町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

NPO大阪障害者雇用支援ネットワーク編『障害のある人の雇用・就労支援Q&A』(中央法規出版)らん読日記

2006.11.06(月)

【箇所】早稲田大学 社会科学部 専門科目
【科目】障害者福祉論[2単位]
【担当】篠田 徹 教授(早稲田大学 社会科学総合学術院)
第1章 障害のある人たちの活動を豊かにする企業〜企業と障害者〜
第2章 障害の理解を
1)本書のタイトルに“障害”という文言が使われており、本講義名も「障害者福祉論」となっていることに関して。

 たしか2000年前後と記憶しているが、埼玉県の志木市において、日本では初めて、公的な文書では“障害”という文言の使用を禁じ、“障がい”との平仮名表記を採用することに決した経緯がある。
 それが燎原の火のごとく全国に広がり、いまや相当数の地方自治体や教育機関で、“障がい”表記を採用し、なかには、立教大学のように“しょうがい”表記もみられる。

 これは、“害”というネガティヴなイメージを払拭するための措置と理解している。
ところが、当の障害をお持ちの方から、この“障がい”は、平仮名の表記によって、そこだけ字面上目立ってしまうので、却って障害が強調されてしまうために、従前通りの表記を望むという指摘を聞いたことがある。
 このように、“障害”は、かなりナーバスな案件であると再認識させられた次第である。

2)Chap.1&2を通読してまず気づいたことは、どこからも反論のしようのない正論がそこでは展開されている、ということである。
 たとえば、「これからの時代の経営は障害者雇用は当たり前のこととして、地域への社会貢献なくしては成り立たない時代になってきている」(p.16)
 「グッドカンパニーの条件に、障害者雇用も大きな要素として組み入れられる時代が来ようとしています。」(p.18)
 「企業の社会的責任や社会貢献の尺度としては、多種多様な項目がありますが、障害のある人たちの働く場を雇用拡大していくことは、最も重要は社会貢献項目ではないでしょうか。」(p.21)
 これらの言説は、一々御尤もでありながら、障害者雇用の実態をみると、全体としては法定雇用率の1.8%にさえ達していないのが現実である。

 その上、授産施設等で働いている障害者が一般企業に就労する数は全体の0.8%と、ごくわずかにしか過ぎないという惨状が横たわっている。
 このように、企業は実態としては、障害者を雇用することに決して積極的であるわけではない。
 したがって、テキストに「障害者を雇用すれば企業業績が悪くなるという考え方には根拠がありません」(p.25)と記されていても、それを鵜呑みにするには無理が生じてしまう。
 こうして、企業が考えるグッドカンパニーと、グッドカンパニーであるならば当然企業は障害者雇用を促進しなければならないのにもかかわらず、躊躇してしまう現実とがあり、このような齟齬が生じてしまうその理由は、何なのか。
 痛切に知りたいと思った次第である。

 これは、企業とすれば、障害者を雇用する正当なインセンティヴがないから雇用しないのか、それとも、障害者を雇用するインセンティヴはあるものの、それ以上に、雇用しないことによって得られる効用のほうが大きいから雇用しないのか。
 その実態を、知りたいと思う。
 つまり、先に引いた本書に記されたような理想を企業が掲げても、それを実現できない相当な理由がある限り、その理想は適えられないことになってしまう。

第3章 就労支援の社会資源
第4章 障害者雇用に対する考え方やアプローチ
1)本書(以下同)p.36「障害のある人々の職業的自立を望む声は10年前の約2倍にも膨れ上がり、この傾向はますます顕著になっているのです。」これほどまでに多くの就職希望者が増えているのにもかかわらず、障害者にとっては下記の現状がある。
 p.43「現在の状況は、養護学校卒業者の就職率が低下し、知的障害者施設から事業所への就職率も1%以下を推移している状況が続いています。」
 上記データは、就労希望者には絶望的な数字である。

