町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.73らん丈の、我ら落語家群像

2001.04.01(日)

 その世界に入らないと分からない、特有の不文律というものがあります。ぼくは落語の世界しか知らないので、適切な例を出せないのが歯痒いのですが、敢えて一例を挙げれば、ぼくは”さん”づけで一向に構わないと思うのですが、議員同士がお互いを先生と呼び合うのも、傍からは奇異に感じる光景です。

 落語界の不文律の一々をここでつまびらかにはしませんが、勉強の仕方のみお知らせしましょう。それは、高座に尽きるのです。自他の高座を聴くしかありません。なぁんだ、当たり前じゃないかと、がっかりなさったかも知れませんが、これに優る勉強法をご存知の方には是非とものご教示を請いたいのです。

 その際、前(客席)にまわって見たくても、通常は許されません。つまり、我々にとって落語は商品です。その商品を同業者が断りもなく見ることは芸を盗む行為に等しく、演者の許可を得るのが最低の礼儀とされているのです。そのため大抵の場合、我々は高座の袖で、落語を見、あるいは聴くことになります。いくら何でもそこまでは、お咎めは及ばないからです。万が一、演者に無断で落語家が客席に座っていたらどうなるかって、あぁたそんな恐ろしいことを訊いちゃ駄目ですよ。それでなくてもぼくは気が小さいのですから。けれど、なにごとにも例外はあります。たとえば、人間国宝=重要無形文化財保持者が、客席に座って高座を見ていても、いったいだれがそれを非難しましょうか。いいえ、むしろ小さん師匠が客席にいらっしゃれば、どんな芸人だって、その高座を精一杯勤めようとします。それが実際に、三月二十七日の池袋演芸場昼席であったのです。

 池袋演芸場下席の昼席は二時開演なのですが、なんと一時二十分には、もう客席に小さん師匠が鎮座ましましていらっしゃったのです。そして、中入りまで一時間四十分もの長きにわたって我々の芸を聞いて下さったのです。さすがに小さん師匠も最後列の補助椅子に腰掛けていらっしゃいましたが、いかんせん決して広くはない池袋演芸場です。しかも、落語家のカミシモの目線をきる恰度その先にいらっしゃったのですから、気にするなというほうに、無理があります。もちろん、どんな理由があって(あるいは理由はなかったのかも知れませんが)、小さん師匠が客席にいらっしゃったのかは、分かりません。

 そのときに強く強く思いましたね。あぁ、一度で好いから、客席にまわって同業者としてではなく、単なる観客として寄席の芸を楽しみたいと。そうなのです。好きで入った寄席の世界を、最も楽しめないのがわれわれ芸人なのです。とまれ、これは何も芸界に限ったことではなく、あらゆる職業に通じることなのでしょう。野球好きな青年も、プロに入ったときから、球場はプレイを楽しむ場所からそこは戦場、と化すように。