町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

早稲田大学 社会科学部 ゼミナールⅡ「地方自治と行政」『NPOとまちづくり』大学での活動

2005.01.01(土)

【箇所】早稲田大学 社会科学部専門科目
【科目】ゼミナールⅡ《総合学習への発展》
【テーマ】地方自治と行政

【関連科目】行政法(行政争訟法)、行政学
【開講学期】2005年度 通年[4単位]{履修定員17名}
【担当】大久保 皓生 教授〈中央学院大学 法学部〉
ゼミナールⅡ・Ⅲの参考書、本田 弘・下條 美智彦編著『地方分権下の地方自治』(公人社、2002年)のうち、「NPOとまちづくり」の章をレジュメ化したもの、同章の分担執筆者は、田中 豊治 教授〈佐賀大学 文化教育学部〉

第3部 Part Three まちづくりの課題

NPOの活動状況
[1]NPOとは、なにか
 日本では今日、NPOを、Non Profit Organizationの略称として使用しており、「非営利組織」と訳しているのが、通例である。

 これは、「Non=非」+「Profit=利益」+「Organization=組織」を直訳し、「非・営利・組織」としただけのもので、これではあたかも、利益の出ない企業経営を連想させてしまう。

 それを嫌って、NPOの本国米国では、別の言い方が次第に使われるようになってきた。
それは、NPOの反意語がPOではなく、FPO(For−profit Organization)であることから来る、Not−for−profit Organizationである。これこそ、営利を目的としない組織に相応しい言い方では、ないだろうか。

 その意味をよりいっそう明確化するために、NPOを表わす新たな略称を、Not for profit, but for mission Organizationとして、「利益を追求するためにではなく、使命を実現するための組織」という認識をここでは提案してみたい。

 ここで重要なのは、「非営利」とは利益を得ることが目的ではなく、使命を実現することを何にもまして優先する組織運営ではあるが、そこでは「使命実現のために利益をあげること」をも、包摂しているということである。

 つまりNPOは、収益活動はできるものの、そこで得た収益の使途は使命実現に向けた活動にしか支出しない組織である、ということである。

 企業の場合は、たとえ利益が出ていなくとも、利益追求を目的とする組織なのだから営利組織であり、NPOの場合は、たとえ剰余金が発生しても全額を次年度の事業を推進、達成のために投資して、使命実現を志向する組織なので非営利組織、というわけである。

 実際の「非営利組織」の定義を補強するものとして、以下の項目を列挙する。
1、無給の役員が組織運営の中心となり、運営を監督する。
2、利益が出ても、それを構成員で配分せず、全額を次年度以降の事業資金に投資する、経理面での審査。

 最後に、NPOとよく似た言葉である、NGO(Non Governmental Organization)について触れる。
 この言葉は、国連憲章に起源を持つ言葉で、もともとは国家間では解決しにくい難民問題などを扱う国連の経済社会理事会が協力関係をもつ非政府組織を指して使っていたもの。
 たとえば、国際赤十字などがその例として挙げられる。

 もっとも、非政府といえども営利を目的とした組織はNGOには該当しないので、実際上NGOはNPOを体現した組織とも捉えられる。

 つまり、この2者を分ける概念として、企業との対比を強調する場合にはNPO、行政との対比を強調する場合にはNGOという、分け方が可能である。

 なお、日本におけるNPOとは、法律上では「特定非営利活動法人」のことを指す。
 内閣府国民生活局のHPによると、それが以下のように掲示されている。
 “NPOとは 継続的、自発的に社会貢献活動を行う、営利を目的としない団体の総称です。”
 「NPOホームページ」より。
https://www.npo-homepage.go.jp/new_npo/doc_faq_2.html#Q1
 NPO法に関するFAQ(一般の方へ)
Q1. NPO法人制度について簡単に教えて下さい。
A1. 
社会の様々な分野において、ボランティア活動をはじめとした民間の非営利団体による社会貢献活動が活発化し、その重要性が認識されています。
これらの団体の中には、法人格を持たない任意団体として活動しているところも多数あります。そのため、銀行で口座を開設したり、事務所を借りたり、不動産の登記をしたり、電話を設置するなどの法律行為を行う場合は、団体の名で行うことができないなどの不都合が生じることがあります。
 特定非営利活動促進法は、これらの団体が簡易な手続きで法人格を取得する道を開くための法人格付与制度です。