 人が人として生きるうえで、働く、つまり、社会への参加と貢献を実感できる、最も確実な方途ともいえる“働く”ことがままならない障害者の現状が、上記のように指摘されている。

 健常者であっても希望職種への就労がなかなか叶わないなかで、障害者が希望の職種に就労することの難しさは容易に理解できるものの、これは心胆を寒からしめるほどに、あまりにも少ない数字といわざるを得ない。

 その際、本章で強調されるのは、障害者への支援制度としての“社会資源”である。
 公共職業安定所、障害者職業センター、職業能力開発機関(障害者職業能力開発施設・校)、障害者就業・生活支援センター等、実にさまざまな“社会資源”が紹介されるが、これほどまでに細分化されると、逆に施設と利用者とのミスマッチが起きやすくなるのではないかと、心配してしまった。
 したがって、もっと大きく構えて、障害者支援センターといった簡略な名称にして認知度を上げることに行政はまず意を用い、その支援内容は、障害者支援センターの副名称として、上記の機関名を冠することで説明し、障害者に、より利用しやすい施設へと変容することが求められると、私は考えた。

2)p.50にある「障害のある人の「できないこと」に着目して支援する傾向から、「できること」に着目しての支援」への転換は、障害者といえども、積極的にチャレンジすることによって、“いきいきした人生”の実現が図られるとの考えには、賛成する。
 この動きは、p.49にある、「障害者福祉の世界は、2003年度から、これまでの措置制度から支援費制度に変わりました。」という制度改正と軌を一にしている。
 ただし、上記の制度改正の主な理由は、中央政府の財政難によるものというのが、なんともやりきれないものの、障害者の自立は、障害者自身とともに社会全体に資するという考えは、先進諸国に共通の潮流でもあり、ひろく国民の支持が得られるものであろう。

3)p.51にあった、「お母様は息子さん本人が地域で暮らしていくための支援者になり得なかったのだと解釈するしかありません。」という指摘は、素晴らしい。
 そこからは、母親といえども障害者の支援者の一人に過ぎず、障害者の支援は地域で担い、決して家族のみにその負担を強いることはしない、という本著作者の高い次元での決意が読み取れるからである。

4)p.55 の「あなたが自尊心を保ち、本来備わっているはずのセルフケア能力を発揮してこそ、希望する就業が近くなってくる」との記述があるが、自尊心はたしかに、尊重されなければならないものの、それよりも私は、“自恃”の精神こそ、障害者が就業するときには重要なような気がしている。

5)p.69にある、「障害のある人たちが働きやすい企業は、障害のない従業員にとっても働きやすい職場だ」という考えは、まさしく今流行の、ユニバーサルデザインそのものである。

第5章 障害のある人を雇用する経緯〜障害のある人との出会い〜
第6章 障害者雇用に対する企業の心構え〜人材を活かす社風、企業に向けて〜
1)p.76において、全国における仕事を探している障害者の内訳が載っているが、それによると身体障害者が71%、知的障害者が20%、精神障害者が9%となっている。
 一目して、知的および精神障害者の雇用希望者の少なさが指摘できるが、これは現状においては、いかんともしがたいのであろう、と思わせる数字である。
 これと同じ意見が、さる10月7日の朝日新聞夕刊に『即戦力障害者「紹介します」』という記事に載っていた。
 それによれば、人材紹介経営者がこのようなコメントを寄せていた。「障害者のなかでも、知的より身体、症状が重い人より軽い人の方などと、就職しやすさにも格差が出ている」と。
 つまり、上記のように雇用希望者の段階ですでに、知的および精神障害者に較べて、圧倒的に身体障害者が多数を占めていることによる結果として、就職しやすさにも格差が生じていることがわかる。

