町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

一橋大学 国際・公共政策大学院「憲法政策」期末リポート大学での活動

2012.02.20(月)

【箇所】一橋大学 国際・公共政策大学院 公共法政プログラム
    一橋大学大学院 法学研究科 修士課程・博士後期課程
【科目】憲法政策
【開講学期】2011年度 冬学期[2単位]
【担当】渡辺 康行 教授〈一橋大学大学院 法学研究科〉
【テキスト】松井茂記『LAW IN CONTEXT 憲法』(有斐閣、2010年)
【テーマ】上掲書Q29「介護請求権と生存権」

【構成】
1、介護請求権と憲法
2-1、憲法25条「生存権」
2-1-1、朝日訴訟
2-1-2、堀木訴訟
2-2、憲法13条「幸福追求権」
2-2-1、憲法13条「社会参加の権利」
2-3、憲法13条及び憲法22条1項「身体の移動の自由」
2-4、憲法14条「平等権」
3、鈴木訴訟(東京地裁平成18年11月29日判決)
3-1、事実の概要
3-2、判旨 一部訴え却下、一部請求棄却
3-3、検討
1 本件各処分の取消しを求める訴え等の適法性
2 本件各処分の適法性について
3-4、おわりに

なお、脚注の部分は省略している。

1、介護請求権と憲法
 障害者基本法は、その3条で下記のような規定をもうけることで、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関する基本的理念を定めている。

「3条 (前略)全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ、次に掲げる事項を旨として図られなければならない。
一  全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること。
二  全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと。
三  全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること。」 

 そのうえで、同法14条3項は、次に示すような規定をもうけている。「国及び地方公共団体は、障害者が、その性別、年齢、障害の状態及び生活の実態に応じ、医療、介護、保健、生活支援その他自立のための適切な支援を受けられるよう必要な施策を講じなければならない。」

 この条項を受けて、身体障害者については、身体障害者福祉法によって、障害のためにみずから移動できない場合に移動介護の給付金を支給してきた。そこでは、移動介護支給量は列挙された勘案事項を考慮して決定するものとされていたが、東京都大田区のように、「大田区居宅介護支援費(移動支援)の支給決定に関する要綱」 に基づいて支給量の上限を定め、支給量を限定した地方公共団体もあった。そこで、この要綱及び限定処分の違法性が訴訟で争われてきた(後掲の鈴木訴訟)。

 その後、障害者自立支援法の制定により、同法が2006年に施行されるにあたり、移動介護給付金は、地方公共団体が行う地域生活支援事業の中の移動支援事業と位置づけられた 。

 こうして地域生活支援事業は、基本的には基礎自治体である地方公共団体が負担するものとなった 。つまり、予算の範囲内で国からの補助金が出るにすぎない事業となったのである 。

 そのため、多くの地方公共団体では、主に財政上の理由により、障害者のニーズにあったすべての移動支援事業を従前どおりに行うことは、困難なものとなった。

 設問では、当該東京都大田区のように自治体の施策で移動支援事業の上限を定めた場合に、これを憲法違反として争う可能性を問題としている。

 そこで、論点をまとめると下記の諸点となる。
 身体障害者にとって、社会参加のためには移動介護給付を受ける、あるいは移動支援事業を利用できることが不可欠のこととなる。
 それについて、憲法には、身体障害者の移動介護や移動支援請求権を保障した明文の規定はない。

 本件で、移動介護、移動支援事業の支給量の限定を憲法違反として争うためには、憲法にあるいずれかの基本的人権に依拠して、その侵害として争うことになる。

 これをうけて以下に、憲法にある基本的人権に関する条項を列挙する。

2-1、憲法25条「生存権」
 憲法25条では、生存権が規定されている 。
 これを受けて、生活保護法、身体障害者福祉法などの各種の社会福祉立法がなされ、それに基づく社会保障制度が設けられた。

