町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.74らん丈の、我ら落語家群像

2001.05.01(火)

 ぼくは神の存在を信じてはいますが、時として神は、人の智恵では到底理解の及びようもない振る舞いをなさることがあります。

 たとえば、つい先だってお亡くなりになった六世中村歌右衛門丈やシアトルマリナーズのイチロー、ヤワラちゃんこと田村亮子等のスーパースターは、それぞれ歌舞伎と野球と柔道の神にめ愛でられし者との想いを抱きます。

 ぼくが入門した昭和五十六年当時、あまた数多いる二ツ目の兄弟子の中で一際光り輝いていたのが、古今亭志ん八兄さん、後の古今亭右朝師匠でした。図抜けた資質に溺れることなく不断の努力を重ねて初めて得られる落語の果実を、まさにもぎ取らんとした勢いを、その高座に感じたものでした。

 その後数々の新人賞を総嘗めにして、真打昇進時には、単独でその披露を勤めたのもごく当然のことでした。まさに、落語の神に愛でられし者のみが持つオーラさえ、その高座に漂わせていたものです。
 文字通り順風満帆と傍からは見えたその落語家人生に思わぬ蹉跌を生じさせたのが、右朝師匠から声が奪われたことでした。落語家から声を奪う仕儀を、なぜ神が仕掛けられたのかは、到底人智の及ぶところではありません。しかも、よりによって声です。音楽家から音を奪い、美術家から光を奪うのにも等しい、最も肝要な働きを、神は右朝師匠から奪ってしまったのでした。筆舌に尽くしがたい塗炭の苦しみを神は与えたのです。旧約聖書におけるヨブのように。しかも、その原因が分かれば治療のしようもあったでしょうが、原因不明なのですから、神はなにゆえ何故にかほどに重い試練を右朝師匠に与えたのでしょうか。

 それでも退院することが出来、今年になってNHK第一放送の「真打競演」に出演できるまでに恢復することができたのでした。演目は『猫の皿』でした。往事を知る者としては、たしかに全快とは云いかねる声の調子でしたが、それでも一席無事勤められたことが、聴く者にも大きな歓びを与えたものでした。「やっぱり神様はいるんだな」と思ったのでした。時とともに快癒するだろうと、光明さえ見出した思いがしたものです。

 そこに届いた四月二十九日の訃報でした。ことここに到って、神はなんということをしてくれたのだと、怒りを禁じ得ませんでした。よりによって、右朝師です。落語の神にとって、ほ讃むべき者でこそあれ、なぜにその命をかほどに早く奪ってしまったのでしょう。神は右朝師の芸を独り占めしたかったからなのでしょうか。あまりと云えば、あまりに理不尽極まりない所業ではありますまいか。

 これからどんなにか大きな花を咲かせようかと窺っていたのにもかかわらず、永遠にその機会は失われてしまった真打、古今亭右朝。享年五十二歳。命日はみどりの日、因みに”みどり”は師の恋女房の名前でもあります。