町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

立教大学 経済学部 ゼミナール「現代地方財政の研究」大学での活動

2000.04.30(日)

【機関】立教大学 経済学部専門教育科目
【学科目・テーマ】ゼミナール・現代地方財政の研究
【開講学期】2000年度 通年[4単位]
【担当】野呂 昭朗 教授〈経済学部 経済学科〉
【リポートテーマ】遠い昔のonly yesterday−人が幸せになるために preface1

1. 大学に再入学して思うこと。
 今春19年振りに立教に戻って、つくづく歳を取っていて好かったと思う。なぜならば若者よりは確実に、死が近いことを実感できるからです。そもそも生きることはあまり楽しいことではない。
 美味しいものを食べ食欲を満足させたり、異性を愛する歓びや、あるいは勉強をして知的満足を得る喜び、美しい詩文に接したときに味わう文学的感興等、生きていればこそ味わえる愉悦は多々あるものの、生きるとはあまり楽しいことばかりではない。
 生きる歓びとは、云ってみれば梅雨の間の晴れ間のように、苦しみに耐えたご褒美としてほんのたまに下さる神様からの贈り物のようなもの。
 基本的には人生は辛く苦しいもの。

2. 自死の逆説
 人は往々にして死が怖いから、自ら死を選ぶ。
その例として、死を宣告された患者が自殺してしまうケースが挙げられよう。
 死を宣告されたのだから従容として死に臨めば自然に死が迎えてくれるのに、人は自ら死を選んでしまうことがある。

3. 何故辛いのに我々は生きるのでしょうか。
幸せになるため。

4. 学問は何のために存在するのでしょうか。
 人を幸せにするために学問はある。
学問は幸せになるための手段ではなく、目的である。
大学の卒業免状が欲しくて入学した者は、卒業すれば勉強をしなくなる。

 卒業免状を欲しない者は、大学に入学しない。
こうして、怠惰なエリートと蒙昧なる大衆が生み出される。
大学教育における最大の目的のひとつはliberal artsを学ぶこと。

 liberal artsとは、文字通り、自由になるための手段を掌中のものとすること。

 つまり、自由に時間と空間の壁を乗り越えることである。すなわち、人類の知的遺産である古典を読みこなし、他国言語をマスターして、時間軸と空間軸を易々と乗り越える力がliberal artsである。

 あらゆる学問の第一義は上記のように人を幸せにすることである。

 ならば第二義は、ひとは何処から来て何処におり、そして何処に行こうとしているのかを明らかにすることである。この考察を怠れば人は歴史のただ中で途方に暮れ、迷子になってしまう。

4. Economicsを経済学と日本ではいつ誰が訳したのか。
Economics(英)の語源はOikonomikos(ギリシヤ語)に由来する。
「オイコノミコス」とは、共同体のあり方、という意味。

 経済とは、王通(AD584〜618)(随の学者)「文中子」における、経世(国)済民=国を治め民を救う、に因んで訳した。
 西周『百学連環』より
  「近来津田氏世に之を訳して経済学といへり」
 津田真道(明治初期の官吏、法学者)。西周、榎本武揚らとオランダに留学。帰国後、開成所(現在の東大)教授。

5. 日本という国名。
e.g.日本大学、日本経済新聞、日本海、日本そば、日本酒、日本書紀、日本史etc.
「にほん」という国は何処にもない。正式には「にっぽん」である。紙幣を見よ。(その後、どちらでも可であることが、閣議決定された)
 NIPPON GINKOと記してある。地球上の何処に、自国名を間違って発音する国民がいるのか。

6. 日本はいつからそう呼ばれるようになったのか。
 689年、大后鸕野讃良(うののさらら)は完成した最初の本格的な令である浄御原令(きよみはらりょう)を施行した。

 この令に「倭」にかわる国号「日本」、大王にかわる王の称号「天皇」、そして「皇后」さらに「皇太子」が初めて制度的に定められ、日本国はここにはじめて列島に姿をあらわし、天皇の称号も初めて正式のものとなったのである。

 因みに「倭」とは、チビ。ぐにゃぐにゃと小さい感じのこと。
この「日本」とは部族名でも地名でもなく、日の出るところ、つまり東の方向を意味し、太陽信仰を背景にしつつ、中国大陸を強く意識した国号であった。

 ここで、他国名の由来に思いを馳せたい。例えば、Franceは古代高地ドイツ語での「投げ槍」にその淵源を見出すことが出来る。つまり、フランスを構成したフランク族は投げ槍を主要な武器としたからである。あるいは、アメリカ合衆国とは、何がアメリカと呼ばせるのだろう。イタリアの探検家、Amerigo Vespucci(1451〜1512)が1501年ブラジル沿岸を南下、探検調査し、その詳細な旅行記を出版したことに、その嚆矢を見出す。翻って、日本の由来は、日の本である。そこに人は幾ばくかでも、人の思想の重みを感じることが出来るだろうか。せめて、投げ槍や探検者の名前ほどの具象を見出すことは、求める方が野暮なのか。