NPOの今日的活動実態
 教科書のP.211にあるとおり2001年8月現在、全国合計4,759団体が登録されている。
 “この数字は、1998年12月〜2001年8月までの短期間であり、現在なお申請中や問い合わせが増えており、今後大幅な増加が見込まれる。”
 との記述があるとおり、2005年4月30日現在、全国合計21,628団体が認証されている。
 認証を受けた法人の定款に記載された「活動分野」について分類すると、多い団体から順に下記のとおりになる。

 なお、左記の数字は教科書記載のもの、右記の数字は2005年3月末日におけるもの。
1、「保健・医療又は福祉の増進を図る活動」2,380(62.6%)/12,103(56.86%)
2、「社会教育の推進を図る活動」1,461(38.4%)/10,039(47.16%)
3、「前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動」
1,286(33.8%)/9, 297(43.68%)
4、「まちづくりの推進を図る活動」1,273(33.5%)/8,463(39.76%)
5、「子どもの健全育成を図る活動」1,253(33.0%)/8,323(39.1%)

 上記のように、2001年段階での数値は2005年になって、大幅に認可数は増えているものの、占める比率において有意の差はないことが一目して諒解できる。

 2 地方分権下における市民(NPO)セクターの登場
 なぜNPOが出てきたのか。
1)直接のきっかけは、1995年1月17日未明に起こった、阪神・淡路大震災への災害支援が、政府および行政は後手に回る対応しかできないなか、全国から駆けつけたボランティアやNPOによる活発な救援活動を目の当たりにしたので、国民間にNPOを法律として正式に認定しようという気運が澎湃と醸成され、それを受けて立法化されたため。

2)その過程は以下の通り。
*1995年2月3日、当時の村山富一内閣に18省庁からなる「ボランティア問題に関する各省庁連絡会議」が設置される。

*与党(自民、社民、さきがけ)NPOプロジェクトチームが法案づくり。
   ↓
 「市民活動促進法案」96年12月16日提出

*新進党(野党第一党)NPOパートナーズが法案づくり。
   ↓
「市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案」96年11月29日

*共産党「非営利団体に対する法人格の付与等に関する法律案」97年3月14日提出

 その結果、「小さく生んで、大きく育てる法律にしよう」と与党案を中心に名称を含めた修正を行い、98年3月19日全会一致で『特定非営利活動促進法』(『NPO法』)が成立し、同年12月1日に施行された。
 このとき法律から「市民」という文言を削除させたのは、自民党の総務会。自民党にとって市民を表すcitizen(共和国国民の意味)は避けなければならない。自民党にとって都合の好いのは、subject(⇔king)。

 ただここには、日本人にもsubjectに甘えていたいという個を確立していない状況もある。
 個人が主体とならないために、同調圧力に屈しやすい。

 ここに「国から地方へ」「官から民へ」さらに、「自治体から市民へ」という、地方分権の流れが相乗されシナジー効果を生み、NPOの叢生へと至った。
 これを一言に要約すると、“御上への依存からの脱皮”というコンテクストによって、捉えられる。

 この場合の「御上」を、三省堂の『新明解国語辞典』にあたれば、下記のように説明している。
〔雅〕朝廷・天皇の敬称。役所・政府・官憲の称。〔反撥や嫌悪感を含意して用いられることが多い〕
 e.g.欧米では、判決を言い渡す⇒判決を下す
 逆に欧米で上にあるのは、神。cf.ゴチック建築

