町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

立教大学 経済学部「中国経済論」前期リポート大学での活動

2000.07.15(土)

【機関】立教大学 経済学部専門教育科目
【学科目】中国経済論
【開講学期】2000年度 通年[4単位]
【担当】金山 権 教授〈桜美林大学大学院 経営学研究科〉
【題目】「改革・開放以後、順調な発展を続ける中国経済-ロシア・東欧との比較を通じて」

 改革・開放政策に転じた1978年以降の中国の経済成長率は、天安門事件による経済停滞を除けば、ほぼ順調に伸張し、高度成長期の日本やNIES諸国と比較しても、決して見劣りするものではない。
 いや、それ以上に順調に推移していると見るべきだろう。また、同じ計画経済から市場経済への転換を目指しているロシアや東欧諸国の低迷や混乱とは、全くの好対照をなしている。

 1993年以降、中国は高いインフレに見舞われたが、その夏に実施された金融引き締めが功を奏し、景気の過熱は徐々に解消され、ソフトランディングが達成された。1997年は経済成長率が8.8%と潜在成長率に見合う水準に減速しながら、インフレ率は3%にとどまった。景気変動の幅も政治の安定と制度改革の進展により少しずつ減少している。

 対外関係では、1997年の直接投資受入額が453億ドルに上っており、史上最高の水準に達した。
 資金の流入を受けて、外貨準備高が初めて1400億ドルに達し、これは今回初めて知って驚きを禁じ得なかったのであるが、日本に次いで何と世界第2位となっている。また、為替制度改革の総仕上げとして、1996年12月に経常取引に関する人民元の交換性の保証を義務づけるIMF八条国へ移行した。
 1997年夏以降、多くのアジアの国々が深刻な通貨危機に陥ったのにも拘わらず、中国は大きな打撃を受けなかった。

 政治の面に立ち入れば、1997年には、「百年の大業」である香港返還が実現され、5年ぶりの共産党全国代表大会も株式化による国有企業改革の全面化の決定や、集団指導体制の強化など、大きい成果を挙げている。
 これらを土台に、中国の改革・開放が一層深化し、更なる経済発展を目指して邁進するであろうことは疑う余地がない。

 ではなぜ、斯くも順調に中国経済は進展したのであろうか。ロシア・東欧と比較してここで考えてみたい。
 先ず基本的な戦略の違いを指摘したい。中国は、ロシア・東欧が施したショック療法によらず、試行錯誤に基づく漸進的改革の道を歩み、体制移行のコストを最小限に抑えることに成功した。1990年の中国とロシアの実質GDPをそれぞれ100とすれば、1997年に中国は210まで上昇しているのに対して、ロシアは60まで下がっていることを考えると、漸進的改革とショック療法の優劣は一目瞭然である。

 その中国型の漸進的改革は出来るだけ既得権益に損害を与えないような形で、反対の少ないところから進められると同時に、時間を掛けて市場とその主体である非国有企業を育ててきた。
 その具体的措置として、旧体制外と旧体制内の改革を峻別したことが挙げられよう。

 旧体制外の改革は市場経済を、郷鎮企業を始めとする非国有企業、経済特区など新しい分野にのみ適用する。一方、旧体制内の改革は計画経済において生産、投入、利潤の上納などに関する計画の範囲を限定(凍結)し、これを越える部分は企業の裁量に任せるという「増量改革」の形を採っている。その結果、計画外の投入と産出に関して、取引の場としての市場が次第に発達してきた。これにより、中国共産党が国民党との内戦の時に使った、「農村から都市を包囲する」という、いわゆる「毛沢東戦略」と同じように、新体制による旧体制に対する包囲網が形成され、孤立されつつある旧体制はいずれ戦わずして、自然に淘汰される運命にあるだろう。

 漸進的経済改革のメリットは現存の組織を活かしつつ、移行期の安定性を維持することにある。また、長い時間に分散させることによって反対の圧力が抑えられる。

 一方、実行しやすい順で改革を進めると実行しにくい部分ばかり残り、いずれ行き詰まるのではないかという危惧もあるが、新体制が成長するにつれて、改革で損害を被った人に補償する能力が高まることによって克服することができる、と考える。 

【参考文献】
関 志雄編著『最新 中国経済入門』(東洋経済新報社、1998年)