7. 日本の前はどんな国名だったのか。
 「大和」の国。あるいは、大和の異称、秋津島・秋津洲・蜻蛉洲と呼んでいた。
 秋津とは、奈良県御所(ごせ)市付近の地名。異論として、奈良県吉野郡吉野町宮滝付近という説もある。
 神武天皇(第一代天皇)が大和の国の山上から国見をして、「蜻蛉(あきづ)の臀(となめ)の如し」と云った伝説がある。『神武記』この「臀」とは「あとなめ」=交尾の意。とんぼの雄同士が互いに尾をくわえて輪になって飛ぶこと。連環状の地の表現。

 日本では、古くから男色はごく常態。トンボも雄同士で群れる昆虫。勝ち虫といって、武士も好んだ。

8. 日本のシンボルについて。
 日本国憲法第一条によれば、主権は我々国民に存する。左のことは、広く常識として定着しているが、果たして実際にそれを我々は実感として捉えているだろうか。私見を申せば、我々は未だ天皇の臣民である。なぜならば、外国に行くと人は自らの出自に強く思いを馳せるものであるが、その際必ず携帯しているパスポートの表紙を見よ。そこに我々は日本の国旗日章旗ではなく、天皇家の家紋菊の紋章を見出すのである。

 もう一度私見を云う。天皇制は存続させるべきものと考えるが、それには天皇家に負っていただきたい条件を付ける。それは、皇居及び東宮御所、葉山・那須等の御用邸を始めとする皇族の居住する土地一切の固定資産税と、家賃を国家に納めていただく。その上で、皇族に関する一切の権利を保証したい。ただし、被選挙権はこれを認めない。以上は単なる一落語家の妄言です。

 憲法第一条に目を向けよう。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴で」あるが、もう一つのシンボル、国旗について考えたい。先にも触れたように、国旗は平成11年8月13日に日章旗とする旨が法律として施行されたが、日章旗とは明治3年5月15日に明治政府が薩摩藩の藩旗を国旗とした伝統に則っている。なぜ薩摩藩の藩旗が国旗となったかは、二つの理由が容易に導き出される。一つは鎖国下、琉球を始めとする海外と活発に貿易を行っていたのは薩摩藩以外になかったこと。

 つまり、公海上で藩を代表する旗を有していたのは薩摩藩のみであったこと。もう一つは、当時の明治政府の重鎮を薩摩と長州の両藩出身者が占めていたこと。以上の二点から、薩摩藩旗が国旗となったのだろう。

 ここで、6.で触れた日本の由来を思い出していただきたい。日本とは中国から見た日の本であるが、日章旗も全く同じ発想の元に作られた。当然、日章とは太陽を表している。そして、ただそれだけである。

 米国の国旗the Stars and Stripes は合衆国独立時の13州と現在の50州を手際よくデザイン化しているのは、広く知られているところである。

 また、フランスの三色旗はフランス革命時の自由・平等・博愛の思想を託したものである。

 英国のUnion JackはEnglandのSt.George、ScotlandのSt.Andrew、IrelandのSt.Patrickというそれぞれの国の守護聖人の十字を合わせたものである。

 そして、日章旗はただ日の丸である。そこに籠められた思想を、人はどのようにして見出せばよいのだろう。

 国旗を取り上げたのだから、国歌にも目を向けよう。「君が代」とは云うまでもなく、天皇の治世する日本を表す。歌詞は以下の通り。
  君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  いわおとなりて
  こけのむすまで

 地球上でこれほど自然科学を無視した歌詞を有する国歌も珍しいのではないか。さざれ石とは、細石の謂い。その逆ならばともかく、細かい石が巌と成るようなことは、科学的にあり得ない。その国歌がつい昨年法律上制定されたのである。このことは、21世紀を科学立国としたい日本にとって、大きな禍根を残す歌詞ではないか。

 次頁に昭和天皇が日本国民をどのように認識していたかを現すメモを掲載する。
John W. Dower(M.I.T.教授)著「天皇制民主主義の誕生」『世界』1999年9月号掲載。
1946年4〜6月において米国務省員が、宮廷とGHQとの間の仲介をしていた日本人から聞いたもの。疑いないことは、このメモランダムが天皇の要求によって話していると推察される何者かが伝えた、昭和天皇の見解を記録した米国の正真正銘の文書と云うことである。

9. 主義者を嫌う日本人
 何処の国でも、その国独特の言葉遣いがあるものである。例えば、日本における「主義者」はどうだろう。マルクス主義者、平和主義者、自由主義者、進歩主義者等とは云うが、天皇主義者とは云わない。つまり日本においては、独自の思想を持つことが、忌避される傾向にある。「主義者」と云われれば、恰も夷狄を見るが如く左右両翼から、白い目で見られる。

 何らかの思想を持つことが日本では許されないのである。最も重視されるのが、和である。出る杭は打たれ。出過ぎた杭は無視される。ぼくは日本の山川草木を深く愛する者であるが、日本人に過大な期待を抱かない理由は以上の思想性の無さに帰する。

