町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

はるかぜ vol.12 2012年4月号市政報告『はるかぜ』

2012.04.01(日)

・町田市「平成24年度施政方針」
・政変を求めるのは悪い癖
・民意

町田市「平成24年度施政方針」

 「広報まちだ」3月11日号2頁に、石阪市長による「平成24年度施政方針」の概要が掲載されており、その全文は、町田市ホームページで御覧いただけます。

1、2012年度中の重要な取り組み

 施政方針に関しては、らん丈も市議会の一般質問で採り上げましたが、施政方針で最初に取り上げているのが、いよいよはじまる「まちだ未来づくりプロジェクト」についてです。それは、下記の5項目から構成されています。
「地域社会づくりを基本とするまちづくりプロジェクト」
「町田駅周辺の魅力を向上させるプロジェクト」
「団地再生に向けたプロジェクト」
「みどりを活用したまちづくりを推進するプロジェクト」
そして「基幹交通機能を強化するプロジェクト」
の5つのプロジェクトからなります。同プロジェクトでは、特に重要な取り組みを戦略として位置付け、目指すべき方向を明らかにしています。

 2点目は、7月16日に予定されている新庁舎の開庁です。開庁により、10を超える民間ビルなどに分散している市役所の分庁舎を一ヶ所に統合することで、利便性は格段に向上し、分庁舎の借り上げ料など、年間約6億円の経費削減効果が見込まれます。

 3点目は、資源循環型施設の建設についてです。町田市の清掃工場は、運転開始から30年が経過し、施設の老朽化が進み、毎年、多額の修繕費を要しており、新たな施設への転換が必要な状況になっています。そこで、新施設の建設予定地を2012年度中に決定することとします。

2、2012年度の主要な施策

1)「将来を担う人が育つまちをつくる」では、新たに認可保育園を4園開所して定員を410人増やします。
2)「安心して生活できるまちをつくる」では、心の悩みを気軽に相談できるゲートキーパーの養成に取り組みます。尚、ゲートキーパーに関しましては、平成22年の一般質問でらん丈が採り上げており、それが反映されております。
3)「賑わいのあるまちをつくる」では、原町田1丁目地区のまちづくりの検討や、Jリーグに加盟したFC町田ゼルビアのホームスタジオである市立陸上競技場の整備を進めます。
4)「暮らしやすいまちをつくる」では、町田バスセンターの森野側ぺデストリアンデッキにエレベーターが設置されます。また、新庁舎外周道路の整備を行うことで、町田駅前通りをはじめとする周辺の交通を円滑にします。
5)「行政経営改革」では、複式簿記、発生主義という企業会計の考え方を全国の市町村では初めて導入します。

 以上のような考え方によって編成した2012年度当初予算案は、一般会計1,355億円、特別会計1,020億円、合計2,375億円です。

 なお、東日本大震災からの復興に向けて、町田市は職員の派遣や再生自転車の提供等被災地のニーズに応じた支援を引き続き行い、復興に尽力します。


政変を求めるのは悪い癖

 今日の世界で最も影響力の強い選挙といえば、おそらく米国大統領選挙といえるでしょう。米国の力に往時の勢いがなくなったとはいえ、まだその存在感には他国を圧するものがあるからです。その選挙が今年(2012年)行われますが、民主党のオバマ大統領に挑戦する共和党の候補者はいまだ決まっていません。

 選挙では戦術が重視されますが、朝日新聞2012年2月26日付け「ザ・コラム」によれば、米国には選挙戦術を教える大学院があるというのです。その大学院を修了すると、政治管理学という修士号が授与されるそうです。ちなみに、日本ではそのような大学院はきいたことがありません。

 同記事での大統領選史に詳しい作家のジョセフ・カミンズさんによれば、「ワシントンもジェファーソンも相当えぐい選挙をやっている。清く正しい大統領選など一度もありません」というのです。 五百旗頭真(防衛大学校長;2012年3月末までの任期、神戸大学名誉)教授が、朝日新聞の政治時評(2012年2月21日)で、政権運営に苦しむ野田佳彦首相の民主党政権に対して、総選挙を求める野党に、「政変ばかりを求める悪い癖です。(中略)課題を設定し、やり遂げる意志がある政権なら、仕上げるよう国民が圧力をかけるべきです。政変中毒はやめたほうがいい」と発言しています。

 五百旗頭教授が指摘するように、たしかに、日本に限らず多くの国のメディアは政変を求める悪癖があるようです。それは、「ドラマチック」かもしれませんが、「民主的にできた政権に仕事をさせるという視点が欠けている」と指摘されるのも無理がありません。

 五百旗頭教授の発言を受けてホストの宇野重規(東大)教授は、「今は、政権が課題を一つずつこなす環境を作るべきである」と続けています。

 まさしく、そうだと思います。そもそも、選挙で候補者の名前を投票用紙に記すのは、その候補者に何事かを託しての行為ではないのでしょうか。それなのに、その候補者が当選し、議員や長としての活動をはじめると、それらの議員や長に仕事をさせるよう圧力をかけるどころか、仕事をさせにくくさせているのが、いまの日本のメディアであり、有権者であると五百旗頭教授は指摘するのです。

