町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.76らん丈の、我ら落語家群像

2001.07.01(日)

 何しろ落語以外の職業に就いたことはないので、他の業界のことは疎いのですが、概して落語家はスポーツ観戦を好みます。

 その最たるものはプロレスでしょう。ぼくは師匠の代わりに一度だけ、故人となられたジャイアント馬場さんの試合を見に行ったことがあるだけですが、それこそプロレス観戦が三度の飯より好き、というフリークといってもよいファンは枚挙に暇がありません。噺家に会いたかったら、プロレス会場に行けば間違いなく誰かと会える、といわれるほどですし、楽屋には、誰かが置いていった東スポ=東京スポーツがいつもあります。

 楽屋にテレビが置いてあれば、まず間違いなくスポーツ番組にチャンネルが合わせられます。たとえば、今なら夜はプロ野球です。

 不思議なのは、落語家はそれぞれ贔屓のチームがあるのですが、なぜか楽屋中巨人ファンとしての言動が、強制ではないにせよ要請されることです。楽屋で野球放送を見ていて、「打たれた」といえば、巨人軍の投手が打たれたことですし、「負けてる」といえば、巨人軍が負けているのです。

 どうしても、それに納得できない方は、心の中で贔屓のチームを応援するか、そっとその場を立ち去って、一人ラジオのイアホンを耳に差し込み、贔屓のチームに声援を送るしかありません。人間、どこで苦労するか分からないものです。

 七月上旬のスポーツの楽しみといえば、ぼくはウィンブルドンテニスです。四大トーナメントのうち、ウィンブルドンはその最高峰と云われていますが、中でもそのセンターコートは、テニス選手にとっては何物にも代え難い、至高の価値を顕現する聖地とも云えましょうか。ですから、NHKの解説で沢松奈生子は「ウィンブルドンのセンターコートは、テニス選手にとっては、一分でも一秒でも長くいたい場所」という言葉が、そのことを何よりも雄弁に語っています。

 そのウィンブルドンにあたるのが、高校球児(と書いたものの、今の高校生で”児”もないだろうとは思うのですが)にとっての甲子園球場であり、ゴルファーにとってのセントアンドルウズでしょう。落語家にとってのそれは、云うまでもなく、寄席です。

 肉親や健康はそれを失って初めて、その重要性に気が付くものですが、寄席を失って初めて、その重要性に気づくという愚は許されません。未来永劫に渉って寄席を存続させなくてはならない、とはさすがにぼくでも思いませんが、寄席は我らのレーゾンデートル=存在理由を育む場所でありますから、後世の落語家のためにも、できる限り存続させなくてはなりません。それが、芸の伝承者たる現役落語家の使命であり、義務でもあるのです。

 ならば、そのためにお前は何をしているんだ、と問われると大変に耳が痛いのですが、我らの代で寄席を潰すことは、許されません。