町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

『町田市福祉のまちづくり推進協議会−「心のバリアフリー化部会」を傍聴して』町田の、らん丈

2002.11.18(月)

 11月18日午後2時から、原町田5丁目にある健康福祉会館で開催された「心のバリアフリー化部会」を傍聴したので、以下にその報告をさせていただきます。
 この会は、町田市福祉のまちづくり推進協議会によって開かれたもので、当日はおもに、来年発行される『心のバリアフリーハンドブック』(素案)の記載事項への意見を、会員が順次開陳したのでした。
 ぼくはたんに傍聴を許可されただけなので、もちろん発言はできません。当日の出席者は20人ほどいたでしょうか。出席者は、『心のバリアフリーハンドブック』を少しでも、実情に沿った、使いやすいものにするために活発な意見を述べ合い、2時間半にわたって続けられたのでした。
 この『心のバリアフリーハンドブック』は、小学5、6年生でも分かるようにとの編集方針なので、見てもよく分かることを主眼に、写真やイラストを多用しています。

 そもそも、ぼくがこの部会をなぜ傍聴したのか。それは、今年立候補した町田市議会議員選挙においても主張したことであり、詳細はこのHP「らん丈全文業」のうち『2度目の大学生』に収めた、「2001年度学業奨励奨学金論文」をごらん頂ければよりよくお分かりいただけるのですが、町田市をユニバーサルデザインに配慮した都市にしたいからです。
 そのためには、心のバリアフリー化は是非とも実現しなくてはならないことだと思っているので、この「心のバリアフリー化部会」を傍聴したのでした。

 さきほど触れたユニバーサルデザインですが、まだ日本ではさほど知られていないものと思われますので、ちょっと説明します。アメリカのノースカロライナ州立大学の故ロナルド・メイス教授が提唱したもので、高齢者やしょうがい障碍をもった方の生活の妨げとなる、バリア(障碍)を取り除いたバリアフリーを一歩進めた考え方といえるでしょう。
 日本でも高齢化社会の急速な進展を背景に、高齢者や障碍をお持ちの方でも誤って使わないように工夫された商品が登場してきています。たとえば、側面の凹凸でシャンプーとリンスを区別できるボトルや、缶の点字で中身が分かる缶ビール容器、パッケージの上部の切れ込みで中身が牛乳であることを知らせる紙パックなどが、その代表例です。

 ユニバーサルデザインを考えるきっかけとなったのは、1999年4月に交通事故に遭い、右脚を骨折し、生まれて初めて松葉杖をついて、街中を歩いたことにあります。
 それまで、健常のころには何でもなかった、道の段差がどれほどの苦痛を与えるか、松葉杖をついて初めて知らされたのです。
 それでも、当時住んでいた東京都墨田区ではさほど歩きにくいとは思わなかったのでしたが、実家のある町田市を、松葉杖をついて歩こうとすると、比較にならないほど歩きにくいのです。巷間、町田は福祉の充実した都市といわれているのにもかかわらず、これほど歩きにくい町も珍しかったのでした。
 そんな町田市を少しでも歩きやすい町にしたいというのが、ぼくが立候補をした最も大きな理由だったのでした。

 さて、この日の会合でぼくが最も注目したのは”障がい”という文言でした。
 ご存知のように、21世紀に入り、埼玉県の志木市をはじめとして、多くの地方公共団体の公的文書では、”障害”を”しょうがい”または”障がい”と記すことが一般化されるようになりました。町田市では”障がい”と記しているようですが、それは、”障”にしろ”害”にしろ、ネガティブなイメージを喚起させるので、中立的な表現ということでひらがなでの記述を採用するようになったのです。
 ところが、ひらがなは逆にそれで記された文言を目立たせてしまうので、従前通り、漢字表記を望むという意見が、まさに障碍をお持ちの当事者から発せられたのでした。
 これには、虚を衝かれた思いがしたものです。たしかに論理上は、ひらがなで記せば差別意識は除かれるでしょう。けれどそうすれば、不自然な字面となりかえって目立ってしまうし、だいいちわざとらしく白々しい印象を与えるのもまた、事実です。
 その場に居合わせた町田市の職員は、世の流れから逸脱するという理由から、漢字表記に戻るとは言明しませんでしたが、たしかに、どちらの意見にも理があるものと、ぼくは思いました。
 そこで、ぼくの意見を言わせていただくならば、障害の特に”害”に違和感を持つものですから、先ほどから記しているように、”碍”の字を使えばよろしいのではないでしょうか。”障碍”ならば、差別感はよほど薄まるように思います。すると、”碍”は常用漢字にないという声が聞こえそうですが、ならば、仮名をふればいいのではないでしょうか。
 上記の理由から、今後ぼくは障碍を使用し、”障害”も”しょうがい”も使いませんので、その旨ご了承くださいますように。