 いまの日本の政治は、なにも決められないといわれていますが、それは、政治に第一の責任があるとして、それ以外のたとえば、マスコミ等に何の責任もないという意見に、私は与するものではありません。

 このような政治状況になると、警戒しなければならないのは、ポピュリズムです。この言葉は、杉田敦(法大)教授によれば、「ラテン語のpopulus(民衆)に由来し、総じて、一般大衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指す」ものですが、「いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的解決を回避するものとして、ポピュリズムは批判的に言及されることが多い」のです。その理由として、同教授は、「民意を離れてデモクラシー(民主主義)は運用できないとしても、民衆全体の利益を安易に想定することは、少数者への抑圧などにつながり、危険であるからである」と指摘しています。

 このように、ポピュリズムは批判の対象となることがありますが、経済学者シュンペーターが描く民主政治モデルは、リーダーシップを担う政治家に率いられた政党が有権者の支持を求めて競い合う姿です。

 それでは、政治のリーダーシップとは何でしょうか。ガルブレイスは『不確実性の時代』の終章で民主主義と指導力を取り上げ、「その時代の国民の主要な不安と真正面から対決する気構え」としています。

 ここにある、「主要な不安」をわが国でいえば、これだけ積みあがった赤字の漸進的解消と社会保障の持続可能性でありましょうし、町田市でいえば、昭和33年に市制が施行されて以来営々として発展し続けた当市の発展の持続とその維持といえましょう。

 そのための一般質問を今後も、らん丈は続けてまいりますので、どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。


民意

 「民意」を広辞苑に当たると、「人民の意思」と説明しています。この民意を得るために、政治家はなにかと意を用いるのですが、それに成功するのは決してやさしいことではありません。いま(2012年3月)最も民意を得ている政治家は、橋下徹大阪市長をおいて他にはいないといっていいかと思われます。

 そんな日本の政治をみて、佐伯啓思(京大)教授は、二つの潮流があると指摘しています。一つは、閉塞感を打破するために既得権益を壊し、すべてを一新しようとする流れであり、もう一つは、構造改革や政権交代が成果を出せなかった反省から、急激な変化を警戒し、少しずつ地道に変えていこうとする流れです。

 当然ながら、橋下市長は前者に該当しますし、この流れでは以前に小泉純一郎元首相がいました。後者には、野田佳彦首相が該当します。

 それについて佐伯教授は、民主主義が、橋下市長を生んだというのです。それを次のように記しています。「もともと民主主義には非常に不安定な要素が埋め込まれている。民意といっても、一人一人の意見や利害は違う。選挙や多数決で集約しても、必ず不満が出てくる。その不満にもまた応えようとするので、結果的に政治は迷走する。民主主義が進み、より民意を反映させようとすればするほど、政治は不安定になってしまう。その場合、人々の不満を解消するためには、何か敵を作って、叩くのが一番早い。(中略)橋下現象は、極端にいえば、民主主義の半ば必然的な結果でもあるんです。日本人は、民意がストレートに政治に反映すればするほどいい民主主義だと思ってきた。その理解そのものが間違っていたんじゃないか」(朝日新聞2011年12月1日朝刊)

 つづけて、「古代ギリシャの時代から、民主主義は放っておけば衆愚政治に行き着く、その危険をいかに防ぐか、というのが政治の中心的なテーマでした。だから近代の民主政治は、民意を直接反映させない仕組みを組み込んできた。政党がさまざまな利害をすくい上げ、練り挙げてから内閣に持っていくことで、民意は直接反映しないのです。(中略)そういう非民主的な仕組みを入れ込むことによって、実は民主政治は成り立っていました」と指摘しています。

 なかなか興味深い指摘です。多くの日本人は、「民意がストレートに政治に反映すればするほどいい民主主義だと思ってきた」と思われますが、それに佐伯教授は疑問符をつけたのです。それに加えて、「非民主的な仕組みを入れ込むことによって、実は民主政治は成り立っていました」というのです。

 その結果、「国民の政治意識の高まりを伴わないまま、民意の反映を優先しすぎたために、非常に情緒的でイメージ先行型の民主主義ができてしまった。民意の不安定性が政治そのものを不安定化し、政治が機能しなくなりました」と慨嘆します。

 つづけて、メディアにも言及します。「メディアの役割も重要です。90年代から多くのマスメディアは政治改革を支持し、官僚バッシングをやってきた。その結果、今の状況に至ったのだから、メディアが変われば流れは変わるはずです。それと、政治にあまりに性急な問題解決を期待しないことです」というのです。

 なるほど、たしかに「政治にあまりに性急な問題解決を期待しないことです」というのも、重要な視角と思われます。

 そもそも、政治のリーダーの首をすげ替えると立ち所に問題が解決するというのも、一つの幻想ではないでしょうか。