町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

早稲田大学大学院 公共経営研究科「地方分権論」期末課題リポート大学での活動

2007.07.17(火)

箇所:早稲田大学大学院 公共経営研究科⇒公共経営大学院
科目:「地方分権論」
開講学期[単位]:2007年度 前期[2単位]
担当:片木 淳 教授(早稲田大学 政治経済学術院)
期末課題リポート題目:『少子高齢社会を迎えた日本は、地方の自立が不可欠である』
分量:A4で5枚

【緒論:パターナリスティックな日本〜電車アナウンスを一例として】
 鉄道車輌に乗車すると、当事国のお国柄の一端が垣間見える、という視点を筆者は持つ。

 鉄道アナウンスを例に取ると、ヨーロッパの鉄道は概して、必要最小限のアナウンスに終始しているのに比して、日本の鉄道は往々にしてパターナリスティックな傾向がうかがえる。

 やれ、次の駅が近づいただの、雨が降れば傘を忘れないようにだの、お年寄りや身体の御不自由な方、妊産婦には席を譲れだの、ホームでは白線の内側を歩けだの、携帯電話での通話は遠慮してくれだの、携帯電話は呼び出し音を消音にしたうえでマナーモードをonにしてくれだのといった具合である。

 以上、すべてお節介以外の何物でもなく、当然のマナーを実行していない乗客がいるから、車掌は乗客諸氏のマナーの遵守を目論み、アナウンスを繰り返すのであろう。

 ことが鉄道に限られれば、ただ一時の騒音を我慢すれば済むが、この“パターナリズム”は日本の至るところに蔓延しているのではないだろうか。

 それが公共部門における、市民と行政とのもたれあいを生み、育てた、原因の一端ではないかと、筆者は秘かに考えている。

 もうひとつここには、アナウンスを行ったことで、車掌は責任を果たしたという免罪符が得られる構造も仄かに見えてしまう。

 これが、行政に関わることをなるべくならば忌避しようとする市民を生み、行政は、アングロサクソン系には依らず、大陸系の、市民から全権限を付与され、その負託に応えるため、総合性をもって行政サービスを行うことを志向する政府を構築させようとしてしまう要因を、付与させているのではないだろうか。

 地方政府は、市民に資すると行政が考えた施策を実行する際に、往々にして市民への説明責任を果たそうとはせず、独断に着手してしまい、それによって地域住民との軋轢を生み出してしまうのも、過度のパターナリズムによって招来される弊害である。

 また近年、平成の大合併が促進された結果、自分の住む公共団体に大きな変化がもたらされたことにより、遂に市民も遅ればせながら、行政に対する監視の視線を持つようになったというのが、市民と行政を取り巻く日本でのごくおおまかな見取り図といえるのではないか。

 その際、市民に最も身近な公共団体である基礎自治体に市民の目が向けられるようになったことで、“パターナリズム”に変化が生まれ、市民は地方公共団体に監視の目を持つようになり、自分たちのことは自分たちで決めようという、本来の民主主義がようやく地方自治にも確立される気運がもたらされたようである。

【ナショナルミニマム】
 1962年10月5日に、「全国総合開発計画」(第1次)が、閣議決定された。
 これは、国土総合開発法に基づいて、国土の均衡ある発展のためにどのような利用、保全策をすべきかの長期的指針を策定したものである。
 直近では1998年3月31日に、第5次となる「全国総合開発計画」(名称「21世紀の国土のグランドデザイン−地域の自立の促進と美しい国土の創造−」)が、閣議決定された。

 第5次「全国総合開発計画」(略称「全総」)では、2010年から2015年を目標年次とし、それまでの4次にわたる「全総」のいずれにおいても策定されなかったタームが新たに入っているのが、興味深い。
 たとえば、多自然型居住の推進や大都市のリノベーション、地域連携軸の展開、広域国際交流圏を戦略として掲げており、やわらかい表現として、ガーデンアイランズ(庭園列島)を目指すとしている。

 各「全総」では、その背景を分析列挙しており、それぞれ3項目掲出されている。

 たとえば第1次全総では、1 高度成長経済への移行 2 過大都市問題、所得格差の拡大 3 所得倍増計画(太平洋ベルト地帯構想)が背景として、挙げられている。
 それが、第5次全総では、1 地球時代(地球環境問題、大競争、アジア諸国との交流) 2 人口減少・高齢化時代 3 高度情報化時代といった具合に、初めて「人口減少・高齢化時代」という項目が挙げられている。

 また、投資規模において、第1次を除けば第2次から第4次まですべて、その総額を掲示してきたのにもかかわらず、第5次においては以下の記述が見られる。
 「投資総額を示さず、投資の重点化、効率化の方向を示す。」

