町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

樋口一葉『たけくらべ』らん読日記

2004.10.03(日)

 『たけくらべ』を読むのは二十数年ぶりのことでしたが、もはや初読の時の感想は覚えていません。

 読み終えて、初読の時にも抱いたかもしれない違和感を覚えました。ただ、それが何に由来するものなのか判然とはしなかったのですが、佐藤正午の『たけくらべ』に関する小論を読み、氷解したので、それを記します。

 佐藤が注目するのは、本作が「廻れば」と、動詞で始まっていることです。
 たしかに多くの小説は、名詞や代名詞で始まっているのにもかかわらず、冒頭の箇所ばかりでなく、本作を構成する全十六章のうち、冒頭以外でも四章は動詞で始まっているのです。

 こうして、本作は佐藤がいうように、“夢のように滑り出してはっと目覚めるように終わってい”ます。つまり、違和感のひとつは、動詞で始まる書き出しにあったのでした。

 もうひとつは、動詞で始まるだけでも斬新なのにもかかわらず、章の締めくくりを、第八章のように、話し言葉でぽんと終わっていることです。

 このように一葉は、何ものにも拘泥されることなく、融通無碍に文章を紡いでいます。つまり一葉は、余りに若い年齢にしてかつたけることに成功し、小説技法を自家薬籠中の物とした、稀有な作家ということになります。
 ぼくはその手腕に見事に幻惑され、冒頭に記したように、違和感を覚えたのでした。

 佐藤正午「書く読書」7『たけくらべ』(「図書」二〇〇四年七月号)を参考にしました