 「御上への依存」は、一種のたかりの構造を醸成した。
 たとえば、民主主義の根本原理である選挙において、有権者は候補者にたかり、それに応えることで候補者は、票を得ていた。それは、自民党から共産党にいたるまで、すべての政党に該当する。

 つまり、あらゆる政党は、例外なく、税金をいかに支持者に回すか、それのみを追求する存在である。
 ここにおいて、公共選択学派を形成するヴァージニア学派のブキャナンが指摘したのは、民主制(政)のもとでは、不人気な緊縮的経済政策が採用されにくく、好景気になっても財政赤字が解消されないというケインズ政策の実際上の問題点を指摘した。

 これは、完全雇用を目指す財政政策は、大衆的民主主義下での選挙区選挙という制度のもとでは必然的に財政赤字を生み出すという指摘となり、いわゆるハーヴェイロードの前提条件をおくケインズ主義への批判となる。

 ここにそれを打破すべく、「国家主体から地域・自治体主体へ、さらに市民・個人主体の時代へ」と、大きく揺らぎつつ転換する時代認識が登場する。
 e.g.1962年から続いた「全総」(全国総合開発計画)が、1998年に策定された5全総「21世紀の国土のグランドデザイン」をもって終了することが閣議によって決定される。4全総までが、国主導による開発計画であったのに比べ、5全総は参加と連携を推進方法として掲げ、国の役割は側面支援色が濃い。
 つまり、国は、「ナショナル・ミニマム」はすでに達成されているものと認識している現状がある。

 そこには、(1)国家財政の破綻を招来するほどの財政赤字→2001年現在666兆円、国民一人当たり520万円ともいわれる膨大な借金
(2)市民セクターの分権化という、論理が綯い交ぜになっている。
 しかし、これは日本国民のお上頼りのひとつの証左でもある。
 たとえば、日本では個人による社会貢献のための寄附が極めて低額に留まっている。

 一家庭あたりの寄附額は、年間3千円。対して、米国は17万円。
 ここには、noblesse oblige(=高い身分に伴う徳義上の義務)があり、日本も戦前には至るところに見られた。

※千葉県市川市の「市民活動団体支援制度」
 寄附を募るのではなく税金をNPOに移転する方策として、千葉県市川市は、納税者が希望すれば市民税の1%をNPOやボランティア団体の支援に使える制度を創設し、2005年4月9日に施行した。
 市川市の人口は46万人で、そのうち住民税を納めているのが22万人。一人平均の納税額は年間約13万円で、1%だと1,330円になる。
 市川市は「提供先を指定する市民は10人に一人くらい」と控えめに見積もって、3千万円の補助金予算を組んだ。

 ただ、導入には慎重論もある。
 市川市に先駆けて検討した足立区は、関連する審議会が「指定する権利を納税者に限定するのは平等ではない」との疑問を提示し、検討を中断した。
 東京大学経済学部長、神野直彦教授(財政学)は、「税は強制負担であり、その使い道を決める場合に、すべての市民に平等の権利が付与されなければならない」と、警鐘を鳴らす。

 埼玉県志木市は、この点を修正して、住民税の使い道を18歳以上の市民千人の「世論調査」で決めるとした「1%条例」を提案したが、3月議会で「時期尚早」として否決された。
 税金の使い道を市民が直接決めることへの議会側の危機感も作用したため。

 これは、ハンガリーで1996年に制定された「パーセント法」を参考に、導入を決定。
 ハンガリーの場合、所得税の1%をNPOなどの団体に、もう1%を宗教団体に提供するよう指定する。
 ほかに、スロバキア、リトアニア、ポーランドなど中東欧諸国に拡がっている。