10. 日本の最高責任者
 8.で触れたように、日本国民は天皇の臣民であるとの真情を持つものであるが、日本の最高責任者は天皇ではない。それが証拠に、大日本帝国憲法下の日本が起こした太平洋戦争においてすら、天皇の戦争責任は問われなかった。まして、現行憲法下で天皇が最高責任を負っていることはあり得ない。ならばもう一度、日本国憲法を仔細に見よう。すると、第四十一条に目が吸い寄せられる。国会の地位と立法権を規定した条文であるが、そこにはこう記されている。「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」国権の最高機関は国会と規定しており、第四十二条で両院制を規定した憲法では、第五十九条で衆議院の優越を主張しているので、導かれる結論として、日本の最高機関の長たる衆議院議長が日本における、最終責任者と云うことになる。しかし、 

 解散前の衆議院議長伊藤宗一郎前代議士を日本の最終責任者とは、国民の誰一人として認めはしないだろう。

11. 未だ死ねない若者達へのhommage
 人生の折り返し地点を廻ってしまった者としては、これからの長い生を全うしなければならない若者をただその一点において、尊敬申し上げる。未来は古代人にも中世人にもそして現代の我々にも、等し並みに希望ばかりをもたらすわけではない。むしろ不確定な分、我らに不安感を与えるものである。未来は常に不透明なものではあるが、これから目指すべきgrand designを未だ手にしていない日本人にとっては、未来は五里霧中の中を、探照灯も地図もなく裸足で歩くようなものである。その心細い思いを負ったのは、云うまでもなく我々日本人が戦後、規範無き生を送った罰である。ただ目の前の事態に対症療法しか施さなかった付けが、一挙に押し寄せたようなものである。ここらでそろそろ「衣食足りて礼節を知る」と云う中国の故事を思い返すべきではないだろうか。

 バブル崩壊後のこの10年、文字通り10年というspanは1300年を重ねた日本の歴史にとってはonly yesterdayのことである。けれど、この10年で我々が失ったものは余りに多い。10年前の日本が殆ど他国にも思えてしまうほどの激変ぶりである。例えば、我々はglobalizationの掛け声のもと、終身雇用も年功序列も一億総中流も総て幣衣のごとくあっさりと捨て去ってしまった。バブル崩壊後の10年で日本人の平均所得は10%上昇した事実が何よりもその事情を雄弁に物語っている。

 つまり、失業率が5%近くあるのに所得が10%も増加したのは、持てるものはより持ち、持たざるものは一層持たなくなったことである。階層分化が進み、社会は不幸にもdivideされてしまったのである。

 社会のひずみは何よりも弱者に襲いかかるものである。その犠牲を担わされたのが、他ならぬ年端もいかぬ若者たちである。少なからぬ若者が神経科に通い、心のケアを求めているものと想像される。その神経科で最も多く見られる症例はBorderline Personality Disorder(境界性人格障害)だそうである。激しい怒りや抑鬱、焦燥などの著しい気分の変動。対人関係では、孤独に耐えられず、周囲の人々を感情的に強く巻き込み、過剰な理想化やその逆の過小評価をみせる。このような動揺によって、患者はしばしば自傷行為や自殺企図、そして浪費などの衝動的行動や薬物常用に走る。

 このように、極端なふたつの傾向がひとりの人間の中に同時に存在する事態を、精神医学では分裂(splitting)と呼んで境界性人格に特徴的な心的メカニズムと考えた。

 以上のような精神的ストレスが引き起こした暴発が、少年犯罪となって発現してしまうのだろう。

12.  PrefaceからIntroductionへ
 この小考は冒頭に記したように、再来年の2月をゴールとする長考の端緒に過ぎない。よってまとめるには余りに時期が尚早であるため、最後は落語家らしくジョークでこの稿をお開きにしたい。

 先年大ヒットした映画に「タイタニック」があるが、ある国際航路を運航中の客船が大破して航行不能となった。救命ボートには全員乗り移ることが出来ない。

 そこで、船に残る人を説得しなければならない。相手は総て男性である。イタリア人にはこう云った。「救命ボートに乗り移った女性よりは、この船に残っている女性の方が美人揃いだよ」ドイツ人には、「これもルールだから船に残ってくれ」フランス人には、「まだ船倉にはたっぷりワインが残っているよ」イギリス人には、「ここで残ればジェントルマンになれる」アメリカ人には、「大丈夫、弁護士に先ほど確認したところちゃんと保険には入っているそうだ。この船に残れば、一躍ヒーロー間違いない」日本人にはただ一言。「他の人も残っているから、あなたも残ってくれ」それを聞いた日本人は喜んで沈みゆく船に残ったそうである。

参考文献:11.で触れた境界性人格障害については、香山リカが『論座』2000年6月号に掲載した論文「若者の「二極分化」は病理現象か」より引用させていただいた。
「君が代」に関する考察と10.日本の最高責任者を憲法第四十一条より衆院議長とする説は本学法学部新藤宗幸教授の発言。
 日本の成り立ちに関する記述は網野善彦『日本社会の歴史(上)』(岩波新書)以上の考察を取り入れさせていただいた。