 介護請求権が、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」際に不可欠であるとするならば、生存権に含まれうると解しうる。

 身体障害者福祉法1条で、「この法律は、障害者自立支援法 と相まつて、身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進するため、身体障害者を援助し、及び必要に応じて保護し、もつて身体障害者の福祉の増進を図ることを目的とする」としており、身体障害者は、「自ら進んでその障害を克服し、その有する能力を活用することにより、社会経済活動に参加することができるように努めなければならない」 とされている一方、「すべて身体障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられるものと」 されている。それゆえ、国及び地方公共団体は、この理念が実現されるように配慮して、「身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進するための援助と必要な保護(以下「更生援護」という。)を総合的に実施するように努めなければならない」 ものとされる。

 こうしてみると、身体障害者福祉法による移動介護給付は、身体障害者が社会参加するために不可欠な給付である。これを国から、地方公共団体が行う地域生活支援事業の中の移動支援事業へと制度を変更したことで、この支給を受けることが身体障害者の権利であることが、国の責務から解放されたことによって、国民の権利の視角としては曖昧にされたものと観念されるが、現行の障害者自立支援法のもとでも、移動支援事業が、身体障害者が生きていく上で不可欠なものであることに何らの変化も及ぼされていない。

【論点】
 憲法25条1項の生存権の規定は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しているが、はたして、健康で文化的な最低限度の生活を保障する生存権は、身体障害者が外出するときに移動介護を求める権利ないし移動支援を受ける権利を含むのであろうか。従来の理解では憲法25条1項は生活に困窮している人に生活保護を受ける権利 を保障したものだと理解されてきたが、2項の規定とあわせ、人間らしく生きてゆくために必要な政府の支援を求める権利と解釈することができれば、憲法25条1項から身体障害者の移動介護ないし移動支援を求める権利も包含されているとの結論を導きだすことも可能となる 。

 ただ、その場合、何が人間らしい生活なのか、健康で文化的な最低限度の生活とは何かを決定する客観的な基準があるかが問題となる。
 そこで、最高裁判所はこの件に関して、どのような判断を示したのかをみてみたい。

2-1-1、朝日訴訟
 1956年当時の生活扶助費月額600円が、健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りるかどうかが争われた事件。

 朝日訴訟第1審判決(東京地裁35・10・19)は、原告(朝日茂)の主張を容れ、厚生大臣の設定する生活保護基準が健康で文化的な生活水準を維持することができる程度の保護に欠ける場合、当該基準は生活保護法8条2項・2条・3条等に違反し、「ひいては憲法第25条の理念をみたさないものであって無効といわなければならない」と判示し、憲法25条の裁判規範性を認めるに至った。これを契機として、憲法25条を具体化する法律によって生存権の権利性が実質化されるとする抽象的権利説、具体化する法律が存在しない場合でも同条の裁判規範性を認める具体的権利説などが展開された。憲法学では、生存権が一定の範囲で裁判規範としての効力を有することを前提として、立法裁量との関係で違憲審査基準をどう考えるかに関心が寄せられ、またいついかなる訴訟類型においていかなる違憲審査基準によって生存権が裁判上保障されるかが議論されてきた。

 これに対し、朝日訴訟最高裁判決(最大判昭42・5・24)は、傍論としてではあるが、「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない」と判示し、広範な行政裁量を認めた。

 その後の最高裁判例も、基本的に広範な立法・行政裁量に委ねられるとの立場を堅持し、今日に至っている。

 ただし、「最低限度の生活水準の内容が厚生[労働]大臣の裁量的決定にまったく委ねられているとする解釈は、はたして妥当かどうか、問題となる。何が最低限度の生活水準であるかは、特定の時代の特定の社会においては、ある程度客観的に決定できるので、それを下回る厚生[労働]大臣の基準設定は、違憲・違法となる場合があると解すべきであろう」 とするのが通説である。

