町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

らん丈の、我ら落語家群像 記事一覧らん丈の、我ら落語家群像

「民族芸能」vol.88

2002.07.01(月)

 今月号の『本』(講談社)という雑誌に、笑福亭鶴瓶師匠が寿司屋で隣り合わせた医師に、いきなり人情噺を三十分以上も語り、その医師を泣かせた話が載っていました。

 どんな理由から、寿司屋のおそらくカウンターで鶴瓶師匠がその医師に古典落語を語ったのかは、その文面では読み取れなかったので、それを知りたくその医師が書いた『がんで死ぬのはもったいない』(講談社現代新書)を読んだところ、著者平岩正樹医師によって、がん治療に関する様々な蒙を開かれたため、ここにそれを記します。ただ、鶴瓶師が平岩医師一人に寿司屋で落語を演じた理由は、結局どこにも書いてありませんでしたが。

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「民族芸能」vol.87

2002.06.01(土)

 あれはぼくがまだ小学生のころだったか、あるいは中学生になっていたかもしれません。今となっては判然としないのですが、日曜の午後、NHKのテレビ番組だったことだけはよく覚えています。それ以前から落語は、というよりは、テレビの演芸番組が好きでよく見てはいたのですが、それらの番組のコンセプトが笑いを求める視聴者の要望を満たす目的で作られていることは、子供心にも察知してはいました。ところが、そこで演じられている落語は、それまでに見たことがある落語とは一線を画し、演じる芸人は、無理に視聴者を笑わせようとしてはいないのにもかかわらず、見ているものは腹を抱えて笑ってしまうという、落語にとってはまさに理想的な演者とお客さんとの関係を、そこに現出させているのを子供心にも感得したのでした。そのときの落語家が、先日、大往生なさった柳家小さん師匠その人で、演目は『粗忽長屋』だったことを昨日のことのようによく覚えています。

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「民族芸能」vol.86

2002.05.01(水)

 戦後の日本は、経済成長に価値の重心を置き、物質的豊かさを追求してきました。そうした社会では「生」にのみ関心が集中し、死とは正面から向き合おうとはしませんでした。

 ところが、少子高齢化社会が到来し「死亡者急増時代」を迎えた今日、死は身近で日常的なものとなり、どんな死生観を持つかが大きな課題となってきました。

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「民族芸能」vol.85

2002.04.01(月)

 球春といいますが、今年もいよいよプロ野球が開幕しました。本誌一九九九年十月号で元プロ野球投手、川口和久の著書『投球論』(講談社現代新書)について記しましたが、タイトルからして明らかにそれを意識して書かれたと思われる『捕手論』(光文社新書)が出版されたので、それにも触れないわけにはいかないでしょう。何しろ面白いんだから。

 著者は織田淳太郎というスポーツライターです。彼は川口と違ってプロ野球の選手経験はないため、内容は徹底して聞き書きの形式をとっており、素人では想像もつかないプロならではの言葉を引き出してきます。

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「民族芸能」vol.84

2002.03.01(金)

 さる二月二十四日投開票された町田市議会議員選挙に立候補しての感想は、「あぁ、面白かった」の、一語に尽きます。よく、「芸人は三日やったらやめられない」、と云われますし、ぼくも芸人の端くれとして実感を以てそれに首肯するものですが、選挙に初めて立候補して思うのは、本人はともかく、傍からは落選間違いないと思われた選挙を戦ってあれほど楽しかったのですから、勝てる選挙ならば、さて、どれほどの愉悦をもたらすものか、想像しただけでもワクワクしてしまうのを、もはや禁ずることはできません。

 傍からは落選間違いないと思われた選挙でしたが、獲得票数二千十六票で四十位、定数は前回まで四十だったのですが、今回からは一割削減され三十六となったため、予想通り落選しました。

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「民族芸能」vol.83

2002.02.01(金)

