町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

落語歳時記18 「楽屋の雪隠」らん丈の、落語歳時記

2001.09.01(土)

 この「雪隠」が、今の若い方でお読みになれるのは既に少数派でしょうね。「せっちん」と読みます。三省堂の『新明解国語辞典』には「便所」の意の老人語、と記してあるくらいですから、若者が読めないのも当然のことです。何しろ”老人語”ですから。

 さて、楽屋の雪隠ですが、これに入るのが一苦労なのです。何しろ、人間国宝柳家小さん師匠から、昨日弟子入りした見習いまで、寄席の雪隠は共用するわけですから、若手は落ち着いて事を済ます余裕はありません。ですから、ぼくのように気の弱い若手は、その気がなくても取りあえず最寄りのデパートで用を足してから、楽屋入りするのです。そこまで気を使っても、我々は二ツ目以上になると、楽屋に入れば自動的に前座さんからお茶を頂けるシステムとなっていますので、さほど喉が乾いていなくても、つい煎れられたお茶は飲んでしまうのが困りものでして、読者の皆さんもご存知のように、喉が渇いていないときにお茶を飲むと、尿意が頻繁に催されます。どうしてこんなに出るんだろう、それほど水分は摂取していないぞと思うほど出ます。自然の成り行きで雪隠へと向かうのですが、楽屋に他に誰もいなければ、何ら問題はありません。当然ですね。誰憚るところがありましょう。ところが、楽屋に自分より先輩がいらっしゃれば、不文律として、その先輩を差し置いては、雪隠には入れないのです。いいえ、そんなことには一切顧慮しないという者もいないことはありませんが、それはあくまでも少数派です。

 それも、雪隠が一つだけならばまだ、ことは簡単です。その先輩が、用を足した後に入ればいいのですから。問題は、朝顔が並んでいる場合です。先輩諸師すべて事が済んでいることを確認し、やれ嬉しや、やっと順番が回ってきたと朝顔に向かっていると、その間に楽屋入りした先輩が、駆け込むようにして雪隠へとはいって来ることがあるのです。これは、不可抗力でありまして、どうしようもありません。ところが、これが困ったことでありまして、やっとこさ心置きなく用を足しているとき、隣に大先輩が来てごらんなさい。気の弱いぼくは、まだ事の途中でも、慌てて止めてはいけないものを止めてまで、出て行きたくなりますが、ここを先途とばかりに、先輩との連れションを利用して、ちゃっかり自分を売り込んでしまう剛の者が、世の中にはいるんですね。会社でもいるでしょう。たまたま会社のトイレで上司と隣同士になった機会を捉えて、巧い具合に自分を売り込む調子の好いやから輩が。出世する者はあらゆる場面を捉えて自分を売り込みますから、これこそ願ってもない機会と思う者と、逃げ腰の者とでは、その差は歴然たるものでして、こうして浮かぶ瀬を見つけられるかどうかで、出世が左右されてしまうのが、世の定めと言っていたら、おちおち雪隠にもいけないのです。そりゃそうでしょう。強迫観念にとりつかれているのですから。

 それほど神経質にならなくても、実際のところは雪隠に行きますよ。ぼくだって。ただ、何事でも悩みの種は尽きまじ、なのです。

 これは柳家小さん師匠に弟子入りしたある前座。青森県の実家の雪隠はその当時まだ水洗ではなかったために、事が済んでも、そのままで出てきてしまう。つまり、流すのが習慣化されてはいなかったのです。それに業を煮やした小さん師匠はある朝、その前座が雪隠から出てくるのを待ち構えていて、「ほうら、やっぱりお前が犯人だ」と取り押さえたそうですけれど、これって犯人ですかね。

《らん丈独演会ご案内10月29日(月)午後6時半開演:池袋演芸場、問合せ090-8726-0796