 従来の生存権論は次のような特徴・限界を有していた。「社会保障の歴史的生成に伴う必然性(資本主義経済の矛盾の露呈と、その緩和・調整策としての社会保障)という以上に、生存権そのものの理念的基礎づけが必ずしも十分になされてこなかった。今日、人権を「人間の尊厳」といった観念のみで根拠付けることの問題性が指摘される理論状況の下、生存権そのもののいわばメタ理論的な基礎付けが求められる」 。

2-1-2、堀木訴訟
 原告(堀木フミ子)は、全盲の視力障害者として、障害福祉年金を受給していたが、同時に、寡婦として子どもを養育していたので、児童扶養手当の受給資格の認定を申請したところ、年金と手当との併給禁止規定に従って申請は却下された。そこで、併給禁止規定は、憲法25条・14条に反しないかが争われた。

 最高裁は、憲法25条については、「健康で文化的な最低限度の生活」とは、きわめて抽象的・相対的な概念であって、立法による具体化が必要であるとし、憲法25条に基づく立法措置についての選択決定は立法府の広い裁量に委ねられているとした。そして、併給禁止条項により障害福祉年金受給者とそうでない者との間に児童扶養手当の受給に関し差別が生じても、広汎な立法裁量を前提として判断すると、差別は不合理なものとは言えない、と判示した。しかし、この判決には、生存権が生きる権利そのものであることを考えるならば、むしろ精神的自由の場合に準じて、差別の合理性を事実に基づいて厳格に審査しなければならない、という批判も強い。「判決の言うように、障害福祉年金と児童扶養手当が基本的に同じ性格のものだとしても(性格が異なると解する学説もある)、具体的な生活実態等との関連において合理性の有無を判断するのが、妥当であろう」 との見解がある。

【論点】
 上記朝日訴訟及び堀木訴訟では、何が健康で文化的な最低限度の生活なのかを確定する政府の裁量を広く認めているので、本件で移動支援事業の支給量が憲法的に不十分だと主張するためには、政府の裁量には限界があり、明らかに不合理な場合には、裁判所は違憲と判断しうると主張するとともに、本件支給量の制限は明らかに不合理なので憲法25条1項に反すると主張しなければならない。

2-2、憲法13条「幸福追求権」
 憲法13条は、幸福追求権に関する規定である。「この幸福追求権は、はじめは、十四条以下に列挙された個別の人権を総称したもので、そこから具体的な法的権利を引き出すことはできない、と一般的に解されていた(中略)が、幸福追求権によって基礎づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利である、と解されるようになったのである」 。

 憲法13条の幸福追求権規定は明文根拠を欠く基本的人権の総則規定と解されており、そこで保護を受ける権利の範囲は人格的生存に不可欠な権利に限られるとする人格的利益説と個別の人権を保障する条項との関係は、一般法と特別法との関係にあると解されるので、個別の人権が妥当しない場合にかぎって十三条が適用される補充的保障説(一般的自由権説)とがある。

【論点】
 本件の場合、身体障害者の移動介護ないし移動支援が人間の尊厳に不可欠だというのであれば、いずれの立場でも保護を受けうるのかもしれない。ただし、幸福追求権はあくまで自由に限られるのか、それとも政府によるサービスを求める権利まで含みうるのかについては見解が対立している。それゆえ、本件で、移動介護ないし移動支援を求める権利を幸福追求権というためには、幸福追求権には、政府による支援を求める権利も含まれると主張しなければならない。

 もし人間の尊厳にふさわしい取り扱いを受ける権利が憲法13条前段もしくは幸福追求権として認められた場合にも、本件で支給量を限定したことを違憲だというためには、人間の尊厳にふさわしい取り扱いについての客観的基準があり、その基準を満たしていないと主張しなければならない。

2-2-1、憲法13条「社会参加の権利」
 移動介護ないし移動支援がないとBさんは、自由に外出することができない。すると、そのいずれかあるいはいずれもの支給を政府が怠った場合、憲法13条に反するという主張は可能であろうか。

