町田市議会議員 会派「自由 民主」/(社)落語協会 真打 三遊亭らん丈
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学者になるのならばともかく、そうでなければたいていの本は、きょうび、文庫と新書で充分間に合う(その証拠にこの「らん読日記」やHPプロフィール「らん丈を作った100冊以上の書」はそのどちらかで大半を占めます)。というよりも、文庫と新書を読んだうえで、そのうえに専門書を読めるほどの時間に恵まれた方は、そうはいないでしょう。特に、ぼくのように読む速度の遅いものは、そんなことをしていた日には、読書以外になにも出来なくなってしまいます。それこそ、その生涯を読書に捧げるようなもので、それはそれで趣味に合えば結構なことでしょうが、ぼくには興味がありません。
ただ困ったことに、最低限の読書といっても好い文庫と新書にしたところで、毎月、怒涛のように出版されるものですから、その中から、関心のある本を読むだけでも、少なからぬ時間を取られてしまうのです。
それも、家の書棚にはすでに一生かかっても読みきれないほどの本があるのだから、当分本を買うのは止そうとは常々思ってはいるのにもかかわらず、出版社は仕事とはいえこれだけ多量の書物を、よくもまぁ、出し続けるものです。
しかも、近年の新書分野への新規参入は目覚しいものがあり、老舗の岩波、中公、講談社現代、も安閑としてはいられなくなったのでしょう。思わず、触手を伸ばしたくなるようなラインアップを揃えて、その面子を守ろうと必死です。
その岩波新書が、新赤版800点刊行を記念して先月、一挙に新刊を8冊同時に発売しました。思わず、大野晋の『日本語の教室』とこの『神、この人間的なもの』の2冊を買ってしまったのでした。
よく日本人は、“宗教”に疎いといわれる。それが証拠に、「どの宗教を信じていますか」と訊かれると、「たしか、家の宗旨は真言ですが…」と言ったきり、口ごもってしまう日本人のなんと多いことか。「では、あなた個人ではどの宗教を信じているか」と重ねて訊くと、「仏教かな、一応」と、要領を得ない返事。
それにくらべて逆に日本人は、なんと多くの宗教行事に参加するのでしょう。先ず、多くの家に神棚と仏壇が共存している。無事の出産を祝い、そのどちらにも祈願し、無事生まれ、成長した後、七五三は神社に詣で、クリスマスになれば、ケーキで祝い、その一週間後、神社に初詣に行き、学校は私立のミッションに入学したいがために、こともあろうに天満宮に合格祈願をし、無事合格し、クラスメイトと出逢い、みごと結ばれ、結婚式は教会で牧師の司式により行い、新婚旅行は、ヒンドゥー教徒が大半を占めるバリ島に行き、帰りには世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアの首都ジャカルタに寄り、帰国すれば、彼岸に先祖伝来の墓前にその報告に行き香華を手向け、定年後は夫婦揃って四国八十八か所の巡礼に参り、死ねば仏式で葬式を営む、といった具合に、一神教を奉ずる欧米人から見れば理解不能な行動をとるが、当の日本人は、なんの痛痒も感じていない。
あるいは、初詣で雑踏をきわめる光景や神社の本殿に向かって一礼する人を見て、日本人はなんと信心深いのだろうと、感心する欧米人がいても不思議ではない。
今朝、たまたまTBSラジオを聴いていたら、スウェーデンの歌姫といわれるレーナ・マリアさんが出演しており、インタビューに答えて、なにごとも「神に感謝している」と実にサラッと答えたのを聞いて、こういうことを「われわれ日本人は、なかなか言えないんだよな」と、ぼくは思ったのでした。
それは、こうもいえます。日本人は、実在のものにはなんのためらいもなく「感謝している」といえるのに、形而上的なものに対しては「〜に感謝している」といえない。いえたにしても、何らかのバイアス=偏りがかかってしまうのではないか。
「いやだ、あの人、○○を信じているんだって」と、あたかも信じるのがいけないかのように。
習慣としての宗教ならば受容するのに、宗教を決して信仰の対象とは見ないのです。
そんな皮相な見方に、著者のなだは疑いを投げかけ、著者と同じ精神科医の対話者にこんなことを言わせている。
「だがな、おれは、神なしでというか、宗教なしでというか、それでやっていける人間は、現在でも意外とそんなに多くはいないことに気がついた。それどころか、自分の人間としての価値を守るためには、妄想でもなんでも信じずにはいられない人間がたくさんいる」
たとえば、われわれは“GDP世界第2位の豊かな日本”という幻想を、あたかも宗教を信じるかのように信じているのではないでしょうか。
あるいは“民主主義国家日本” 、“オウムは悪い”という幻想。
誤解のないようにあえていうなら、日本はたしかに国内総生産世界第2位であり、選挙によって国権の長を選ぶ民主主義国家であり、オウムは数々の罪を犯した許すべからざる存在だとは思っています。
けれどそんなぼくに、「古い宗教の呪縛から解放されようとして、新しい形の宗教に呪縛されることを繰り返してきた世界歴史が目に入ってきた」という著者の言葉が突き刺さるのです。
最後にもう一言付け加えるならばぼくは、この対話者と同じカトリックの信者です。
(更新日:2002.10.15)