2)p.79 に人事担当者が企業トップと現場、ハローワークとの板ばさみになるのではなく、社内に障害者雇用のプロジェクトチームを結成することを勧める記述があるが、まさしく、人事担当者にのみ障害者雇用の負担を押し付けている限り、障害者雇用問題の解決は見込めるはずがない。

3)p.73に「障害のある人が適当な職業に就きその職業能力を十分に発揮することができるならば、それは障害のある人自身の幸福にとどまらず、雇用する企業の財産・利益につながり、ひいては社会全体の利益・活力につながっていく」。
 p.81では、「障害があることを理由に、例えば旅行や買い物・映画・食事・勉強などを通常の生活から排除・制限されるのは不公平であり、時には人権侵害ともなります。」
 p.102「法定雇用率を達成するという課題は、あくまで社会を構成している社会全体からの要請であるということを改めて認識する必要がある」
 以上3箇所から引用したのであるが、いずれも障害者雇用の必要性と必然性を、利益、人権、社会的要請の3点から、説いている。

 しかし、法定雇用率を満たしている企業は、全体の4割強であり、国と地方自治体(都道府県教育委員会を除く)は、7割であって、まだまだ障害者の雇用の少なさが指摘できる。
 そのうえ、由々しきことに、都道府県教育委員会は、国と地方自治体の法定雇用率2.1%に較べ少ない、2.0%であるにもかかわらず、それを満たしているのはただ、京都府のみであり、他の46都道府県教委は法定雇用率さえも満たしていないお粗末な実態がある。(この項での数字は、朝日新聞2006年10月 18日朝刊の記事による)

 この場合の都道府県教委とは、事実上公立の中学校・高校の教職員と教委事務局の職員である。雇用率の低さの理由として、山形県教委は「職員の大半が教員。障害者で教員免許を持つ人自体が少なく、やむを得ない」と説明しているが、障害者にとっては、現行の制度では、教員免許を取得するのが過酷なのだろう。

 具体的に、障害者にとって教員免許を取得するうえで、どんなところがボトルネックになっているのか、それが知りたいところである。

第7章 雇用と配属〜先進企業による取り組み〜
第8章 直面する問題をどう解決するか
1)p.122にある、どのような障害を持つひとがどのような仕事ができるかという各部門の委員による可能業務の洗い出し、これは改めていうまでもなく、大事なことである。
既定(固定)概念に縛られ、障害者の仕事を奪っている新たな事案が見つかるかもしれない可能性が、高いからである。

2)今日の企業活動において重視されているもののなかに、C.S.R.とともに、コンプライアンスが挙げられる。
このコンプライアンスを、事業経営の最重要課題の一つとしている会社では、企業として遵法的責任と地域社会への“社会的責任”から、従来より障害者雇用に力を入れていると、p.125にあるが、上記のように障害者雇用に力を入れる組織と、それに反し力を入れない組織とに分かれているのが日本の現状である。

 その理由として、経営者の障害者雇用に対する考えが、組織に色濃く反映されることが挙げられる。そのために、経営者によって、障害者雇用に積極的な組織と消極的な組織に分化されてしまっている。
 このように、経営者の裁量に障害者雇用を委ねている限り、日本においては結局、障害者の雇用率は法定を達成させることのみが優先され、“社会的責任”という視点はなかなか盛り込まれない懸念が生じる。
 したがって、障害者雇用は、“社会的責任”なのだと、各会社に周知徹底させることが緊要であると思われる。

3)p.126にある、「障害者に仕事を合わせる」ことはできるだけ避けようと考えました。
 その理由が3点列挙されていたが、それぞれ尤もな理由であった。
 ただ、「知的障害者は健常者と共に働けない」という前提はおかしい、という理由はなるほど、至極真っ当なものだが、これを否定する職場のなんと多いことか、という慨嘆を禁じ得ない。

4)p.130 にある、法定雇用率の達成と重度障害者の雇用促進を設立目的とした、特例子会社の例が紹介されていたが、そこでの課題は、「障害者の囲み込み」よりも、子会社化しても知的障害者が分担できる仕事が少ないことと、黒字を生み出すことができないことと推定される。

