市環境白書2002」〔概要版〕にある、「気になる環境問題」では、2000年6月、2002年1月、同年7月と3回にわたってアンケート調査をした結果が集計報告されています。
 それによれば、2位以下は変動していますが、1位は常に「航空機の騒音」となっており、なおかつその獲得ポイント数が、調査を重ねるごとに、10.7、14.5、17.7と高くなっています。つまり、航空機騒音に対して不満をもつ市民が時とともに増えていることを、このアンケート結果は物語っているのです。
 これは、航空機の騒音によってもたらされる苦痛が、日ごとに増していることの何よりの証明ではないでしょうか。
 事実、実際に市役所に寄せられる苦情のうち、最も多いのは航空機騒音に関するものだそうです。

 いうまでもなく、この場合の航空機騒音とは、厚木基地への着陸に伴う米軍機の騒音です。
 NLP(夜間離発着訓練)の場合、夜間という特殊性を帯びた訓練のために、それによってもたらされる騒音による苦痛は、なお一層深刻にして激甚です。

 ところが、町田市は厚木基地とはごく至近距離にあるために、米軍機による騒音を測定し、それを公表し、その測定値をもとに米軍基地への要請行動はとっているものの、それが功を奏したことはなく、それが証拠に米軍機による騒音問題は、一向に解決する気配すら、いまのところありません。

 米軍機の問題は、なにも騒音に限ったことではありません。
 たとえば、昭和39年4月5日には米軍機が原町田に墜落し、4名の犠牲者と重軽傷者32名を数える大惨事を引き起こし、家屋は27戸が全半壊しました。
 つまり、上記の方々は町田市に住んでいたために、このような大惨事に遭遇してしまったのでした。ただ、町田に住んでいたがために死ななければならなかった方々が現にいらっしゃったのです。ちなみに、このときの米軍パイロットは、航空機から脱出したために一命は取り留めています。この危険は、いまだ一向に軽減されていないのが、町田市をとりまく米軍機の現状ではないでしょうか。
 つまり、いつ米軍機が墜落するとも知れない場所に我々は日ごとの生活空間を委ねているのです。
 これこそ、町田市が日本政府や近隣県市と協力して解決を図らなければならない、喫緊の大きな課題のひとつではないでしょうか。

4)地域市民講座の実施に向けて
町田市公民館では、市民が主体的に学習し、地域課題や生活課題を解決していく力を育てる場として地域市民講座を開設しています。
 今回、私は下記の学習テーマを設定し、その企画を町田市公民館に提出したところ、承諾されたので、現在、その企画の実現に向けて鋭意、活動中です。
 その学習テーマとは、以下の通りです。
“2002年11月から2003年1月までの92日間に町田市役所屋上において、700回の航空機による騒音が測定されました。過去には米軍機が原町田に墜落し、多数の町田市民が犠牲となりました。これらは米国海軍厚木基地に着陸する米軍機によってもたらされる町田市民が被る災禍です。
 しかし、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)のために、現状を速やかに改善することは不可能です。それでも日本国民は、憲法第13条によって、等しく幸福を追求する権利を尊重されています。このジレンマを解決する手段を一市民として考える。“

 以上の学習テーマのもとに、今秋市民フォーラム地域市民講座を開講する予定ですので、「広報まちだ」等で記事をごらんになった方は是非、ご参加くださいますように、この場を借りてお願い申し上げます。

5)町田の環境・参加体験講座に参加して
 講座の8回目で、町田リサイクル文化センターの見学をし、町田市のごみ処理の現状を学びました。
 地方自治において、ごみ処理問題の解決を図るのは、猶予できない喫緊の課題です。
 たとえば、町田市のごみの最終処分場は、日の出町にある二ツ塚処分場ですが、ここの容量は現状のごみ排出が続いた場合には、あと12年ほどで満杯になると推定されています。(土屋正忠武蔵野市長発言;平成15年8月3日朝日新聞)
 それを少しでも長持ちさせるために、様々な施策を地方自治体はとらなければならないのですが、そのひとつの方途として、ごみ焼却灰を原料にしてセメントを生産する「エコセメント事業」を平成18年から東京都三多摩地区では共同で、稼動させます。

 このように、町田市もこれからは、「ゼロエミッション(ごみ排出ゼロ)都市」を目指して、様々な施策を講じなければならないと思います。
 そのためにも、私は本年5月から再来年5月までの2年間にわたって、町田市廃棄物減量等推進審議会委員に任命されたので、その一員として、審議会活動では活発な審議に寄与し、少しでも貢献したいと考えています。