町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

立教大学 法学部「日本人の戦争観」リポート大学での活動

2000.07.12(水)

【箇所】立教大学法学部 自主講座
【学科目】法学部特別講義(日本人の戦争観)
【開講学期】2000年度 前期[2単位]
【担当】佐々木 寛 教授〈新潟国際情報大学 国際学部〉
【リポート題目】『戦争を絶滅させる法』

 ちなみに、立教大学法学部は、『法学部のしおり』(1959年)で次のように記しています。
 「わが法学部では、現在の法律・政治の専門技術的な知識を教授することに力を注ぐことはもちろんである。しかし、われわれは、単に法律・政治の《技師》を作るだけではなく、さらに法律・政治の技術的知識をこえた《平和と秩序の叡智》をそなえた《人間》を育てたいとおもう。」
 当科目は、まさにそれに相応しい科目でした。

 本年(2000年)5月3日に「世界プレス自由の日」と題したキャンペーンがあり、その一環として、世界新聞協会(WAN、本部・パリ)が「歴史を作った報道人」という名のもとに、21ヶ国から35人のジャーナリストを選びました。日本からは、文明批評家にして大阪朝日新聞社会部長を務めた長谷川如是閑と、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)の主筆だった六鼓菊竹淳の二人が選出されました。

 長谷川は新聞『日本』、大阪朝日新聞での〈天声人語〉執筆を経て、雑誌『我等』(後に『批判』と改題)を創刊。大正から昭和にかけて国家主義やファシズム批判の先頭に立ち、菊竹は福岡日日の主幹兼編集局長として、5・15事件における軍部の横暴を厳しく批判する社説「敢て国民の覚悟を促す」を執筆し、立憲政治の擁護と反軍部の言論を貫いたのは、広く知られるところです。

 その長谷川には、国家総動員法が成立した1938(昭和13)年に「時代と教育」と題する随筆があります。彼は時代の逆をいく。
 当時の教育が集団的に偏しているとして〈集団主義の時代(に)こそ、個性の理想が高調されなければならないのである〉と説く。

 さらに〈大きい道徳を教えねばならぬ時ほど、小さい道徳を教えることを忘れてはならぬのである〉と続ける。今から見ればごく真っ当な意見であるが、その真っ当な意見を発言するのに、どれほどの勇気が必要とされたか、想像に難くはない。

 長谷川は、1918(大正7)年寺内正毅軍閥内閣が大阪朝日新聞に対して行った弾圧がもとで生じた白虹筆禍事件のために朝日を退社した後に、同じく連袂退社した大山郁夫、鳥居素川らとともに、翌19年2月から雑誌『我等』を創刊した。

 彼はこの雑誌の廃刊に至るまでの10数年もの間、ほとんど毎号通算160回余りにわたって巻頭言を書き続け、そこで自由主義左派の立場を取り、論壇で活躍した。中で1929(昭和4)年1月号の巻頭言では、フリッツ・ホルムというコペンハーゲン在住の陸軍大将が起草して各国に配布した、「戦争を絶滅させること請け合いの法律案」なるものを紹介しており、それが今日でも大変に興味深く、強く資するものがあると認められるので以下に引用する。

 それは、「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の処置をとるべきこと」「即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」という前文に始まる。

 以下、下に掲げる5項が列記されている。

1、 国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、もっと尤も男子たること。

2、 国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。

3、 総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。

4、 国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。

5、 キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。(後略)

 以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は看護婦または使役婦として野戦病院 に勤務せしむべし、と付記されている。

 これは確かに名案だとは思うが、この法律案を採用させるには、「採用させること請け合いの法律案」もホルム大将に起草してもらわなければならぬと、長谷川は書き添えた。

 まさにその通りである。しかし当時はもちろん今日でも、こんな法案はどの国の国会でも絶対に通過するわけがない。長谷川は当然そのくらいのことは、先刻充分に承知のことだった筈である。にもかかわらず彼がホルム大将の提案を敢えて紹介した真意がどこにあったかは明らかである。

 つまり一国の指導者として、どうあっても戦争をしなければならないときが、ばんや万止むを得ずしゅったい出来してしまうことがあるかもしれない。そのときは、戦端を開かざるを得ないのであるから、開くにし如くものではない。万策尽きて、どうあっても戦力を用いなければ解決出来ないのであれば、断腸の思いとともに開戦も止むを得ない。けれど戦争は、むご酷いまでの犠牲を国民に課するのは必定である。そこで指導者たるもの率先して、その尖兵とならなければならないのは、余りに自明のことである。依って上記の法律案が可決されれば、開戦を決断した内閣の諸大臣から先ず、戦死していただくという、実に合理的な法案と認識できる。開戦しても、戦争を決断した上記の者たちが戦死した段階で、終戦すれば、世の中からいらぬ人間は一掃され、ここに戦争を始める利益が供されるものとなるのである。

 いつの日にか日本において、この法律案を携えて衆議院に立候補する者はいないか。明日の平和より今日の米といわれる現今、蛮勇を奮ってこの法律案の実現を公約として掲げる政党よ、いでよ。
心して待つ者である。