 社会参加の権利を幸福追求権に含ませるためには、一般的自由権説をとるか、人格的自律権説をとって社会参加は人間の人格的自律のために不可欠であることを理由に保護を主張しなければならない。

 そのうえで、本件では社会参加が政府によって妨げられているわけではなく、政府は移動介護ないし移動支援事業によって移動支援する義務があることも主張する必要がある。

 そして、本件では移動支援事業の支給量を限定したことが、不合理であって、当該の権利を侵害すると主張し、それが受け容れられなければならない。

2-3、憲法13条及び憲法22条1項「身体の移動の自由」
 身体の移動の自由に関して、それが憲法22条1項の居住、移転の自由に含まれるべきか、憲法13条の幸福追求権に含まれるべきかについては、意見に相違が生じるかもしれないが、移動の自由が憲法の保護をうけうるべきことであることに異論はないであろう。

 次に問題とされるのが、本件の場合、政府がBさんの移動を制限してはいないことである。Bさんとしては、外出の際に、移動介護ないし移動支援が不可欠なため、政府に介護ないし支援を求める権利が保障されるべきだという主張を行っている。したがって、Bさんの主張が受け容れられるためには、移動の自由だけではなく、移動の自由を実質的に保障するための移動への支援を求める権利を主張し、それが受け容れられる必要がある。そのうえで、移動支援事業の支給量の不合理な限定はこの権利を侵害すると主張しなければならない。

2-4、憲法14条「平等権」
 憲法14条1項の平等権に基づく主張もかんがえられる。
 その場合、政府があるサービスを提供しないことによって実質的に身体障害者が移動外出することができず、人間らしい生活ないし健康で文化的な最低限度の生活ができない点を平等権の侵害として主張しなければならない。その際、平等権がすべての人に人間らしい生活ないし健康で文化的な最低限度の生活を送る権利を要求しているかどうかが問題となろう。

【論点】
 上記の平等権侵害が主張できた場合には、その侵害が不合理であることを主張しなければならない。その際、身体障害者に人間らしい生活ないし健康で文化的な最低限度の生活を実質的に保障しないことそれ自体が差別であり、不合理だと主張することになろう。その場合には、本件制限が人間らしい生活ないし健康で文化的は最低限度の生活を営むことを不可能にする不合理な措置かどうかが焦点となろう。

3、鈴木訴訟(東京地裁平成18年11月29日判決)
 本件は、支援費制度において、移動介護量の一律上限を定めた東京都大田区の要綱に基づき、要綱制定前は124時間の移動介護量のあった者が32時間あるいは42時間にされたことにつき、身体介護を伴う移動介護に係る居宅生活支援費の支援費支給決定処分の取り消しと支援費支給決定の義務付け等を求めて争われた事案である。

 本判決は、後述のように、原告の訴えを却下・棄却するものであったが、身体介護を伴う移動介護に係る居宅生活支援費の支給決定処分の違法性を判示しており、実質的には原告の請求趣旨はほぼ認められたものとなっている。

3-1、事実の概要
 原告Xは、脳性麻痺による両上肢機能障害及び移動機能障害を有する身体障害者(1級)である。平成15年3月29日、被告Y(大田区)はXに対し、平成15年支援費支給決定として、平成15年4月1日から平成16年3月31日までの期間、旧身障法に基づいて身体障害者居宅介護(移動・身体介護有(月124時間)、日常生活支援(月310時間))とする居宅生活支援費の支給決定を行った。

 Xの希望により申請されていた平成15年支援費支給決定の支給量の変更につき、平成16年3月4日、日常生活支援の時間数を増やす変更をする旨の決定がなされたが、移動・身体介護有の支給量は月124時間で維持されていた。

