町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

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慶應義塾大学


三田キャンパスの「幻の門」からみた、東館です。
アーケードの上部にはラテン語で
「HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR」
(天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず)という福澤諭吉『學問のすゝめ』劈頭の有名なフレイズが、記されています。

 慶應義塾はその淵源を、福澤諭吉が1858年(安政5年)に江戸築地鉄砲洲、中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学塾にまで、さかのぼることができます。
 その後、1890年(明治23年)にわが国では初めてとなる、近代的な私立大学へと発展しました。

 ここに、慶應義塾の創立者である福澤諭吉による慶應義塾の目的を、掲出いたします。
 慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず
 其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、

 智徳の模範たらんことを期し、
 之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、
 之を口に言ふのみにあらず、
 躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり

慶應義塾大学大学院 法学研究科単位修得科目一覧

1875年(明治8年)に竣工した本演説館は、わが国最初の演説会堂です。外壁は板瓦貼りなまこ壁です。speechを「演説」、debateを「討論」と訳したのは、福澤諭吉です。
1967年(昭和42)年に、国の重要文化財に指定されました。

 法学研究科政治学専攻の学問領域は、大きく5つの系列に分かれています。
 それは、政治思想論、政治・社会論(政治、行政、社会、情報・マスコミに関する理論的研究を含む)、日本政治論、地域研究・比較政治論(主要な地域や国々の政治・文化・社会などについて研究する)、国際政治論の5系列です。
 教員は原則としてこれら5系列のいずれかに属し、自分の専門分野を中心として特殊研究と特殊演習を主に開講しています。それぞれの領域において、これまでの研究を継承・発展させるとともに、新しい研究対象の開拓にも取り組んでいます。
 今後の政治学研究においては、アジアがますます発展するにつれて、日本発の政治学の理論が、国境と地域を越えて普遍性を持ち得るかどうかが問われています。また、理論、思想、歴史の研究を基礎としつつ、現実との緊張関係を維持し続けるためにも、政策指向性の高い研究にも取り組んでいます。

 2009年(平成21年)度には、「政治」に強い公務員・政策専門家の養成を目的として、公共政策専修コースが設置され、同専修コースにて修学し、「修了証(公共政策)」を受けました。
 政治・社会論系列の片山善博教授(慶應義塾大学・(定年退任後⇒)早稲田大学教授;元総務大臣・前鳥取県知事)に、指導教員をつとめていただきました。

慶應義塾大学 文学部 通信教育課程
単位修得科目一覧

慶應義塾創立50周年を記念して1912年(明治45年)に建てられた図書館旧館は、曾禰達蔵と中條精一郎による設計で、赤煉瓦造り、ネオゴシック様式の由緒ある建物です。
1969年(昭和44年)に、国の重要文化財に指定されました。

 慶應義塾は、1890年(明治23年)にハーバード大学の協力により、文学科・法律科・理財科からなる大学部を開設しました。1898年(明治31年)には、政治科が増設され、それらが現在の、文学部・法学部・経済学部および商学部の前身であり、爾来120年以上の歴史を刻んできました。

 通信教育部は1947年(昭和22年)に設置され、翌年、大学通信教育講座が開講されました。
 文学部通信教育課程は、哲学を主とする第1類(哲学、倫理学、美学美術史学、図書館・情報学、社会学、心理学、教育学、人間科学)、史学を主とする第2類(日本史学、東洋史学、西洋史学、民族学考古学)、文学を主とする第3類(国文学、中国文学、英米文学、独文学、仏文学)とに分かれています。

 立教大学文学部を1981年(昭和56年)に卒業しておりますが、同学部では、キリスト教学科にて修学しておりましたので、「神学士」を受けました。その際、文学を専門的には学んでいなかったため、第3類に入学いたしました。

 通信教育課程では所属する類の専門教育科目を中心として、幅広く、各類にわたって学習していく方針をとっています。ただ専攻の意義が失われないように、卒業論文を必修とし、その研究題目に自分が専攻したいテーマを選び、卒業論文を通じて、指導を受けながら専攻領域を掘り下げ、十分に学習できるようにしています。
【ディプロマポリシー(学位授与方針)】
 総合教養科目、語学、ならびに専門科目に関する深い学識を備えた者に学位を授与します。そのためには、厳格な成績評価のもとで所定の単位を修得し、かつ、卒業論文を作成し、卒業試験に合格することが必要です。

