町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

はるかぜ vol.7 2009年12月号市政報告『はるかぜ』

2009.12.01(火)

・議員提出議案
・これからの町田市
・表決の基準

議員提出議案

 議員になって早くも4年を迎えようとしていますが、議員になりたての頃とくらべると、相当に充実した議会活動をさせていただいています。
たとえば、議員になって最初の議会から今に至るまで議会ごとに一般質問をしているのは、変わらないことです。ここでいう「一般質問」とは、つぎのようなものです。「議案に関係なく、市の行政全般について、市長や教育委員会等の執行機関に対して見解などを質問すること」です。
 それに加えて、最近は議員提出議案にも力を入れるようになりました。その議員提出議案のなかでも、特に意見書の提出に意を用いるようになったのです。ここでいう意見書とは、つぎのようなものです。「地方自治法99条 普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる。」おなじことを町田市のホームページでは、つぎのように記しています。「意見書は議会が、市の公益に関することがらについて、議決により議会の意思を決定して、国会又は関係行政庁(国・東京都等)へ提出するものをいいます。」
 今年の議会では、第3回定例会でつぎの意見書が全会一致で議決されました。それは、 「妊婦健診の公費負担の拡充を求める意見書」というもので、詳細は町田市議会のホームページをごらんいただければわかりますが、ごく簡単にいうと、「平成23年度以降においても、妊婦健診の国庫補助を継続すること」を国に対して意見した、ということです。
この意見書は、議員提出議案ですから、いうまでもなく現在33人いる町田市議会議員のうちのだれかが書いたのですが、その中心になってこの意見書を記したのが、ほかならぬらん丈でした。らん丈が書いた意見書が、全会一致をもって議決されたのですから、近来の快事でしたし、なによりも町田市に資することを行ったとの思いを強く抱くことができたのでした。
 地方議会議員は、国会議員と違って議員立法を行うことはできませんが、こうして議案を提出することはできるのですから、これからは、定例会ごとに議員として議案を提出することを考えています。そのことは、各定例会終了後に発行される『市議会だより』でも報道されますが、町田市議会のホームページでは逐次紹介されますから、是非、ご一読いただければ幸いです。


これからの町田市政府

 第2次世界大戦後、世界は戦争による惨劇からの復興を目指す過程で、福祉社会の構築を志向しました。
1929年に端を発する大恐慌により、主要工業国は為替管理を基礎に、従属国や植民地などを勢力圏としてとりまとめ、地域内で自足しようとするブロック経済を推し進めました。
それがひいては再び世界大戦を引きおこしてしまった一因となったとの反省から、世界の主要国はEEC(欧州経済共同体)の成立を契機として新たなブロック経済を敷き、東西冷戦構造が崩壊した後、同経済を脱し、グローバリゼーションへと大きく舵を切ったのです。その間一貫して、国民の安心と人心の安定が豊かで平和な社会の基盤をつくるという共通した認識がありました。
 しかし、大恐慌と第2次世界大戦は他方で人類に、まことに皮肉ながら果実をももたらしたのです。
そのひとつが、大恐慌後米国で、ルーズベルト大統領がニューディール政策を導入し、その一環で1935年に福祉社会の構築を法制化することによって、世界初の「社会保障法」が制定されたことです。
 もうひとつは、イギリスにおいて第2次大戦後、「揺りかごから墓場まで」という確固たる福祉思想がもたらされたことです。
ところが、それは30年ほどで財政負担に耐えられなくなり、英国では新自由主義を掲げるサッチャー政権が生まれました。
 その後、ベルリンの壁が崩れたことに象徴される社会主義陣営の退潮により、米国型の競争原理がグローバリズムの流れに乗って、いわばデファクトスタンダードとなり、EUや一部の国を除いて、日本を含む多くの国を席捲しました。
 その当時日本でも、小泉純一郎首相と竹中平蔵大臣を中心とする政権によって「小さな政府」を指向する路線が取られましたが、麻生太郎首相のあたりからそれがあやしくなり、民主党を中心とする政権に至り、事業仕分けこそ行ったものの、「大きな政府」への転換が視野にはいってきた感があります。
 では、わたしが議員を勤める町田市では、どんな政府=行政を目指すべきなのでしょうか。
 わたしは、地方交付税の不交付団体である町田市は、国からの地方交付税はこれからもほぼ交付されないことと、不況にともなう市税収の減収を考慮すれば、これからの町田市は当分の間は、歳入が減額されることが予測されます。
 すると、市債の大幅な起債を行わない限り、「大きな政府」を選択することはかなり難しいものと考えられます。
 ならば、財政規律を重視し、福祉の充実をないがしろにする「小さな政府」を志向すべきなのでしょうか。たしかに、野放図な放漫財政は許されることではありませんが、この政府を選択すれば、間違いなく福祉行政は後退することとなるでしょう。そうなると、ひとつの選択肢として、オバマ米大統領がいう「賢い(smart)政府」が有力なものとして浮かび上がってきます。
 「賢い政府」とは、オバマ大統領自身の説明によればつぎのようになります。
 「政府が大きすぎるか小さすぎるか、ではなく、それが機能するかどうかだ」というのです。「機能する」とは、workという動詞の日本語訳です。
 たしかに「賢い政府」とは、示唆に富んだ政府です。その政府では、この討議資料の4ページにある「一般質問」項目の、2007年第3回定例会や2009年の第4回定例会でわたしが採り上げた、「入れ歯回収ボックス」や「ワンクリック募金」のように、市民に新たな負担を押し付けることなく、歳入を増やすことを考えるのではないでしょうか。
 「入れ歯回収ボックス」とは、不要になった入れ歯を、市役所本庁舎1階入り口や社会福祉協議会に設置されている同ボックスに入れることで、入れ歯に埋め込まれている金属を換金しそれを益金として一部を町田市の歳入にしようというものです。これは、不要になった入れ歯ですから、市民の新たな負担は一切なく、町田市の歳入は増えるのです。
 幸いにも町田市は、わたしの一般質問を受け入れ、すぐに入れ歯回収ボックスを設置してくれましたから、このような施策には深い理解を持っています。
 賢い政府では、「選択と集中」がよりいっそう徹底されることでしょう。
 このようにわたしは、町田市が「賢い政府」となり、よく「機能する」ことができるよう、議員として精一杯の努力を続けていく所存です。