 この「人口減少・高齢化時代」と、「投資総額を示さず、投資の重点化、効率化の方向を示す。」の2点は、何を示唆しているのであろうか。

 それは、日本の来るべき時代は、人口が恒常的に減少し、それとともに、高齢社会がますます深化することを指し示しており、それに対する財政出動の手当ては極めて心許ない状況であることを暗示しているのである。

 小倉波子は、“資源を中央に集中し、効果的に分配する仕組みによって、わが国では、ナショナル・ミニマムは全国的にほぼ充足されたといえる状況にある。”と記述している。[注1]

 なるほど日本では、1949年の第1次シャウプ勧告によって創設された地方財政平衡交付金制度に端を発する地方交付税制度が、1954年度から実施されている。

 また同制度の淵源は、戦前の1936年にまで遡ることができ、以来地方財政調整システムの主柱を担い、今日に至っている。

 この制度が円滑に機能した結果、小倉氏が指摘するように、ナショナル・ミニマムが達成され、「全総」は、その使命を終え、終結されるのであろう。

【地方交付税交付金】
 地方交付税交付金は、地方税、国庫支出金、地方債と並ぶ地方公共団体の4大財源の一つであることは、今更いうまでもない。

 それは、地方団体間の財政力の格差を解消するため、地方交付税の適正な配分を通じて地方団体相互間の過不足を調整し、均霑化を図る財政調整機能と、基準財政需要額、基準財政収入額という基準の設定を通じて、どの地方団体に対しても行政の計画的な運営が可能となるように、必要な財源を保障する財源保障機能も併せ持っている。

 ただ、地方交付税に関する問題として、第1に、法定5税(所得税、酒税、法人税、消費税、たばこ税)がその財源となっているが、この5税による「国税の一定割合」によって決まる交付税総額が、配分適正化・財源保障に要する金額と一致することはまずないということが挙げられる。

 なぜならば、両者はまったく別の論理に従って決まるのであり、一致しないどころか、例えば景気低迷期には、国税の収入額は減少するために、両者のギャップは急速に拡大してしまうという構造的な問題を抱え込んでいる。

 このように交付税額と地方の財源不足額の乖離が著しく大きくなった場合、地方交付税法では、地方行財政制度の改正または交付税率(国税の一定割合)の変更を行い、両者を一致させると規定されている。

 しかし、これまで実際に乖離が生じたケースをみると、一時的な対策(「地方交付税特別会計の借入れ」や地方債の増発など)が講じられるばかりで、交付税率の改定はスムーズに実施されにくいという実状があった。

 第2の問題点は、第1の点とも絡むが、地方固有の財源という性格があまりに弱いという点である。地方財源という性格を強めるべきとの立場からは、交付対象の国税5税をドイツのように、国・地方の「共通税」にすべきことも提唱されているが、現実論(あるいは共通税化の第一歩)として、地方交付税特別会計への直入を支持する意見が強い。

 すなわち、国の一般会計にいったん計上しているのをやめ、地方交付税特別会計に直接繰り入れようというのである。

 第3の問題点は、国・地方間の税源配分そのものの改革問題ともいえるが、税源配分があまりにも国に偏重しているため、地方交付税が必要以上に大規模になっており、またそのために地方の自主性が阻害されていることである。

 平成18年度においては、不交付団体の人口は3,303万人、人口割合にして25.9%に過ぎず、日本の全人口の4分の3は、交付団体に居住している現状がある。

 これは、市町村レベルでは、平成17年度では全1,820団体のうち、わずか169の不交付団体しかない、ということである。

 しかし、このうち相当数の団体は、税源配分の改革・国税の地方委譲がもっとドラスティックに行われれば、交付税なしに自立できる、つまり自らの地方税のみで行政活動を担える団体である。

 換言すれば、現在それらの団体は、税源のかなりの部分を国に吸収され、それを再び交付されるという不必要に国に依存する状態に置かれているのである。[注2]

【これからの日本】
 第5次全総の背景において、「人口減少・高齢化時代」が項目として挙げられていたが、日本は2030年に人口は現在より約1000万人減少し、高齢者の割合は現在の20%から、32%へと跳ね上がる。

 その結果、年金、医療、介護保険、生活保護など社会保障制度にかかる2006年度の公的な費用(支出)見込みは、合計で89.8兆円かかっていたものが、2025年度には1.6倍の141兆円に膨らむとの試算がある。