一橋大学


国立西キャンパスにある附属図書館です。
1930年(昭和5年)の国立移転と同時に竣工した附属図書館正面玄関にあたる時計台棟は、
建築家伊東忠太と文部省との共同設計といわれています。

 Captains of Industry”つまり、国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材の育成。これが教育機関として一橋大学が創設されて以来、使命としてきたものです。
 この“Captains of Industry”は、イギリスの思想家にして歴史家、Thomas Carlyleが1843年(天保14年)に著した、“Past and Present”(邦題『過去と現在』)に求められます。

 明治8年(1875年)に森有礼が私設した商法講習所の時代から一橋大学は、単に西洋式の「商法」-「商い方」を身に付け、即戦力になる人材を供給することだけではなく、“Captains of Industry”にふさわしい実業人の育成を目標としてきました。
 “Captains of Industry”は、一橋大学の建学理念として今に至るまで語り続けられています。

兼松講堂は、ロマネスク様式の建物で、権威主義でもなく合理主義にも流されず、伊東忠太博士による縦横無尽な表現が随所に見られます。
2000年(平成12年)に、国の登録有形文化財に選ばれました。

一橋大学大学院 国際・公共政策教育部 
単位修得科目一覧

 国際・公共政策教育部の理念は、次のように記されています。
 専門性、実践性への要求の高まりは、国際組織、国や自治体、NGO/NPO 等における国際政策および公共政策の立案と執行等の場面においても生じています。 一国、一地域の視点のみから見た政策は通用しなくなってきており、あらためて公共性とはなにかが問われる時代において、法律学、経済学や国際関係等の広い視点と高度な専門的分析力が、国際・公共政策の担い手にとって必要となってきました。さらに、能力主義の流れのなかで、組織の中での個人の力量が真に問われる時代となってきています。

 本学では、このような環境変化のなか、法学研究科・経済学研究科が連携して専門職大学院である国際・公共政策大学院を設置し、公共政策の課題を発見して、自らその解決を図ることのできる人材の育成を目指します。 その基本理念は次の4つです。
基本理念 1 先端研究の基礎に立つ高度専門教育
基本理念 2 横断的分析による複合的視点の育成
基本理念 3 政策分析における多角性と実践性の重視
基本理念 4 アジア・太平洋における拠点の構築と世界への発信力の養成

 研究論文の主査は、高橋滋教授(「行政法」・「地方自治法」専攻)に、副査は、薄井一成准教授(「行政法」・「地方自治法」専攻)につとめていただきました。

早稲田大学


早稲田キャンパスにある、1932年(昭和7年)に、本学創立50周年と大隈重信没後10周年忌に合わせて建立された朝倉文夫による、大隈重信銅像です。

 大隈重信総長は、 1913年(大正2年)の創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言しました。
  早稲田大学の教育の基本理念を示す早稲田大学教旨の起草委員は、天野為之、坪内雄蔵(坪内逍遥)、浮田和民、松平康国、塩澤昌貞、金子馬治、中島半次郎らによって構成され、最終草案に大隈の意見も入れて下記の「教旨」が制定されました。

 「早稲田大学教旨
 早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効(いた)し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。
 早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。
 早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。
 早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、(立憲帝国の忠良なる臣民として)個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。

1927年(昭和2年)に創立45周年記念事業として完成した大隈講堂は、2007年(平成19年)に、国の重要文化財に指定されました。

早稲田大学大学院 法学研究科単位修得科目一覧

 早稲田大学は、1882年(明治15年)に開学しました(開校時の校名は、「東京専門学校」)が、そのときは、政治経済学科、法律学科、理学科の三本科と英学科という学科構成でした。
 それ以来の伝統を継ぐ法学部と大学院法学研究科は、大学院法務研究科(ロースクール)、比較法研究所、法務教育研究センターとともに、法学学術院を形成しています。
 大学院法学研究科での研究課題は、「社会保障・社会福祉の法と政策」でした。
 修士論文の指導教授は、菊池馨実教授(「社会保障法」専攻)に、副査は、宮島洋教授(「財政学」専攻)と、田山輝明教授(「民法」専攻)につとめていただき、「修士(法学)」を授与されました。
 菊池先生は、北海道大学および同大学大学院で、道幸哲也教授の門下でした。

