町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.70らん丈の、我ら落語家群像

2001.01.01(月)

 まるで異なる人生を歩んでいた二人が、ある日劇的な邂逅を果たすことがあります。

 新年明けて早々の四日、その二人の落語家はあたかも示し合わせたかのように、TVに登場したのでした。

 ひとりは四代桂三木助師匠であり、もうひとりは上方の笑福亭小松師匠です。ご存知のように、前日不帰の客となった三木助師を、朝からどのワイドショウでもトップでセンセーショナルに報じていました。対して、四日午後九時十五分からNHKテレビ『にんげんドキュメント』で「いのちの独演会」と称して小松師の特集番組が放送されました。小松師は四年前に胃ガンが発見され、胃の全摘出手術を受けた後、体力の回復を待ち、日本を鹿児島から北海道まで踏破したのです。番組では、十三年振りとなる独演会に向けて稽古に励む姿を中心に描いていました。

 生前の三木助師と小松師がどこかで会っていたかどうかは、もちろん余人の知るところではありませんが、二人の落語家は意外なほど共通するものをもっていました。たとえば二人とも昭和三十二年の早生まれです。胃ガンの小松師はもちろんのこと三木助師も、内臓疾患の持病をかかえていました。そして二人ともに、病に冒されるまでは芸人らしい遊びっぷりを謳歌していました。また、小松師は前述の独演会によって平成十二年度の芸術祭賞演芸部門において優秀賞を受賞していますし、三木助師も平成九年度の芸術祭賞優秀賞を受賞しています。

 三木助師とは、大学の先輩に当たる関係でぼくの真打昇進の際にはお骨折りを頂いた以外には、同じ落語協会に属しているとはいえ接することの少ない師匠でした。ただ、その華のある高座を見るに付け、自らとの余りに大きい懸隔に、ただただ羨望の念を抱いたものです。

 比して、小松師の高座はTVでしか見たことはありませんし、ガンを発病する前と後とでは、その落語に取り組む姿勢がまるで別人のごとくに変わった、と周囲から漏れ聞くのみです。ただ、写真を見るだけでもその顔付きが病前病後では別人であるかのように変わって、いわゆる好い顔になっているのです。

 NHKの番組で小松師が、師匠笑福亭松鶴師の十八番「らくだ」を独演会のネタに選んだのは、このネタを高座に掛けなくてはまだ「死ねない」からだと語っていたのが、印象的でした。小松師の「らくだ」に当たるネタが、三木助師にとっては、実父でもある三代桂三木助師匠の十八番「芝浜」であったかどうかは、もちろんぼくの知るところではありません。ただ、三木助師自害の報を受けて、真っ先に思ったのは、落語家だからこそ自ら命を絶ったのではないのか、ということでした。殉死だったのかも知れません。依って、棺をおお蓋いても事は定まらないのです。