町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

一橋大学大学院 社会学研究科「比較政治」中間リポート大学での活動

2012.07.07(土)

【箇所】一橋大学大学院 社会学研究科 総合社会科学専攻
【科目群名】人間・社会形成研究
【科目】比較政治
【講義題目名】新自由主義改革の比較政治学
【開講学期】2012年度 夏学期[2単位]
【担当】二宮 元 教授〈琉球大学 人文社会学部〉
【課題】近代国家から現代国家への歴史的な発展と両者の国家構造の特徴について、授業で話された内容をまとめ、その内容について論評しなさい。
【指定字数】2,000字程度

1、はじめに
 資本主義国家に、歴史的段階性があるものとしてみた場合、それは「近代国家」に始まり、20世紀に起こった両世界大戦と1929年のブラックマンデーに端を発する世界大恐慌以降にあらわれた「現代国家」へと発展し、その後には「新自由主義国家」に至るという仮説が成立し得るものと考えられるが、本リポートは、そのうち、「近代国家」と「現代国家」について、それらの国家構造の特徴を指摘し論評をくわえることを目的とする。

 そもそも、なぜ資本主義国家に歴史的な段階を追っての変化が生ずるのかを考えると、国家を制度や機構にのみ注目した場合には、それは狭義の国家としか認識され得ず、狭義の国家では資本主義国家の歴史的な変化が反映されることはないが、社会の総体として国家をみた場合には、そこには広義の国家があることに気づかされる。すると、資本主義の歴史的な発展に伴って、自ずと国家もそれに応じて次ぎの体制への発展・移行が生じていることが認識できるからである。

2、近代国家
2-1、社会統合基盤の狭隘性と脆弱性
 近代国家は、名望家社会と名づけることができる。
 そこでは、一定の財産と教養を持った男性からなる一握りの名望家のみが社会の成員としての資格と権利を認められた社会であったため、女性や男性であっても下層労働者は、社会の成員としては認められていなかった。その社会では、一定額の税を納めた男性市民のみが政治に参加する権利を付与されていたのである。

 このことは、社会を統合する基盤が狭隘であったことを意味しており、したがって近代国家の基盤は脆弱な社会であったということができる。これをマクファーソンは、近代国家は民主主義ではなく、所有的個人主義に基づいたものであったと指摘している。

 かたや、イギリスでの市民革命や、フランス革命、アメリカの独立革命を経ることによって、ハーバーマスがいう近代の市民的公共圏が出現した。この公共圏は、中産階級市民による「公共の論議の練習場」となり、それまであった文芸的公共圏から政治的な市民的公共圏へと移行し、そこでは女性が排除された。ちなみに、市民的公共圏には3つの原則があり、そこでは1、対等性、2、公開性、3、参加可能性が、それぞれ保証されていた。

 その一環として、市民的公共圏に、制度化としての近代議会があらわれる。この近代議会を構成した「代表」とは、今日における市民の代表たる議員とは異なり、文字通りの「選良」、最も優秀な人物を意味しており、それは、純粋代表とよばれるものであった。

2-2、市場規制に対して消極的であり自由な市場秩序の創出・維持
 近代国家は、資本主義市場の発展を阻害する国家による恣意的な介入を撤廃することを指向していた。そこでは、自由な市場秩序を創出し、維持することが最大の課題とされたのである。

 また、一般的抽象的法規範が制定され、それが万人に対して公正に適用されることによって、自由、平等、独立を標榜する人権が誕生した。また、自由権を重視した近代憲法が制定されたこともあずかって、市民的法治国家が確立された。

3、現代国家
3-1、社会統合基盤の拡大―名望家社会から大衆社会へ
 19世紀末から参政権が拡大されたことによって、労働者や女性の政治参加が促され、名望家社会から大衆社会へと移行し、それに伴って社会統合基盤が拡大した。このことによって、近代国家の脆弱性が克服された。

 当時の労働者のうち、3割は労働に従事していたのにもかかわらず、貧困者となっていることは、劣等処遇の原則からこれを社会的問題として捉え、国家が市場を規制し、社会的な不平等を是正する政策を求めるようになった。その結果、20世紀初頭には英国で、社会改革が行われ、年金、健康保険、失業保険の国家的な制度が創設された。

3-2、列強帝国主義の時代の到来
 帝国主義国家間で大規模な戦争が行われるに当たって、その戦争を遂行するためには、国家総力戦となり、社会の全成員を「国民」として動員させる必要が生じた。そのためには、戦争遂行に国民の支持を取り付けなければならなくなり、普通選挙の実施と、それを実質化する政治的・市民的自由、労働基本権の保障が実施された。これをグラムシは、「同意による統治」とよんだ。

3-3、両世界大戦と戦後の高度経済成長による福祉国家の現出
 国民を総動員する世界大戦は、総力戦体制を布くため、戦後の将来社会像を示す必要があった。その一つに、ベヴァリッジ報告があり、warfareからwelfareへの転換が唱道された。この報告は、福祉国家の誕生に大いに寄与することになった。
世界大戦後には、フォード主義経済による高度経済成長が成し遂げられ、そこで達成された果実を、福祉国家の充実のために使い、大量生産、大量消費の好循環が生まれた。

3-4、現代国家の特徴
1、国家の施策に労働者の同意を得ることによって、広範な社会統合基盤がつくられた。

2、近代国家では、市場にたいする規制や介入を撤廃し、自由な市場秩序を形成・維持することが課題とされたが、現代国家では、市場にたいする規制や介入を積極的に行うようになった。ただ、その際、市場の失敗を補うため、新たな権利として社会権がもうけられた。

3、市民社会にたいする諸規制の縮小と緩和が図られたために、市民的自由は拡大された。

4、若干のコメント
 近代国家と現代国家とは、同じ国家という形態をとってはいるものの、かなり異なるものだということが、理解できた。
 一例をあげれば、政府と市場の関係が、近代国家ではその介入が消極的であり自由な市場の創出が企図されていたが、現代国家では逆に、市場への規制や介入を積極的に行い、それによって社会的な不平等を是正しようとしたことである。

 それと相反して、現代国家では、市民的自由を拡大させるため、市民社会にたいする規制は緩和されるようになった。
 また、名望家社会では排除されていた労働者や女性が、世界大戦で国民を総動員させる必要から、社会の全成員を「国民」として容認し統治を行うことが求められたという逆説的なしかたでの「同意による統治」(グラムシ)があったという興味深い事実ともあいまって、近代国家と現代国家は歴史的に不可逆なものであることを再認識させられた。