町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

早稲田大学大学院 社会科学研究科「社会思想」Ⅱ課題リポート大学での活動

2008.03.28(金)

【箇所】早稲田大学大学院 社会科学研究科 地球社会論専攻
【科目】社会思想Ⅱ:近代西洋社会思想史
【開講学期】2009年度 後期[2単位]
【担当】古賀 勝次郎 教授〈早稲田大学 社会科学総合学術院〉
【課題題目】『ルターの「良心」と「自由」について』

1、はじめに
 内村鑑三の門下にあった藤井武は、岩波書店をはじめとする出版社から幾度かその全集が刊行されている明治および大正期の聖書学者であり、キリスト教伝道者でもあった(『コンサイス人名事典 日本編』三省堂)が、藤井武全集刊行会による、全12巻からなる『藤井武全集』を編輯したのは、塚本虎二と矢内原忠雄の両名であった。その全集第10巻に矢内原は、つぎの言葉を寄せている。

 それは、「万人はルーテルをそのうちに有する」というものである。
 これに感応し、「おまえもルターをうちにもっている―と言われたこの言葉は、わたしに強い衝撃のようなものを与えた」と、松田智雄は自ら責任編集をした「世界の名著」第23巻『ルター』(中公バックス)に収めた、「ルターの思想と生涯」で記している。

 この箇所に、筆者であるわたしも、おなじ思いを抱いた次第である。
 上記の言葉が、その通りであるとするならば、それは何を意味しているのであろうか。

 それを解明することは、とてもこの小稿では覚束ないことと観念されるが、その一端を考えるよすがになれば幸いとの思いで稿を起こしたい。

2、ルターの仕事の全体は、彼の言動の全体
 「ルターは血液の循環、または重力の法則、あるいは新世界などに類似の事実を何ら発見したのではなかった。さらに彼の歴史学、または哲学的知識においても、平均以上にのぼるものではない。彼の文学作品にも、これこそルターのすべてであると言いうる何ものもない。われわれにとって、『神曲』こそはダンテ自身であるし、『ファウスト』は厳密な意味でゲーテの全人格であるが、これに似通うものを、われわれはルターについては知らないのである」。

 これは、ルターについての、アードルフ・ハルナックによる「すばらしい講演」(松田智雄)とされる、『マルティン・ルターの精神史的意義』にあった言葉である。

 ここから、松田はルターについてつぎのように記す。
 「彼(ルター)の精神の深みと豊かさとをもっともよく表現する業績は、ただ一つの翻訳であり、それは聖書の翻訳にすぎないかもしれない」とし、つづけて「ルターの仕事の全体は、彼の言動の全体であって、決してその作品のあれやこれやではない」とする。

 このように、ルターを語ることは、ルターの言動の全体をたどることになるのであるが、それは、小稿では不可能事であるため、次項において、その生涯のクライマックスを迎えたといっても過言ではない瞬間−審問を受けた場面について考えたい。

3、ウォルムス国会でルター審問を受ける
 1483年に始まり、1546年に永眠するルターの生涯は、「さまざまな劇的場面に富んでいる」(松田智雄)が、ルターが37歳であった、1521年4月18日のことを逸することはできない。
ウォルムスで開かれた国会に喚問され、審問を受けたその日におけるルターは、63年におよぶ「生涯の最高点に立っていた」(松田智雄)といえよう。

 その日、ルターは、神聖ローマ皇帝カール5世の審問を蒙り、その著書を取り消すか否かを言明するように命令された。その際の答えは、あまりにも有名なものであるが、同席した記録者によって書きとどめられたものは、つぎのように結ばれている。

 「良心に逆らって行動することは、確実でもなく正しくもありませんから、私は何ごとも取り消すことはできませんし、また欲しもしません。ここに、私は立つ」

 おなじ箇所を金子晴勇は、つぎのように訳している。
 「わたしの良心は神の言葉に縛られています。わたしは取り消すことができないし、またそうしようとも思いません。なぜなら、自分の良心に反して行動することは、危険であるし正しくもないからです。」 

 ここにあるように、「神の言葉に従うということは、彼にとって最大の良心問題であった」 といえよう。

 この場合の、「良心」とは、英語のconscienceにあたるが、同語は、古賀教授が指摘するように、近代社会の幕開きを準備するものとなった極めて重要な概念である。
 それは、古賀教授が指摘するように、近代西洋は、「良心の自由」から始まったのであるが、まさにこの日のルターは、「良心」をもって、宗教改革の幕を切って落とし、中世のキリスト教から、「キリスト教の内面化、純粋化を推し進めることによって、キリスト教神学をその内部から掘り崩すことになった」 のである。