大隈講堂は、1927年(昭和2年)に、佐藤功一(早大教授)と佐藤武夫(早大教授)によって共同設計され、時計塔の高さは、大隈重信が生前唱えていた「人生125歳説」にちなんで125尺(約38m)あります。

早稲田大学大学院 社会科学研究科単位修得科目一覧

 2007年に社会科学部を卒業し、おなじ社会科学総合学術院の大学院社会科学研究科に進学しました。
 同研究科では政策科学論(《市民社会研究分野》【現代人権論】研究指導・後藤光男教授)を専攻し、2009年に修了した際に、「修士(学術)」を授与されました。
 修士論文の副査は、清水敏教授(「労働法」専攻)と、久塚純一教授(「比較福祉論」・「社会保障法」専攻)につとめていただきました。

【社会科学研究科】
 現代的課題を、総合的・学際的に解決できる研究者や実務家を養成する研究科。
 社会科学の諸分野は19世紀以降、細分化・専門化によって発展し、精緻な理論形成という成果をあげてきました。
 しかし、その一方で各分野が自己閉鎖的に独立する結果を招き、領域横断的な視野が損なわれる弱点を生み出しました。
 また、現実社会は、グローバリゼーションやリージョナリゼーションが加速し、環境問題に代表されるように地球規模の課題を数多く抱えるようになってきています。
 これらの諸問題は、政治・経済・法律・文化など諸要素が複雑に絡み合うために、その解決には従来の個々の学問分野だけではなく、社会科学の総合的・学際的なアプローチが必要となってきています。
 そこで、こうした現代的課題を解決するために、社会科学・人文科学・自然科学のそれぞれの分野の専門研究者が、研究科の基本理念である社会科学の総合化および学際化をめざして研究・教育・指導に当たっています。

大隈講堂のファサードです。内部にはいり、天井の明かり取りを見上げると、中心に太陽、周りに月が配され天井一面の照明は煌めく星々を象徴しています。つまり永遠なるものが、集う学生を見守るのです。

早稲田大学 社会科学部単位修得科目一覧

 早稲田大学社会科学部の歴史は、1966年(昭和41年)にさかのぼります。
 当時大学にはすでに政治経済学部、法学部、商学部といった学部において、社会科学系のそれぞれの専門分野に関する教育が分科された形で行われていました。
 社会科学部は、そうした社会科学系専門分野を統合的、学際的に一体化したカリキュラムによって構築し、「社会科学の総合」を旗印にして、学生に社会科学に関する総合的知識能力を修得させ、各界に貢献しうる有能な人材を育成することを目的として、独立した学部として創設されました。
 社会科学部での演習科目「ゼミナール」は、大久保皓生先生の「地方自治と行政」を、履修しました。なお、大久保先生の本務校は中央学院大学(法学部)で、先生はその学長をつとめたのち、名誉教授となりました。

立教大学



1918年(大正7年)に竣工した池袋キャンパスの本館(モリス館)は、
東京都選定歴史的建造物でもあります。

 立教大学の前身は、1874年(明治7年)に、アメリカ聖公会から派遣された宣教師Channing Moore Williamsが設立した「立教学校St.Paul’s School」です。
 職業教育など実学中心のエリート教育が重視されていた時代において、英語で聖書を学ぶことを中心に、普遍的な価値観としてのキリスト教と英学に代表される実際的な知識の両方を身につける立教学校は、日本における近代教育のさきがけとなりました。
 西欧の伝統的リベラルアーツカレッジをモデルにした、立教の教育の中心は「キリスト教に基づく教育」です。
 立教大学の使命は、単に競争社会で自らの能力を誇るような人間ではなく、人間の一生において欠くことのできない大切なものとは何かを探求し、すべての生命が尊ばれる社会の実現のために奉仕する人材を育てること。
 それは「道を伝えて己を伝えず」と評された、創立者ウィリアムズの謙虚でひたむきな生涯を模範とした教育理念、キリスト教に基づいた人間観の具現化といえます。
  立教大学は、大学全体での教育目標として「専門性を持った教養人」の育成を、掲げています(『立教大学認証評価報告書』)。

1918年(大正7年)に米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリス氏の寄付によって建てられたため「モリス館」とも呼ばれています。

