町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

隈 研吾・清野 由美『新・都市論TOKYO』(集英社新書)らん読日記

2008.03.14(金)

 早稲田大学の学友と話していたら、あるタレントがラジオで、「町田市民ほど、自分の住む街(つまり、町田市)に深い思い入れを持っている住民はいない」という旨の発言をしていたことを知らされました。
 なるほど、そう言われるとそうかもしれません。

隈 研吾〈東京大学〉特別教授・名誉教授の「町田」観

 たとえば、2006年上半期の第135回直木賞を受賞した『まほろ駅前多田便利軒』の著者、三浦しをんさんは当時町田市に在住しており、同作品も町田市と覚しき都市が舞台となっていますが、その舞台を三浦しをんは、次のように記しています。

 「まほろ市は、東京都南西部最大の住宅街であり、歓楽街であり、電気街であり、書店街であり、学生街だ。スーパーもデパートも商店街も映画館も、なんでもある。福祉と介護制度が充実している」「まほろ市民として生まれたものは、なかなかまほろ市から出ていかない。一度出ていったものも、また戻ってくる割合が高い」「外部からの異物を受けいれながら、閉ざされつづける楽園。文化と人間が流れつく最果ての場所」と。

 なるほど、概ねこの通りですね。特に最後の文章は、プロながらうまいことをいうものだなと、感じ入った次第です。
 さて、このような町田市を、高く評価している建築家がいらっしゃるのを、みなさんは御存じでしたでしょうか。

 その建築家とは、東京大学大学院工学系研究科の隈研吾教授です。隈氏は実に多くの名建築の設計に携わってきましたが、近年では、新歌舞伎座や東京ミッドタウン内のサントリー美術館が有名です。あるいは、村野藤吾賞を受賞した馬頭町広重美術館も然りです。ぼくが感動したのは、青山にある梅窓院という寺院です。

 そこでは、竹をふんだんに使ったしつらえが目を引き、この寺院の設計者はどなただろうと調べると、隈研吾に行き当たったというわけです。
 その隈氏と清野由美さんによる論考『新・都市論TOKYO』(集英社新書)が、町田を大きく採り上げています。

 そこでラインナップされている都市は、登場順に以下の通りです。汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田、そして北京。
 北京は中国なので、除外すると、東京の5つの都市が取り上げられているなかで、町田はその中で唯一、23区外に位置する都市です。

 では、どうして隈氏は、町田を取り上げたのでしょうか。その理由は、町田編冒頭の文章がなによりも雄弁に語ってくれています。

 “今、東京という都市の中で、どの街が一番面白いかと問われたら、僕は躊躇なく「町田」と「秋葉原」と答える。(中略)二つの街どちらにも共通するのは、リアリティとヴァーチャリティとの接合、しかもバッファー(緩衝材)の欠如した接合である。”
 “二〇世紀に登場した「郊外」という形式こそ、バーチャルな都市の先駆者である。様々な歴史、時間が染み付いているはずの「土地」の上に、その場所とは無関係な「夢」を強引に構築する方法で作られた街が「郊外」と呼ばれたのである。(後略)

 町田にはどこからか染み出てきたような、あか抜けしない泥臭さのようなもの―それをリアリティと呼んでもいいであろう―が、私鉄的なフィクションの隙間から顔を出し、流れんばかりの勢いで、街全体を覆っている。”

 隈氏は、町田の面白さを、「優等生的」面白さではなく、“二〇世紀的手法の限界を露呈している面白さ”と表現しています。それがために、上記のように、町田という都市にはリアリティが備わっているというのです。

  “こじゃれたファッションブティックの隣で、昔ながらの乾物屋が賑わいを呈し、また一歩路地に迷い込めば、外国人の客引きが風俗店へと誘う客を品定めしている。コーヒーショップの中では、明らかに風俗系と思われるお姉さんが、私鉄系の奥様やその子とおぼしき若者たちと隣り合ってカプチーノをすする。そんなわけの分からない混在がこの街では常態化しているのである。”

 隈氏は、“都市とは、そもそも相反し、矛盾するものが出会う場所”と規定し、“単一原理によって埋め尽くされた「村」と、都市との差異はそこにある”、というのです。

 また、隈氏はこうも語っています。
 “町田の駅前は血圧が高くて、下手すると熱病に感染しそうな勢いですね。”

 隈氏が指摘するように、町田市は活力に富んでいるがために、その活力が人を呼び、昭和33年(1958年)2月1日に町田町、鶴川村、忠生村、境村の1町 3村が合併し、東京都で第9番目の市として市制を施行した当時は、人口が6万人でしたが、それから半世紀を経て今や、42万人を窺おうとするまでに伸張、発展できたのでしょう。

 もちろんそれは、人的資源に恵まれた町田市ならではの、先人の方々によるたゆまざる努力の賜物であります。だからこそ、“僕は町田を少し甘くみていたようです。この街は面白い。今まで見てきたどの街より面白いですよ”と、隈氏も讃嘆してくれているのでしょう。

 議員としてのらん丈は、様々な提言を、一般質問等を通して町田市に常に問いかけています。その模様の一端は、らん丈のブログにてもご確認できます。是非一度ご覧下さい。⇒https://d.hatena.ne.jp/ranjo/