 それは、つぎのような順序をたどることになる。近代社会の出発は、上記のように「良心」の自由に淵源を見出すことができるが、それは、宗教、ひいては信仰の自由をもたらす。そのうえで、思想・言論の自由をもたらし、そこから、政治の自由をも達成される、その嚆矢に「良心」の自由は不可欠だというのである。

 ただ、問題は、conscienceを日本では「良心」と訳してしまったことにある。それは、中村正直がJ.S.ミルの『On Liberty』を、『自由之理』という邦題で訳した際に使われた訳語と認められるが、そもそもconscienceという語の原義を辿ると、con(共に)とscience(知ること、科学)とが合一した語である。したがって、その原義は、「神と共に知ること」となる。
つまり、conscienceでは「知」が肝要な概念として措定されているのであるが、その知は、個別知としてのconscienceと、普遍知としてのsynteresisとに分けられる。この場合、synteresisは良知と訳され、個別知は、普遍知(良知=神の知≒教会の知)に従属するものとされる。

4、キリスト教的な自由
 ルターの思想の核心が簡潔に、しかも最も美しく述べられている書は、教皇の特使カール・フォン・ミルティッツの要請によって書かれた『キリスト者の自由』であろう。

 ルターは、当時のローマ・カトリック教会とは妥協する余地が残っていないと感じていたにもかかわらず、いたずらに混乱を引き起こす意図はなく、反対者から非難と罵倒がないかぎり、反抗的で攻撃的な言葉は控えたいと考えていた。ミルティッツは、こうしたルターの基本的態度は教皇の人格を傷つけようとしているのではなく、教会内の弊害を改善しようとすることにほかならないことを知り、それを明らかにする著作を書くように求めた。そこでルターは『教皇レオ十世に奉る書』を書き、さらに自己の基本思想をこの書にまとめあげた。そこでは論争の影すらも感じられず、宗教的な内面的経験にもとづいて心の深みから静かに溢れ出るような福音的な信仰が説き明かされる。

 そこでは三つの特徴的な思想が、展開されている。
 一つは、「自由な君主」と「奉仕する僕」との対立命題であり、両者が人間の内的な霊と外的な身体との二つの領域に分けて考察され、かつ信仰と愛との二つの観点から鮮やかに解明される。

 つぎに、ルターの中心思想である義認論が展開される。
結論部分では、自由の本質についての理解が示される。ここで、重要なのは、自由がもはや「自己自身において」生きない人において実現する、つまり真の自由は「自己からの自由」に求められる、ということである。このように、近代のはじめに説かれた自由は、良心という人間の深層にある霊的な自由であって、政治的な自由でも、主体的な自由でもなかったということである。ところが、当時の社会運動は、農民戦争にみられるように、ルターの説く「キリスト者の自由」を誤解し、政治的な自由の要求に利用したのであった。

 こういった思想に対して、トーマス・ミュンツァーや再洗礼派、霊性主義者たちによる批判が提起された。

 こうした批判は、自由が政治的に用いられて、それが世界観となるときに起こってくるが、やがて、ルター派の教会にとどまりながら、正統派の教義が形骸化し、生命を失っていく時代の傾向と対決する勢力を生みだすことになった。そこでは、良心における自由が力説され、ヨーロッパ的霊性の源泉となった。

5、ルターの良心
 ルターには権威や権力がなにもなかっただけに、その地位は、たとえ内面的権威を帯びるものであったにしても、彼の独自の地位と使命とを支える基礎であった。

 ルターは、外側の力によって、それが権威であれ権力であれ、なんとも動かしがたいものを、「良心」と呼んだ。そこでは、「良心」は、日本人が一般に考えるように、弱く、主観的なものではなかった。彼の「良心」は、その当時の世界、カトリックが支配する世界の権威よりも優越していた。それは、なぜであろうか。これについては、ルター自身、国会審問の際にきっぱりと、「私の良心は神の言に捕らえられている」と答弁している通りである。