 ところが、同年3月、訴外Cが支援費支給決定に係る勘案事項の調査を実施しようとしたところ、Xがそれを拒み、3月31日、Yは「大田区居宅介護支援費(移動支援)の支給決定に関する要綱」(以下、「本件要綱」という。)6条により、身体介護を伴う移動介護に係る居宅生活支援費の支給量を1ヶ月あたり32時間とする支援費支給決定を行った。

 このため、Xは、本件要綱6条は、旧身障法に反し違法であるなどと主張し、1、処分行政庁がXに対して行った本件各処分のうち身体介護を伴う移動支援にかかる居宅生活支援費の支給量につき1ヶ月当たり32時間あるいは42時間を超える部分の申請を棄却した部分の各取り消し、及び身体介護を伴う移動介護にかかる居宅生活支援費の支給量を1ヶ月当たり「124時間」とする旨の義務付け、2、本件要綱6条(2)及び(3)の違法確認、3、居宅生活支援費としての金員の支払いの義務付け、国家賠償としての金員の支払いを求めた。

3-2、判旨 一部訴え却下、一部請求棄却
 以下では、本判決の主たる争点である1、及び2、について判旨のみを紹介します。

1 本件各処分の取り消しを求める訴え等の適法性について
 申請に対する拒否処分の取消訴訟における訴えの利益は、「申請に対する許可等の処分によって生ずべき法律上の地位の取得それ自体にではなく、このような地位取得の可能性の回復という点に存する」ことから、本件処分の根拠となった旧身障法17条の5が障害者自立支援法附則34条により廃止されているところ、「仮に本件各処分を取り消したとしても、処分行政庁は改めて原告が本件訴えにおいて求めている処分をする法律上の根拠を失っており、これによる法律上の地位の取得自体が不可能となるに至ったといわざるを得ないから、……本件各処分の取消訴訟は不適法である」とされた。

2 本件各処分の適法性について
 審理の経過及び事案の性質を考慮し、本件各処分の適法性について検討するとして、本件各処分の適法性の判断を行うと下記のとおりである。

(1)「旧身体障害者福祉法等の規定によると、市町村が居宅生活支援費の支給量を定めるに当たって、個別の身体障害者に係る勘案事項を勘案することのほか、何ら具体的な基準を定めていないから、個別の身体障害者に係る勘案事項を勘案し、各身体障害者に対しいかなる種類の身体障害者居宅支援をいかなる支給量をもって行うかということは、勘案事項の調査の結果を踏まえた市町村の合理的裁量にゆだねられているというべきである。」「したがって、裁判所が身体障害者に対してされた支給量に係る決定の適否を審査するに当たっては、当該決定が裁量権の行使として行われたことを前提として、その判断の過程において考慮すべき事項を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし妥当性を欠くものと認められるような場合に、裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとして違法となると判断すべきものと解するのが相当である。」

(2)本件処分に関して、「処分行政庁は、原告が『社会通念上必要不可欠な外出』を認識しており、これを身体介護を伴う移動介護に係る支給量を定めるに当たって考慮すべきであったにもかかわらず、これを考慮しなかった」のであるから、「社会通念に照らし妥当性を欠くものと認められるというべきであり、処分行政庁は、その有する裁量権の範囲を逸脱したものといわざるを得ない。」

(3)「(本件要綱)に基づいて処分行政庁が『余暇活動等の社会参加のための外出』に関する移動介護に係る支給量を決定することは、少なくとも、当該決定によってそれまで必要として支給されていた移動介護に係る支給量が激減することとなる障害者についてこれを行う限りにおいては、裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとして違法となるというべきである。」

3-3、検討
1 本件各処分の取消しを求める訴え等の適法性
 判旨1は、法の改廃によって取消訴訟の対象となっている行政処分を取り消すことによって権利・利益回復の客観的な可能性と法的紛争解決の実益が存しない−狭義の訴えの利益がないことを理由に訴えを却下した。