 つまり、ごく粗笨な見立てを許されれば、日本はすでにしてナショナル・ミニマムは達成されているために、【緒論】でみたように、日本人に顕著なパターナリスティックな心性を以てしても、膨大なる税金を投入して成立する従来からあるような、新たな「全総」を策定したうえでの“国土の均衡ある発展”は、非常なる困難を伴う。

 また、【地方交付税交付金】でみたように、地方交付税交付金は、人口の減少にともない“国税の収入額は減少するために、(地方団体との)両者のギャップは急速に拡大してしまうという構造的な問題”が近い将来解決されることは、想定されにくい。

 ならば、これからの日本では、地方団体が中央政府を頼みとして、そこから多くの地方交付金や国庫支出金を引き出すことよりも、自らの努力によって自立する道をとろうとすることこそが望まれる。

 そのために、従来にはなかった数々の施策が地方団体により策定され、実施されている。
 たとえば、葉っぱを料理のつまものとして商品化している徳島県上勝町の彩(いろどり)の2006年度の販売額が、過去最高だった前年度を約480万円上回り、2億3,102万円となった。

 この販売額の増額は、市場分析を基にした出荷調整が効果を上げたほか、市場出荷が増えたのが要因。このように、彩事業は上勝町の一大産業として成長を続けている。[注3]

 一昔前ならば、だれも木の葉を商品化しようとは考えなかったであろうが、こうして上勝町では、2億円以上もの売り上げを計上している。

 あるいは、宮城県では産業振興と震災対策のために、地元企業を対象に独自課税を行う方針を固めた。それは、県税の法人事業税に上乗せする方式を採る。実現すれば、地方団体が法人事業税の超過課税を導入するのは約30年ぶりとのことである。
 これは、2004年度の税制改正で要件が緩和され、必要な政策目的に充当する場合でも導入できるようになったためである。[注4]

 こうした流れのなかで、自治体が課税自主権に基づき、独自に税収の確保をめざす動きが広がる可能性がある。

【結論:国つくりから「まちづくり」へ】
 これからの日本は中央政府による国つくりより、地方団体による「まちづくり」を優先させるべきである。

 田村明(法政大学名誉教授)が、「まちづくりとは、お上に対する市民の立脚点を示す言葉。地方自治体はどちらにつくのか。市民の側に立った、まちづくりをしなければ明日はない」と語っているが、まさしく急所を突く言葉である。[注5]

 「言葉は国家官庁にも定着したし、利用可能な制度も整備された。地方分権や道州制の流れもあり、決して暗くありません」と田村が続けるように、たしかに、地方団体は、それぞれの実情にあったまちづくりを進めることが、以前ほどは困難ではなくなった。

 同じ意味の言辞を【ナショナルミニマム】で引用した小倉波子は、以下のように記す。
 「ナショナル・ミニマムからローカル・オプティマムへ。地方にとって最も効率的な公共サービス供給の仕組みをつくるためには、地方財政制度の改革と並んで、地域社会を構成するわれわれ自身の意識改革もまた大切であるといえよう。」[注6]

 こうしてこれからの日本の地方公共団体は、中央政府に財政的に依存せず、先述の上勝町のように、地域住民の才覚によって、よりよく生きようとする団体が増えるであろう。

 なぜならば、中央政府は、木の葉を売って2億円以上もの売り上げを計上しようとは決して考えないであろうから。

 また、私自身が町田市議会平成18年第3回定例会一般質問で提案したように、公共団体は武蔵村山市の先行事例があることでもあり、予算0で市民に資する施策を講じようと努力することも、もっと企図すべきことだと考える。[注6]

 その際、留意すべきは、これからの公共団体は自立を図る際に、今年から3年間で約800万人もの方々が還暦を迎える、1947年から49年にかけて生まれた団塊の世代の力を有機的に機能連携させることに努めなければならない、ということである。
 60歳の定年後は、地域でのまちづくりに自発的に取り組むという意識を醸成させるのは、ひとりひとりの公共心であって、それを救い上げるのは、いうまでもなく、中央政府ではなく、地方団体である。

[注1]『現代の地方財政』〔新版〕(有斐閣;2000年3月初版第2刷)p.161
[注2] 『現代の地方財政』〔新版〕(有斐閣;2000年3月初版第2刷)pp.87~89
[注3]徳島新聞6月11日夕刊 http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_118145521435&v=&vm=1
[注4]朝日新聞2007年7月4日夕刊p.1
[注5]朝日新聞2007年7月4日朝刊p.3
[注6]『現代の地方財政』〔新版〕(有斐閣;2000年3月初版第2刷)p.172
[注7]町田市議会会議録簡易検索参照http://gijiroku.gikai-machida.jp/voices/
平成18年9月定例会(第3回)−09月07日-03号