町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

早稲田大学大学院「日本研究・日本文化論」Ⅱ期末リポート大学での活動

2011.05.25(水)

箇所:早稲田大学大学院 社会科学研究科 地球社会論専攻
科目:「日本研究・日本文化論」Ⅱ
開講学期:2007年度 後期[2単位]
担当:内藤 明 教授(早稲田大学 社会科学総合学術院)、「歌会始の儀」選者
リポート題目:『日本文化における特殊と普遍』
リポート副題:「ウチとソトを峻別したがる日本人と粗笨な対応に終始する非日本人」

1、はじめに〜ウチとソトを分ける日本人、分けない非日本人
 当研究科には、少なくない外国人留学生が在籍している。
 その留学生のうち多くの方々は、その外貌と日常の使用言語から、中国系ないしは韓国系の方々と推察される。当科目にも、一定数の中国系ないしは韓国系とみられる外国人留学生の方々が在籍しており、それらの留学生の方々は、通常ひとかたまりに着席している。それら外国人留学生は、かりに授業時間に遅れて入室した場合においても、その一団に必ずといってよいほど加わって着席する傾向が見受けられる。

 また、当科目が開講されている教室の特徴として、授業開始後も廊下と教室を隔てる扉が閉められないことが、挙げられる。ただ、寒さが厳しくなった1月は、さすがにドアは閉められるようになったのであるが。

 ここに他科目の教室との違いがある。他の科目では、授業開始とともに、教員の指示の有無にかかわらず、大抵の場合扉が閉められるからである。

 その理由は、当科目の授業時間が第2時限という、比較的早い時間に設定されているため、遅れて入室する学生が多いという特殊性もあろうかと考えられる。遅れて入室する学生のうち一定の割合で、外国人留学生がいるように思われるが、筆者はいまだ嘗て、彼らや彼女たちが、入室後扉を閉めるのを見たことがない。

 筆者はそれを常々、なぜ扉を閉めないのかと、わずかばかりのもどかしさを伴いつつ、見遣ってきた。ただ、筆者の座る席が扉とは遠い場所に位置するために、開いている扉をわざわざ閉めに行ったことはない。

 それに関して、遅れて入室する留学生は、扉をわざと閉めないのではないかという疑念を、筆者は抱き始めた。遅刻した学生が入室した後も、なおも遅れて入室する同胞の学生があるかもしれず、それを配慮して開けたままでいるのではないか。それとも扉を閉めることが習慣化されていないからなのか、と考えるもののどちらの理由によるものなのか、それとも他に違う理由があるものなのか、筆者はその理由を定めかねていた。

 そのうち筆者はこれを、廊下と教室を隔てることに意味を見出していない留学生が取る特有の行動ではないかと思うようになった。

 ここに、到る処に内と外を見出し、そこに境界を設けることに熱心な日本人と、日本人ほどには敏感には反応しない、非日本人という違いを観取することができるのではないかと思い、それを中心に小稿を展開するべく稿を起こした次第である。

2、日本文化における特殊〜「ウチ」という文言を、特に会話においてしばしば使う日本人

 われわれ日本人は、会話において実にしばしば「ウチ」という文言を使う。

 たとえば、女性は結婚すると配偶者のことを対外的に、「ウチのひと」と呼び、男性は既婚者となるや、配偶者のことを世間に、「ウチの」あるいは「ウチのやつ」と呼ぶ場合が多い。

 筆者が属する落語界ではもっと徹底しており、ウチの師匠とはごくふつうにいうが、私の師匠とは、まずいわない。それは、私の師匠ではなく、私を含めた兄弟弟子すべての師匠なので、ウチの(一門の)師匠だから、それをつめてウチの師匠と呼ぶのである。

 こうして日本人は、ある組織に加入し、その構成員となると、しばしばその組織を「ウチ」と呼ぶ。自らが属す組織に満足している度合いが高い場合には、それを誇る思いが「ウチ」という言い方から、ほんの僅かではあるものの確実に立ち昇る気配を感じてしまうのは、なにも筆者一人のことではないだろう。

 それを中根千枝は、『タテ社会の人間関係』において、以下のように記述する。

 “日本人が自分の属する職場、会社とか官庁、学校などを「ウチの」、相手のそれを「オタクの」などという表現を使うことにも表われている。
 (中略)私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。”(pp.32〜33)

 この場合の「ウチ」とは、文字通りの「家」を意味することがあるが、多くの場合、英語のweであり、ourである。

 英語表記であれば、下記のようになる。
 He doesn’t bring work home. (彼は家には仕事持ち込まないようにしている。)
 You’ll love working with us.(ウチで働くと楽しいよ。)