 本件のような法律の改廃による「回復すべき法律上の利益」の存否についてであるが、本判決が引用した訴訟係争中の根拠法令の改正が問題となった家永教科書第二次訴訟上告審判決では、法令の改廃により、法益の回復の可能性が皆無となる場合、訴えの利益が消滅すると判示している。通説・判例も「法律上保護された利益」説を採りながら同様に解する。

 本件のように、障害者自立支援法附則34条により、平成18年4月1日をもって旧身障法17条の5が廃止される場合、仮に当該処分の取消判決が出たとしても、旧身障法17条の5に基づく居宅生活支援費の支給量決定処分を行うことはできない。通説・判例の立場を前提にすると、判旨1の結論はそれなりに首肯できるものの、みなし規定の適用により、障害者自立支援法施行後も支給量の実質的な内容は変わらず、同じ当事者が向かい合うという構図に変化はないため、処分の違法性を宣言する実益はなおも存すると解することもできる。

2 本件各処分の取消しを求める訴え等の適法性
 支援費制度はサービス利用者個人に対しその障害の種類と程度に応じて支給される点では、個人の障害の程度に応じた費用という発想が基本的にはなかった従来の措置制度と大きく異なる。また、支援費制度は介護保険制度の要介護認定とも異なり、個別ケースにおいて勘案事項を勘案して総合的に決定するものである。旧身障法は勘案調査等をもとに、障害者の個別のニーズごとに支給量を決定することを要請していることが認められること、本件要綱6条の規定に支給量の加算があるとしても、「特段の事情」の有無の判断を厳格に解することにより支給量が激減すること、支援費決定にあたっては、旧身障法の趣旨はもちろんのこと憲法25条及び13条の規範的要請を受けることなどを総合的に勘案すれば、本件各処分は、個々の障害者のニーズに相応しい支援費支給の決定を行ったとはいえず、本判断は妥当であるといえよう。

3-4、おわりに
 学説では、かねてより、介護サービスについては、憲法13条や憲法25条などとの関連で求められるサービスの水準が保障されていないのではないのかという疑問が呈されていた。

 そもそも自らの生き方の追求は、障害者であっても健常者であっても等しく認められるべきものであるから、障害者が自らの行き方を追求し全うするための前提条件を確保することは、憲法規範的に保障される権利として考えるべきものであろう。

 本判決では、旧身障法では障害者の個別のニーズに合わせて支給量が決定されるべきである旨を説示し、被告の主張を否定して処分行政庁の姿勢を強く戒めている。そのため、本件要綱は、憲法13条や憲法25条など憲法規範的にもあらためて問い直さなければならないものといえよう。

 社会保障給付の特質を見定めた行政事件訴訟の判例理論の構築がなお充分とはいえない状況の段階では、現在の判例法理を踏まえる限り、訴えを却下する本判決の結論は受け容れざるを得ないものと考える。しかし、本件処分の違法性が示されているのであるから、「なお、付言するに」として「今後、原告について、障害者自立支援法等に基づく処分をするに当たっては、処分行政庁において、同法の趣旨及び目的並びに前記の判断の内容を踏まえ、同法の運用を適切に行うことが期待されるところである」と説示して、障害者自立支援法に基づく今後の処分に変更を強く要請している裁判所の声に、処分行政庁は真摯に耳を傾けねばならない。

【参考文献】
芦部信喜・高橋和之補訂『憲法』第五版(岩波書店、2011年)
野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法』1〔第4版〕(有斐閣、平成18年)
阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』[全訂第三版](有信堂、2008年)
菊池馨実『社会保障の法理念』(有斐閣、2000年)
加藤智章・菊池馨実・倉田聡・前田雅子『社会保障法』〔第4版〕(有斐閣、2009年)
原田啓一郎「移動介護量の一律上限を定めた要綱に基づく障害者支援費の支給決定の違法性」『賃金と社会保障』No.1439(2007年4月上旬号)14-21頁。