 日本人には、この感性はなかなか理解し難いところであるが、ルター理解にとっては、ここが最も肝要なところとされている。

 それを松田智雄はつぎのように記す。「彼の「良心」が神の言に捕えられていたからであり、神の言に捕えられている状態、つまり被縛性によって生まれ出たものであった」と。

 つづけて、「被縛性と自由、この矛盾した二つのもの。それが、ルターの全生涯なり、宗教改革の歴史的な意義、その思想史的内容を理解する鍵ではないだろうか」 と、松田は指摘するのである。

6、『キリスト者の自由』
 『キリスト者の自由』において、「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない」(「世界の名著」第23巻『ルター』52頁)という文言が記されているが、その著『奴隷的意志』では、「人間の意志はそれ自体において自由なのではない。それは神によって支配されるか、いずれかである」と記されている。

 ここに、被縛性が自由と結びついている矛盾の論理が看取されるのであるが、それでは、この『キリスト者の自由』はどのような意味で、新しく、また革新的なのであろうか。

 たしかに、中世でも自由という言葉は用いられていた。しかし、それは、哲学的、神学的観点と、広い意味で社会的、歴史的観点のふたつに限られてのことであったと言われる。
前者は「意志の自由」にかかわる、アウグスティヌスとペラギウス主義との論争以来の問題である。 

 それに対して、後者、すなわち、中世が広い意味で社会的、歴史的観点で用いていた「自由」は「教会の自由」libertas ecclesiaeと呼ばれるものであって、中世における、いろいろなレベルでの教権と俗権との争いの結果として成立した、教会の財産や聖職者たちの特権や権益を指す。

 これらふたつの「自由」はいずれも、古代世界における自由理解のキリスト教化であったと言ってよい。 

 このようにして、キリスト教化された、古代世界の自由理解が主役となっているところでは、本来の、キリスト教的な自由理解は見失われてしまう。ルターの『キリスト者の自由』の意義は、そのように後退させられ、見失われてさえいたキリスト教的自由を回復したところにある。それは、「信仰という言葉に当てはまるよりももっと強く、ルターは自由という言葉を突然新しい力をもって広めた(エベリング)とか、「パウロはキリスト者の自由について語った。だがその後これについては余り多く語られないようになってしまった。ルターはこのテーマを、ローマ教会に対する宗教改革的な戦いの呼びかけとしたのである」(ラーナー)と言われるところなのである。キリスト教的自由、キリスト者の自由のパウロ的理解を回復し、さらに深めたところに、『キリスト者の自由』のもつ、新しさ、革新性があったと言ってよいであろう。 

7、自由の本質についての理解
 『キリスト者の自由』の第30において、「キリスト者は自分自身のうちに生きるのでなく、キリストと自分の隣人とにおいて生きる。(中略)見よ、これが真の、霊的なキリスト者の自由であって、心をあらゆる罪と律法と戒めから自由にする」と記述されている。

 ここで重要なのは、自由がもはや「自分自身」において生きない人において実現する、つまり真の自由は「自分からの自由」に求められる、ということである。このように、近代の初めに説かれた自由は、良心という人間の深層にある霊的な自由であって、政治的な自由でも、主体的な自由でもなかった。ところが当時の社会運動は、農民戦争に見られるように、ルターの説く『キリスト者の自由』を誤解し、政治的な自由の要求に利用したことであった。 

8、良心の三つの形態
 良心は一般的に言って三つの領域で問題になる。第一は、社会的習俗の領域であり、社会的風習、伝統と言った諸々の規定に良心は服している。第二の領域においては、良心は、一般的法を超えた道徳的意識の反照として現れ、理性的な道徳の命法に従うように警告されたり、また道徳的な罪を犯した場合には審判されると感じる。これは倫理的良心である。第三の領域は、理性よりもいっそう深い自己にかかわるレベルである。すなわち、人間が現に在る日常的に堕落した状態を絶えず超越して真の自己に達するように促す内心の責として良心が理解される場合であり、倫理の領域を超えた自己の存在にかかわる宗教的な領域である。

9、ルターにおける「良心」
 ルターにとって、上記の三形態は同時に、彼自身の精神的発展を形成した点に注意する必要がある。彼は、修道院での生活において、倫理的善を追求したが、彼の良心はこれによって平安を得ず、聖所に奥深く入り、そこで、ついに神の義についての新たな認識に達し、良心の真の自由を得るに至った。それを推進する力は、信仰と愛が担ったのである。