町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

慶應義塾大学 経済学部専門教育科目「近代日本と福澤諭吉」大学での活動

2020.08.27(木)

【箇所】慶應義塾大学 経済学部専門教育科目≪メディア授業≫
【科目】近代日本と福澤諭吉[2単位]{定員150名}
【編著者】小室 正紀〈慶應義塾大学 経済学部〉名誉教授
【受講上の要望】各自『福翁自伝』を読むこと。
【問題】福澤諭吉は教育(もしくは学校教育)についてどのように考えていたか。

福澤諭吉の生涯とその思想を、「男女観」「教育思想」「外交論」等多彩な切り口から、それぞれの専門家が分かりやすく解説する。

「『学問のすゝめ』と「学制につき被仰出書」との違いを通じて福澤諭吉の教育観を考える」

1、「学制につき被仰出書」
 教育行政を担う文部省が中央政府に設置され、そこで約1年かけてどのような学校制度を作っていくのかを検討した結果、明治5年に「学制につき被仰出書」(以下「被仰出書」)という学制の理念を語った文書が出された。

 この「被仰出書」を、『福沢諭吉選集』で福澤の教育論の解説をしている山住正己は[1]、校注をおこなっている『教育の体系』(岩波書店)の解題で、「学制は、明治政府が日本の学校教育を欧米流の近代的な形に組織するため、5年8月3日(1872年9月5日)に公布した、学校制度に関する最初の総合的な規定。その前日に、学制のいわば前文として出されたのがこの文書である」[2]と記している。
 その「被仰出書」では学問は、「身ヲ立ルノ財本」[3]、と書かれている。

2、『学問のすゝめ』と「被仰出書」への影響
 『学問のすゝめ』の初編では「身を立てる」という表現は使われていないが、「被仰出書」の中での「立身」に非常に近い内容が議論されており、『学問のすゝめ』が先に刊行されていることから、『学問のすゝめ』が「被仰出書」に影響を与えたものと考えることができる。

 先にふれた山住も、(学制が)「5年2月に刊行され、多くの人に読まれた福沢諭吉の『学問のすゝめ』の影響を受けていることが明らかである」[4]と指摘している。

3、『学問のすゝめ』と「被仰出書」の相違点
1)天賦人権論の有無
 天賦人権論を前提として論が進められている『学問のすゝめ』に対して、それを前提とせずに「被仰出書」は議論を進めている。

2)江戸時代の教育に対する評価の違い
 儒学に対しては、どちらも批判的であるが、福澤は江戸時代の教育を全否定しているわけではない。江戸時代の庶民への教育を評価しており、それに新しいものを付け加えていこうという発想だった。それに対して、学制では、それまでの学校は形式上ことごとく廃止した。

3)「身の独立」と「国家の独立」
 「被仰出書」では、国家のためにする学問が否定されているが、福澤にとって学問の目的は「身の独立」であり、それが「家の独立」につながり、最終的には「国家の独立」につながると考えていた。

4、「一身の独立」と「一国の独立」
 『学問のすゝめ』第3編の中の表題で「一身独立して一国独立する事」としているように、福澤にとって「一身の独立」と「一国の独立」は不可分なものであったが、「被仰出書」では、学問の目的を「立身」という個人の問題に帰することによって、政府が教育費の負担を忌避しようとしていることを指摘できる。

(文字数1,185字、脚注を除く)

【参考文献】
富田正文・土橋俊一編『福沢諭吉選集』第3巻(岩波書店年)

山住正己校注『教育の体系』『日本近代思想体系』第6巻(岩波書店)

小室直紀編著『近代日本と福澤諭吉』(慶應義塾大学出版会)

[1] 富田正文・土橋俊一編『福沢諭吉選集』第3巻(岩波書店、1980年)

[2] 山住正己校注『教育の体系』『日本近代思想体系』第6巻(岩波書店、1990年)30-31頁。

[3] 同上31頁。

[4] 同上31頁。