 以前に本誌小稿にてお知らせしたように、この原稿が活字になっている頃は、選挙戦の真っ最中です。初めての選挙を戦って、何よりもまず思うのは、議員というのは、化け物=モンスターじゃあるまいかということです。
 たとえば、告示前の段階で平日は毎朝六時から二時間ほど駅頭に立ちビラ配り、昼は一軒一軒支援者廻り、夜はまた二時間の駅立ち、この生活を候補者は四ヶ月続けるのです。もちろん、だからといって当選が保証されるわけでは決してありません。この運動はごく標準的な活動だからです。それに加えて、ポスター貼りやチラシ配り、資料作りや演説内容の勘案、後援会会員集めを同時並行して進めるのですから、その体力、資金力の維持だけでも、大変です。なおかつ、いざ選挙で一票を投じられるに値する魅力が候補者に備わっていなければ、折角の運動は水泡に帰してしまいます。これをもってしても費用対効果を考えれば、これほど割の合わないイベントも珍しいでしょう。何しろ、仮に当選しても、町田市の場合、その議員報酬は市公用車の運転手より低い額です。

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「民族芸能」vol.82

2002.01.01(火)

 落語家志望者は、「やれ嬉しや」師匠への弟子入りが無事叶うと、その日から身分的には見習いとなり、師匠や兄弟子から諸事万般を習い覚え、楽屋のことが一通りできるようになると、晴れて前座となり寄席で働くことが許されるのです。

 すると、前座会に自動的に入り、太鼓の稽古や真打披露での働き方等を教わり、前座としての戦力を身に備えます。

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「民族芸能」vol.81

2001.12.01(土)

 元来ぼくは、人様の男女関係にはごく疎いほうです。なのに、われわれ落語家は口から先に生まれてきたような者ばかりですから、その噂の広まるのが早いことといったらありません。えっ、そんなことも知らなかったの、と軽蔑のまなざしとともに云われたことが、過去に何度あったことでしょうか。へぇ、そうだったの、ちっとも知らなかった、と疎外感に囚われてばかりいたものです。まして、落語家ならば誰もが知っている噂を、ぼくだけ蚊帳の外と云うことが一度ならずありましたから、大抵のことには驚かなくなりましたが、今回の婚約には驚きましたね。その婚約とは、みなさんもすでによくご存知の、柳家花緑さんと林家きく姫さんのお二人に依るものです。

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「民族芸能」vol.80

2001.11.01(木)

 アメリカを代表する文豪、ヘミングウェイに、「何を見ても何かを思いだす」という短篇小説があります。ぼくはまだ読んではいないので、どんな内容なのかは知りませんが、ちょうど今のぼくの心境が、このタイトルの通りになっています。と云うのも、先月、生まれ育った町田市に、二十年ぶりに戻ったからです。

 そう、二十年振りに再び、町田で暮らすことになったのです。つまり、学校を卒業し、師匠の許へ弟子入りしたその年の秋に足立区に引っ越して以来、都内を転々と移り住みましたが、この度、二十年振りに、故郷の町田に戻って感じたのが、冒頭に記した「何を見ても何かを思いだす」という感懐だったのです。

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「民族芸能」vol.79

2001.10.01(月)

 先月号で、人はよわい齢を重ねると、山田風太郎の云うように”怒涛のごとき”人の死に接すると記しましたが、加藤楸邨は”天の川怒涛のごとし人の死へ”と詠んでいます。これは、天の川が見えるのですから通夜に向かう、弔問する人の胸の裡を詠ったものでしょう。

 ご存知のように十月一日、古今亭志ん朝師匠が六十三歳の天命を全うされました。その通夜、”怒涛”の思いを抱きながら護国寺の会場へと向かい、焼香を待ちながら見る師匠の御遺影の、なんて素敵なお顔なのかと改めて、見とれてしまったのでした。いらっしゃった方はご存知のように、それはそれは素敵なお写真でした。お気に入りの帽子を被ってご機嫌な師匠の、その自然な仕種が、見るものを惹きつけて止まないうっとりとするような笑みを浮かべた師匠のお顔と相俟って、改めて眼に涙を浮かべる方が、ぼくの周りだけでも一人や二人ではありませんでした。
 今日の落語界で、最も失ってはいけない人物を、我々は亡くしてしまったのでした。

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