町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

平成25(2013)年度 慶應義塾大学大学院 入学志願者調書(法学研究科 修士課程 秋期入試)大学での活動

2016.12.19(月)

入学後の研究について
(テーマ、問題意識、研究計画)

【テーマ】「消防団を活性化させるにはどのようは方途をとるべきか」

【問題意識】
 消防団員数が減少していることが問題化されるようになってすでに久しいが、改善される傾向は一向にないどころか状況は悪化している。

 昭和20年代には2百万人を超えていた消防団員であるが、その後一貫して団員数は減少し、平成2年には百万人を割り込み、それが平成23年には約88万人にまで落ち込んでしまい、下げ止まる兆候は見えない。

 そのため、消防団員の定員確保は、消防団が地域防災の中核的存在であり続けるためには、喫緊の課題といえる。このまま推移した場合、その担い手である団員が定員を大幅に割り込んだ消防団は、どのようにすればその機能を維持存続させることができるのか、それを現役の消防団員でもある筆者は「明白かつ現在の危険」としてとらえている。

【研究計画】
1、なぜ消防団員が、戦後一貫して減少しているのか、原因はひとつではなく多様なものが考えられるがその主因を明らかにしたい。

1-1、消防団員が減少する理由には様々なことが考えられるが、その一つに、団員になった際の、過重なる負担が挙げられる。以前からも荷重負担は指摘されていたが、団員が多かった頃は皆が等分に負担を受けていたためさほど問題視されなかった。

 ところが、現在は団員数が減少したため、特定の者のみが負担させられているという実感を持つようになった。そのため、不公平感が生じ、団員の負担感も限界に近づいている。特に、消防操法大会への出場に、過重なる負担を感じる団員が多いように見受けられる。

1-2、消防団員の減少とともに問題視されるのが、団員の高齢化である。2009年4月1日現在の平均年齢は38.5歳となっており、10年前の1999年と比べ2.0歳上昇した。高齢化解消のためには、年少団員を増やさなければこの問題に対応できないが、その有効策をさぐっていきたい。

2、消防団員が減少する理由を明らかにした後、その理由を除去することによって消防団員を増加させることは可能か否かを考察し、その結果、可能であれば、その理由を除去する方途を考察する。

3、逆に、上記理由を除去することが困難であると認識された場合には、団員が減少する消防団はどのようにしたらその機能を維持できるのかを考察する。

3-1、現段階で考えられる方策の一つに、消防団の常備消防化が挙げられる。現在の消防団員は非常勤特別職の地方公務員という位置づけとなっているが、出動報酬等を厳密化することによって、団員報酬に生活給的側面を持たせる。そのことによって、フリーター等の入団促進につなげられないかを考察する。

3-2、機能別団員制度をより多くの消防団に導入することによって、団員の差別化を図る。そのことにより、消防団への低い関与を望む団員と強い関与を望む団員に、それぞれに見合った、活動の場を提供できるようになる。

3-3、残念ながら、消防団への無関心が醸成され、定着してしまったようである。それを払拭するために、パブリシティをもっと活用するのも一方策であると考えられる。

3-4、いずれにしろ、消防団入団への誘因づくりにはより留意しなければならないだろう。

【将来の希望】
 私は現在、町田市消防団で団員をつとめております。消防団活動に携わっていて痛感させられるのは、その余りに過重な負担です。特に、消防操法大会に出場する際には、開催間際にはほぼ毎日のように訓練が課されます。

 なぜ、これほどの時間と労力を提供しなければいけないのか、疑問を覚えるほどです。もはや、ボランティア精神だけで、消防団活動を維持することは困難になってきています。そこで、たとえ短期間であろうと、何らかのかたちで市民が消防活動に従事していただくというのも一つの考え方であろうかと思います。