 日本は自治体の住民税を対象に検討されているのが特色。

e.g.日本の財政における特異点。
1)都市から地方への、税移転←地方交付税交付金、国庫支出金(補助金)
2)国内総固定資本形成gross domestic fixed capital formation→社会資本投資を含む公共の設備投資が該当する
1)と2)が示すものは、中央政府(central government)と地方(local government)の間で財源の大幅な再分配が行われていること、結果として地方財政のウェイトが大きくなっていることが指摘でき、このことがわが国の財政上の特色となっている。

 ※「小さな政府論」
 6月21日政府は、経済財政諮問会議と臨時閣議で、小泉内閣の経済財政運営の基本方針「骨太の方針2005」を決定。そこに、目指すべき方向性を「小さくて効率的な政府」と初めて明記し、医療費の抑制や公務員の総人件費削減、国有資産の圧縮なども進め、改革を加速する姿勢を強調している。

 教科書p.214、l.6~7に記述されているように、バブル経済が崩壊した後に自殺者が急増したのが、日本の特徴である。
 それまで、年間自殺者が2万人台で推移していたのが、1998年に一気に約8千人増えて3万人を突破し、昨年まで7年連続して3万人を超える。

 ちなみに、WHOによれば、10万人あたりの自殺率が日本は24.1人(2000年)。
 1位はリトアニアの44.7人。2位ロシアは38.7人。
 それをなんとか減らそうとして費やされる年間予算は、8億円。

P.214 「国家財政の破綻」
 「国・中央から地域・地方自治体へ」、さらに「住民・市民の自主管理・自己責任へ」という世の中の趨勢が、国の財政状況を第一義として確定してしまう。
 つまり、ここにはglobalizationという名の外圧がなければ、変革できない日本の病理が指摘できる。

 そもそも、近世から近代へと時代の壁を突き破った直接の原因は、黒船来航という外圧によって成し遂げられた。
 そこでは、近代市民革命が勃興する市民階級によって達成されたヨーロッパ諸国とは異なり、外圧によってもたらされた、という日本の特質を指摘できる。

 近代化を推し進めた明治政府は、廃仏毀釈を経て国家神道化した天皇という装置を持ち出して、国民を治める新たな神を創出した。
 つまり、大和朝廷以来連綿と続いた天皇制を近代化し、新しい日本を統治する主権をそこに付与した。

 そのために、それまで主君という名の封建制を生きる規範としていた旧武士階級は、天皇という新たな神を信じることが出来ず、天皇制からスピンアウトし、プロテスタントという英米独3国がもたらした西洋の克己的な神を信じ、無教会派を作り上げる。

 ところが、天皇制の行き着いた先が、領土拡張を目指す帝国主義戦争に巻き込まれた太平洋戦争における敗戦。
 ここにおいて日本は、近代化を推し進めた天皇制という装置をいったんは外し、代わりに民主主義を導入し、米国の保護の下、軍事への予算を極力排除し、経済成長を新たな指針として、国家運営をGDPの成長率に担わせて、そこに幸福感の源泉を見出そうとした。

 しかし、バートランド・ラッセルがいう、国家の元首である天皇が神であることを批判することが許されない戦前の日本が、どうして近代国家でありえようかという指摘は尤もなことである。

 つまり、明治新政府が日本から仏教を葬り、天皇制という新たな国家神道を作ったのに比して、戦後の民主主義政府は、天皇制を一旦は棚上げし、経済成長という新たな統治原理を創出した。
 その流れの中に、吉田茂内閣の非武装化路線、池田内閣の所得倍増路線があり、国民一人当たりのGDPが米国を抜いて世界一位となった1986年になり、日本は進むべき新たなる生きる指針を見失っていた。

 そこに現れたのが、NPOという名の、市民活動。
 そこにはまた、大きな問題がある。
 たとえば、無償ボランティアによる労務作業によって職業的専門職員が排除され、職を奪われ生活に困窮してしまうことがある。

 従って、専門職員は無償ボランティアとの差別化を顕著にし、報酬を受け取る根拠となる付加価値を身につけなければ、排除されてしまう。