5)p.155にある、精神に障害のある人の特徴として、病状が「ゆれる」ことは、一般の健常者は知らない病状なのではないか。
 このように、障害者特有な反応は、健常者に情報として広範に知らしめるべきだと痛感した。
 でないと、健常者は精神障害者にどのように接してよいのか、なかなか分かりにくい。

第9章 地域を耕す
第10章 新たな就業の場の拡大〜特例子会社の設立と運営について〜

1)第9章のテーマ「地域を耕す」とは、初めて聞いた言葉だが、この言葉は、障害者福祉においては、従前からあった言葉なのだろうか。
 そうであれば、筆者の認識不足を愧じるばかりであるが、この文言と等号関係にある“地域の支援力を高める”という言葉遣いに較べると、「耕す」は格段にこなれているので、もっと一般化しても好い言葉だと思った。
 たしかに、これから耕すべきなのは家庭ではなく、“地域”であるのだから。

2)p.180にある通り、「障害者雇用促進法」に基づく法定雇用率には、身体障害者または知的障害者の雇用を義務づけているが、精神障害者は法定雇用率に含まれていない。
 これは、精神障害者の雇用には困難が伴うということの雄弁なる証左であろう。
 精神障害者だけを対象とした実習制度として、「社会生活適応訓練事業」があるとのことであるが、この事業だけでは精神障害者の雇用促進を図る上で、いかにも心許ない制度なのではないだろうか。

3)p.183にある、“人は職業に就く権利と義務を有しています。”とは、美しい文言である。
ただ、障害者雇用が法定雇用率さえ満たしていない事業体が現在いかに多いか、また就職したくてもできない健常者も多いことなど、この美しい文章を内実の籠もったものとさせるためには、現状と較べた場合に困惑を覚えるほどの懸隔がある。
 それを解決するのは、次ページにあるように、“雇用の問題は国だけの対策ではなく、制度を具体的に進めていくのは、地方自治体の役割だといえます。”というように、地方自治体の裁量に委ねられる。
 すると、大事なのは有権者の存在である。

有権者の判断によって、福祉を充実させる首長や議員を選択しない限り、その自治体では、福祉行政が停滞ないしは遅滞することになるからである。
当該自治体に住み、それを嫌忌する市民は、「足による投票(vote with their feet)」を行使する場合もあるだろう。

 たとえば、昨年行政視察で行った北秋田市の「ケアタウンたかのす」という著名な福祉視察のことが、思い出される。
 そこは、旧鷹巣町の元町長の肝煎りで設置された日本を代表する複合福祉施設なのにもかかわらず、福祉を推進させた町長は、旧鷹巣町の03年の町長選挙では、「身の丈にあった持続できる福祉を」と訴えた合併推進の、現北秋田市長に選挙で敗れてしまい、その結果、福祉予算が大幅に削減されてしまったのである。
 ところが、昨年3月に行われた北秋田市議会議員選挙では、福祉重視派の候補者は7人当選し、「身の丈福祉」派の中心人物たちは、枕を並べて討ち死にしたのである。

 こうなると、民意とは何かが、俄かには判じがたくなってしまうのであるが、これもまた民意なのであろう。

4)第10章では、特例子会社の設立と運営について記述されているが、p.201にある「株式会社ですから、配当までは求めないが赤字は困るよ」というのが、親会社の本音なのであろう。
 ただ、「障害者雇用は、経営者の腕の見せ所、親会社と子会社の腕の見せ所」とは、頼もしい言葉であった。

5)p.206に、特例子会社は、親会社の補完的役割から、地域に密着した事業体としての役割がより重要度を増す、との文言があるが、これからの企業経営に必須ともいえるフ
ィランソロピーの面からも、企業経営と福祉の融合は欠くことのできない視点である。