 そうすれば、消防活動に無関心な市民にも消防活動への一定の理解がもたらされるものと考えられるからです。消防団活動に従事していて最も辛いのは、市民の無理解、無関心です。これを払拭させるためにも、本論文を完成させ、それをもとに市議会活動に携わっていき、地域の住民が自らのまちを自らの手で守る仕組みをつくっていきたいと考えています。

「社会人経験について」

 私は、1981年(最初の)大学卒業と同時に、三遊亭円丈師のもとに弟子入りを志願し、その願いを師匠が受け入れてくださり、落語家(の卵)となることができました。

 以後、1982年2月には、落語協会の前座となり、その修業を通じて寄席の高座にも上がるようになりました。1986年9月には、二ツ目に昇進し、三遊亭乱丈と改名しました。1996年3月には、念願の真打に昇進し、現名の三遊亭らん丈と改名し、今日に至っています。

 真打昇進後の1999年に交通事故に遭い、右足腓骨を骨折したことから、全治するまで松葉杖をつく生活を余儀なくされました。そこではじめて、当時の公共空間はいかにも松葉杖では歩きにくいことを体感させられました。

 それは、一時「福祉の町田」と持て囃された、筆者にとってはふるさとである町田において強く痛感させられたのです。

 そこで、それまでの落語家としての活動にくわえて、その現状を変えるために、なんらかの社会活動に携わりたいとの思いが込み上げてきました。そのことによって、松葉杖をついても歩きやすい町田に変えたいとの思いにとらわれたのです。

 そのためには、町田市政への参画も一つの方途と考えたのですが、それ以前に、市議会議員になるためには財政学の知見が欠かせないため、それを補うために、地方財政を中心に広く経済学を学修する必要性を感じ、翌年、立教大学経済学部の3年次に編入学し、「地方財政論」のゼミナールを履修しました。

 しかし、同学部を卒業する前月の町田市議会議員選挙では、2,000以上もの票を頂いたものの当選には至りませんでした。

 次の選挙までの時間を利用して、あらためて行政法や行政学、地方自治を学修するために、早稲田大学社会科学部に学士入学し、どちらも学べる「地方自治と行政」というゼミナールを履修しました。

 2006年の町田市議会議員選挙では、幸いにも初当選を果たすことができ、学業と並行して議会活動にも携わるようになりました。その後、2007年には同学部を卒業し、引き続き、公務員の分限処分の研究を行うべく、同大学院社会科学研究科政策科学論専攻に入学しました。

 2009年には、同研究科を修了し、今度は同大学院法学研究科民事法学専攻に入学し、社会保障法の研究室に入り、議員年金についての研究をはじめました。同研究科を修了後、公共政策を学修するため今度は、一橋大学大学院国際・公共政策教育部に入学し、指定都市の要件を満たした市はすべて指定都市に指定されるのに比して、中核市や特例市に人口要件を満たしながらその指定を受けようとしない市があるが、それはなぜなのか。たとえば、兼子仁教授が指摘するように特例市の場合は、「指定のメリット評価が定まらない」からなのか、それとも他の要因があるのかを研究しているところです。

 市議会議員としては、初当選以来、保健福祉常任委員会、文教社会常任委員会(現在同副委員長)、建設常任委員会委員長、議会改革調査特別委員会副委員長、決算特別委員会委員長、会派代表者等をつとめ、議会改革調査特別委員会副委員長のときには、請願者が常任委員会で自らの意見を陳述できる、全国的にみてもその先駆けともいえる制度の導入に意を用い、一定程度の役割を果たしました。

 この制度により、請願者は二人まで、常任委員会審査の前に5分間に限り、その請願理由等を直接陳述できるようになり、委員からの質疑にも応答できるようになりました。

 また、市議会本会議での一般質問では、予算措置を伴わない提案をおこなうことによって、その提案が市によって実現される頻度は比較的多いものと考えています。たとえば、不要になった入れ歯を集めてNPOが回収することで、その売却金の一部が市に戻されるという提案が実現されました。