立教大学 経済学部単位修得科目一覧

 専門学校令による「立教大学」は、1907年(明治40年)に文科と商科からなる本科を設立し、その商科がのちに、経済学部となります。
 わたしが経済学部に入学した当時は、経済学科と経営学科の2学科でしたが、2006年度から経済学部は、経済学科、経済政策学科、会計ファイナンス学科の3学科となり、経営学科は経営学部に発展しました。
 経済学部は、経済学を共通の基盤として、理論と歴史を重視しています。
 財政・企業会計・金融など、具体的・現実的な問題を分析し、解決のための政策を考えることができるカリキュラムになっています。

 経済学部経済学科に2000年(平成12年)度、3年次編入学しました(現在は、経済学部への編入学試験は実施されていません)。
 学部教育の要であるゼミナールは、野呂昭朗教授が担当していた「現代地方財政の研究」を、履修しました。
 野呂先生は、立教大学大学院経済学研究科では、藤田武夫教授の門下でした。

1918(大正7年)建造の第一食堂です。玄関の上に掲げられている 「APPETITVS RATIONI OBEDIANT」は、(食欲(本来は欲望)は、理性に従うべし)という哲学者キケロの言葉 です。

立教大学 文学部単位修得科目一覧

 立教大学文学部は、1907年(明治40年)に商科とともに設立された文科を、その淵源としています。
 文学部は、1969年(昭和44年)以来「現代社会における人間学の再創造」を理念とし、かつ、これを仮説的課題としながら、様々な科目が展開される、リベラルアーツを重視した“自由の学府”に相応しいカリキュラム編成です。

 2006年度に文学部は、キリスト教学科、文学科(英米文学専修、ドイツ文学専修、フランス文学専修、日本文学専修、文芸・思想専修)、史学科(世界史学専修、日本史学専修、超域文化学専修)、教育学科の4学科に改組されましたが、そのキリスト教学科を卒業しました。
 キリスト教学科は、世界の歴史や文化に大きな影響を2,000年にわたって与え続けてきた「キリスト教」をさまざまな角度から解明することを、その主題としています。
 演習は、「キリスト教学演習(新約聖書学)」速水敏彦教授と、「キリスト教学演習(キリスト教史)」八代崇教授を履修しました。
 卒業論文の指導教授も、速水敏彦教授につとめていただき、論文題目は「遠藤周作論」でした。

高橋 滋(一橋大学大学院 法学研究科;定年退職後、法政大学大学院 法学研究科)教授【行政法、地方自治法、環境法、科学技術安全法】

 一橋大学大学院国際・公共政策教育部在学中、一橋大学大学院法学研究科の行政法演習への参加をお認めいただき、先生にご指導をいただきました。そのご縁で、研究論文の主査をつとめていただき、なんとか修了することができました。
 なお先生は、南 博方(一橋大学名誉、筑波大学名誉)教授、成城大学元学長の門下です。

菊池 馨実(早稲田大学 法学学術院)教授【社会保障法】

 早稲田大学大学院法学研究科民事法学専攻に在学した折、その指導教授をつとめてくださいました。その際の研究課題は、「社会保障・社会福祉の法と政策」でした。
 現在、菊池先生は、早稲田大学大学院法学研究科長を務めていらっしゃいます。
 先生は、早稲田大学での長期在外研究では、UCLA (University of California, Los Angeles)School of LawのJoel F. Handler教授のもとで客員研究員をつとめました。

後藤 光男(早稲田大学 社会科学総合学術院)教授【行政法・現代人権論】

 先生の講義を社会科学部では、「行政法」(総論)、(行政争訟法)[各4単位]、「学際研究入門」(国際社会)[2単位]の合計10単位を修得しました。
 大学院社会科学研究科では指導教授をつとめていただき、「現代人権論研究演習」を履修しました。
 なお先生は、同志社大学法学部において、田畑忍教授のもとで憲法学を攻究し、早稲田大学大学院法学研究科では、有倉遼吉教授の門下にて憲法学と行政法学を修められました。

山口 義行(立教大学 経済学部)教授【金融論】

 先生は、『聞かせる技術』(河出書房新社)という著作があるぐらいですから、経済学部で担当されていた学科目「金融論」を、学生に聴かせる講義にするべく意を用いていたのが、受講した際、特に印象に残っています。
 また先生は、アカデミズムに捕らわれることなく幅広く活躍されていらっしゃり、『中小企業サポートネットワーク「スモールサン」』主宰をつとめています。