表決の基準

 表題の「表決」を、広辞苑であたるとつぎのとおりです。
 「議案に対する可否の意思を表示すること。」
 おなじ「表決」を、有斐閣の『法律学小事典』では、「合議体の構成員が、その審議の対象である一定の問題について、賛否の意思を表明する行為を表決とい」うと記載しています。
 いずれにしろ「表決」は、市議会の各定例会最終日に設定された、議員にとっては最も重要とされる行動です。
 それを英語ではwhipと表現し、名詞では「登院命令」を意味し、田村正勝(早大)教授は、「議会制民主主義は結局のところ多数決主義にほかならないから、どの政党も「登院命令(whip)」の制度を採用している」と、その著『社会科学原論講義』(早稲田大学出版部)で記しているところです。
 ちなみにwhipとは、動詞では「むちで打たれる」という意味ですから、議員は、表決の際「むちを打たれながら」議場に参集させられるほど、表決は重要なのです。
 では、議案に対する表決をわたしはどのように決めているのかといえば、ジャン・ジャック・ルソーの「一般意志」によっているのです。
 では、「一般意志」とはどんなものでしょうか。ルソーの『社会契約論』(井上幸治訳)によれば、その「第4編第1章一般意志は破壊することができない」につぎのように記されています。
 「採決に際しても、もはや全員の一致が支配することはなく、一般意志は、もはや全体意志ではない。意見の対立と議論が起こり、最良の意見といえども、論争をへないでは通らなくなる。」「一般意志は、常に変わらず、純粋である。しかし、この場合、一般意志は、それに打ちかつ他の意志に従属しているのである。」
 すこしわかりにくい説明ですので、ふたたび田村教授の『社会科学原論講義』にあたると、そこにはつぎのように記されています。
 「自由討論を通じておのずと均衡価格ならぬ、市民が従うべき「適正な意志」すなわちルソーの説いた「一般意志」が明らかとなるという原理である。」「では(略)一般意志とは何か。
 これは各人の私的な「個別意志」ではないことはいうまでもないが、それらの多数の意志や、それらの意志の総和である「全体意志」でもなく、つねに共通利益を目指す全員共通の意志である。それは、社会の構成員の個別意志を超越した「普遍的は社会」が実体として存在することを前提とし、その普遍的な社会がもつべきだと思われる意志である。要するに個人的な意志や全体意志を超越した、先験的な存在論的意志にほかならない。」
 このような「一般意志」を考えて、わたしは「表決」にあたってそれを表明するのです。