町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

慶應義塾大学 文学部専門教育科目「国語学各論」−さまざまな辞書たち-大学での活動

2018.10.12(金)

箇所:慶應義塾大学 文学部専門教育科目【通信授業】
科目名:「国語学各論」−さまざまな辞書たち−[1単位]
著者:関場 武(慶應義塾大学 名誉教授)
問題:一般の国語辞典は、日本語の生え抜き話者を対象にしており、日本語を学ぶ外国人が学習のために使うには使い勝手が悪いところが多い。自分が、初級(初歩的な漢字を習い始めた段階程度)の日本語学習者であると仮定して、国語辞典を見直し、そのような点を見つけるとともに、どうすれば使い勝手をよくできるかを考えなさい。

※原著にある注の部分は省略
一、基礎語を国語辞典で引く
 明鏡国語辞典を発行している大修館書店は同辞典を、「中高生や日本語学習者が、言葉を使う時の指針となるように作っている」 としている。

 しかし、その言に反して、同辞典も含めて概してわが国の国語辞典は、日本語学習者よりは、日本語を母語とする者を主たる読者と想定して編集されているものと考えることができる。

 それをたしかめるために、基礎的な日本語である「死」を、当該の明鏡国語辞典(初版)で引くと、その語釈は次のようにしるされている。「命がなくなること。死ぬこと」。

 死を、まず「命がなくなること」と語釈している。これは、簡明なる説明である。ところが、それにつづけて「死ぬこと」との語釈を付している。死を「死ぬこと」と説明されても、日本語を母語としない方々には、理解するのが困難視される。

 翻って、わが国の代表的な中型辞典である広辞苑(第七版)にて、「死」を引いたところ、明鏡国語辞典とおなじように「しぬこと」としるされている。おなじ中型辞典である大辞林(第三版)においても、死を「死ぬこと」と語釈している。

 さすがにこれでは説明不足との認識を同辞典の編集者はおもちなのであろう、広辞苑ではつづけて、「命がなくなること」と記す。大辞林では、「生物の生命活動が終止すること。 ⇔生」と記している。

 そこで次節では、「死」の反対語とされる「生」を、各辞典で引いてみる。

二、「生」と「命」を国語辞典で引く
 「生」を、先程とおなじようにまず、明鏡国語辞典で引いたところ、「いのち。生命」との語釈を付している。つづけて、広辞苑(第七版)で引くと、「いきること。いのち」と説明している。大辞林(第三版)では、「?生きていること。?生命。いのち」との説明がある。

 そこで、今度は「命」を、広辞苑(第七版)で引くと、次のように記述している。「生物の生きてゆく原動力。生命力」。大辞林(第三版)で「命」を引くと、「生物を生かしていく根源的な力。生命」と記している。

 「命」を冒頭でふれた明鏡国語辞典(初版)で引くと、「生物が生きている限りもち続け、死とともに消滅するもの。すべての活動の源泉となる。生命」とあり、ここでも、「命」を「生命」ということばによって代替的に説明していることに気づかされる。おなじ小型辞典である、角川必携国語辞典では、「生物が生きるもとになる力。生命」とあり、同辞典においても「生命」とのことばにて説明している。デイリーコンサイス国語辞典では、「生命。最も大切なもの」としている。新明解国語辞典(第七版)では、「生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称」とし、それに続けて〔一瞬一瞬生きることの繰返しとしてとらえられる緊張の持続であり、客観的には有限であるものが、主体的には無限の連続として受け取られるところに、その特徴が有る〕と語釈している。

 これは、同辞典(第ニ版)における「人間や動物などが生きて活動するささえとなる、かけがえの無い力。生命」と比較してみると、かなり改変したあとがうかがえる。より入念な説明となっていることに、気づかされるのである。

 おなじ「命」を、日本語学習者、つまり、日本語を母語としない者を読者として想定する『日本語を学ぶ人の辞典』で引くと、次のようにしるしている。「生物が生きていくための力のもとになるもの。生命」と、同辞典においても他の多くの国語辞典とおなじように、「生命」をもって説明していることに気づく。ちなみに、同辞典で先程の「死」を引くと、「命がなくなること」と説明している。

三、循環論法
 命を生命という同義の類似したことばで説明している国語辞典がいかに多いのかを、確認することができたが、このような説明を東海林さだおは、広辞苑で「歩く」を「一歩一歩踏みしめて進む。歩行する。あゆむ」とするのに対して、「この解説ずるくないか」 と疑問を呈している。筆者もおなじ感懐を抱いている。そもそも、このような説明は、循環論法といわれるものではないだろうか。

 循環論法を広辞苑(第七版)で引くと、次のように説明している。「論点先取の誤謬の一つ。前提の真理と結論の真理とが相互に依存し合うような堂々めぐりの論証」。これを先述の東海林さだおはいみじくも、「堂々めぐりである」 と指摘している。

四、循環論法によらない語釈をめざして
 基礎語たる日本語の根幹をなすことばを実際に国語辞典にあたることによって、新明解国語辞典のような例外はあるものの、類義語をもって多くの国語辞典は説明している実態がみえてきた。

 これは、日本語を母語にしている者にとっては、「堂々めぐりで、ずる」いという不満を抱かせる説明である。
 より切実なのは、日本語に習熟していない日本語学習者である。ことばの意味を国語辞典で引いてもその語の説明だけでは意味が判然とせず、説明のために代替的に用いられた類義語をあらためて引き直さなければ、意味を理解することができない。

 これを避けるためには、辞典の本義に立ち返るべきではないだろうか。そこで、「辞典」を広辞苑(第七版)で引いたところ、「辞書1に同じ」としている。「辞書1」を引くと、「ことばや漢字を集め、一定の順序に並べ、その読み方・意味・語源・用例などを解説した書。辞典。辞彙」としている。辞書を広辞苑(第ニ版補訂版)であらためて引くと、「ことばを集め、一定の順序に並べ、その読み方・意義・語源・用例などを解説した書。字書。辞典。辞彙。字引」としている。

 辞典でことばの説明をおこなう場合、その言葉の代替的なことばをもって説明に代えるのではなく、広辞苑で、「意味」あるいは「意義」と説明しているように、そのことばの「意味」や「意義」をもって説明するように、辞典の編集者はつとめるべきである。出来得れば、それぞれの語の成り立ちを記述したほうが、よりよい説明であると考えられる。それが、循環論法によらない語釈をするための有効な方策であると筆者は考える。

五、『古典基礎語辞典』で「死ぬ」を引く
 「それぞれの語の成り立ちに注目して」 いる辞典『古典基礎語辞典』(初版)で、「死ぬ」を引くと、次のような説明をおこなっている。「シヌのシは、ニシ(西風)などのシで風の意、また、シナガドリ(息長鳥、水鳥のかいつぶり)などのシで息の意でもある。ヌはイヌ(往ぬ)のヌと同じ。イヌは、継続している意を表す動詞に付く接頭語のイと、かつて存在したと推定される動詞ヌ(いなくなる、なくなる意)から成る語で、息が絶える、死ぬ意を表したものと思われる。イク(生く)は、名詞となればイキでこれは「息」であるから、シヌの対義語となる」。

 このような説明を付せば、循環論法が入り込む余地はない。

【参考文献】
『新訂 日本語を学ぶ人の辞典』監修阪田雪子(新潮社、2011年)
『似ている日本語』佐々木瑞枝(東京堂出版、2017年)
『超明解!国語辞典』今野真二(文藝春秋、2015年)