八代 崇(立教大学 文学部)教授【キリスト教史】

 先生は、立教学院院長や立教大学の母体ともいえる日本聖公会の首座主教をつとめられましたが、わたしにとっては、「キリスト教学演習」の先生です。
 先生は、何度も手術を受けられましたが、1991年での快気祝いの際には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい」(テサロニケ前書5:16-18)を引いて謝意とされていました。その後惜しくも、1997年に御逝去されました。
 御父上の八代 斌助も、日本聖公会の首座主教をつとめられました。

らん丈が生まれ、育ち、学んだ、『町田市』関連

町田市議会

 町田市をどうしたら、もっと住みやすい、安全な、快適な、素敵な、心地好い、居場所にすることができるのか。
 それを議論し、追求する場所であり、機関であり、らん丈もその参加者の一員である、町田市議会です。

デジタルラボラトリー

 落語家は700人ほどいますが、その中で現役の消防団員はらん丈ぐらいのものではないでしょうか。同じ町田市消防団第一分団の仲間のホームページです。

NPO法人 顧問建築家機構

 町田市は多摩地区随一のNPO設置数を誇りますが、中でも有意義な活動をしているこちらのNPOには、らん丈も原町田地域市民講座でお世話になりました。

ひじかた園

 町田で一番落ち着けるお茶屋さんです。お茶屋さんと言っても、イメージが湧かない方は、原町田にあるお店をお訪ねください。すばらしいお茶に巡り合いますよ。

航旅莉屋

 ちょっと読みにくい店名ですが、レストランです。旧町田市役所のすぐ近く、町田街道沿いにあり、お味はぼくが保証します。奥様と町田四小50周年記念祝賀会でお知り合いになった、そのご縁です。

らん丈の恩人・知人・友人

小倉まさのぶ(衆議院議員・自民党;東京都第23区(町田市、多摩市)選出)

 小倉代議士は、自民党の公募に応募し、そのうえで公認を得て、2012年12月の総選挙で初当選を果たした衆議院議員です。
 代議士の前職は日本銀行員で、在職時オックスフォード大学大学院で、金融経済学修士を取得した金融のエクスパートです。

吉原修(東京都議会議員・自民党;町田市選出)

 面倒見のよい都議会議員です。弟が2001年に亡くなった際には、真っ先に駆けつけてくださいました。

田中哲(東京都墨田区議会議員)

 立教大学の同窓にして、平成15年に初当選を果たした、好漢です。

早坂義弘(東京都議会議員・自民党;杉並区選出)

 立教大学の同窓にして、同じ弁論部に属していた仲間でもあります。

らん丈関連

財団法人日本フォスター・プラン協会

 鶴見和雄事務局長は、らん丈の立教の先輩であり、その関係で、NGO特集の「どうしまショウ」にゲスト出演してくださいました。世界的なNGOなので、ご存知の方も多いでしょうが、今後益々重要性が増す組織です。

大脇淳

 町田市在住のJAZZ playerです。町田は、新宿と横浜に一本でいけるせいか、JAZZの関係者が少なからずいますが、彼もそのお一人です。
 先日、池袋JAZZ festivalでご一緒でした。

落語

(一社)落語協会

 その会員である、らん丈の身分はなんと真打なのです。落語家は、見習い、前座、二ツ目、真打と4段階のどれかに、分類されるのですが、その最上位“真打”なのです。真打がどれほど稀な存在であるかは、会長の三遊亭圓歌師匠(当時;現会長・柳亭市馬師匠)から始まって、前座に至るまで総勢224名の落語家中、真打はそのうちたったの158人、7割しかいないことからも明らかでしょう。

三遊亭円丈師

 わが師匠です。
 落語家になってよかったと思う、その理由のひとつに、わたしには過ぎた、このような師匠をもつことができたことが挙げられます。師匠円丈がいなかったら、ぼくは落語家にはなっていなかったのではないか、とも思うのです。

三遊亭白鳥師

 円丈一門の弟弟子です。そのなかでも、白鳥さんはすぐ下の弟弟子ですから、まさしく同じ釜の飯を食った仲です。