 上記のように、英語では「ウチ」を即物的に用い、日本語のように「ウチ」に所属性は持たせない。

 「ウチのひと」は、my husbandであるし、「ウチのやつ」は、my wifeであり、「ウチの会社」は、my companyであろう。
この表記からは、先ほどふれたように、自らが属す組織を恃む気概はほんのわずかながらさえも見出すことはできず、いくら推し量ろうとも即物的なものしか、そこからは感得されることはない。

3、和辻哲郎『風土』(岩波書店、1977年第44刷)にみる「家」
 p.163の第2段落に下記の文言がある。
 “しからば廊下は往来であり、往来は廊下である。両者を判然と区切る関門はどこにもない。ということは、「家」の意味が一方では個人の私室にまで縮小され、他方では町全体に押しひろげられるということにほかならぬ。それはつまり「家」の意味が消失したということである。家がなくしてただ個人と社会とがあるということである。
 日本には明らかに「家」がある。廊下は全然往来となることはなく、また往来は全然廊下となることがない。その関門としての玄関あるいは入り口は、そこで戴然と廊下往来の別、内と外の別を立てている。我々は玄関をはいる時には「脱ぐ」ことを要し、玄関を出るときには「はく」ことを要する。配達夫も小僧もこの関門を入ることはできない。カフェーも飲食店もすべて「よその家」であって、決して食堂や茶の間の意味を持たされない。食堂や茶の間はあくまでも私人的であって共同の性格を帯びることがない。
 日本人はこのような「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎ得る。”

 上に引いた部分は、ヨーロッパの都市の家と日本の家を比較した箇所である。

 日本ではヨーロッパとは異なり、“内と外の別”を截然と行なう。

 こう記すと、ならば、当科目の多くの留学生は、ヨーロッパからではなく、中国や韓国から来ているのだから、上記のことは該当しないのではないかという疑念が指摘されよう。

 それへの回答として、再び『風土』に立ち返る。その第三章 モンスーン的風土の特殊形態 一 シナに、下記の記述がある。
 “モンスーン地域を広義に解すればシナの大陸をも含めることができる。しかし熱帯の大洋から湿気を陸に運ぶという点にモンスーンの特質を認めるならば、太平洋の影響を受ける限りのシナ大陸がモンスーン地域であると言わねばならぬ。”
 つまり、中国といえども、すべてモンスーン地域ではなく、“太平洋の影響を受ける限りのシナ大陸”に限定されると和辻が指摘するように、当科目を受講する中国や韓国からの留学生は、太平洋の影響を受けない地域の出身者が多くいることが想定される。

 それが証拠に、北京からの留学生は筆者との会話で、北京は海に面しておらず内陸に位置するために、日本に来るまで
海を見たことはなかった、と話していた。
 たしかに、北京は最も近い海の渤海から直線にしても約150km離れているため、太平洋の影響を受けるとは考え難い。

 こうして、留学生が教室と廊下を隔てる扉を閉めない理由が明らかとなった。

 それは、教室内も教室外=廊下と同じ社会を構成しているために、それを分け隔てる道具としての扉を閉める有用性を認識していないからということになる。

 非日本人は有用性を見出さないため、だれも扉を閉めないが、日本人にとって扉は、“関門としての玄関あるいは入り口”を意味しているので、ウチとソトを截然と区分けしないことには、“くつろぎ”を得ることがままならないために、扉を閉める。

 だから、閉まっていない扉は、筆者のように、どうにも落ち着かないのものとして認識されるのである。

4、中根千枝『適応の条件』(講談社現代新書、1972年)にみるウチとソト

 まず、上記の仮説を同書の記述によって強化してみよう。
中根は、同書p.96において、中国は日本と同じモンスーン的風土に属していない地域もあるとの和辻の言説に呼応するかのように、また、筆者の意見を補強してくれるかのように、中国は日本型ではなく、インド・イタリア型と同じタイプに属するとの説を展開する。

 さて『適応の条件』であるが、同書第二部「日本の国際化をはばむもの」において、中根は、日本人特有のプロトタイプを明確化するために、“日本人にみられる集団の凝集性、孤立性、そしてその中にみられる個々人の集団への高い順応性といったものに注目し、それが家族構造(中略)と関係していることを指摘したが、本論で問題としたいのは、家族生活における人間関係、すなわち、ウチ(住居)のなかでの家族成員の動き方と、それに密接に関係している部屋の配置ならびにソトとの関係である。私はこれが、「ウチとソト」という日本人の社会学的性向の原型(プロトタイプ)を示すものと考えている”と指摘する。

 上述の観点で、日本とのコントラストを形成するイギリスとインド・イタリアという2つのタイプを措定することによって、日本を含めた3つの型を比較して中根は以下のように考察する。ちなみに、中根によれば、インドとイタリアはただ“本質的に同じ”であり、“イギリスとも日本とも異なった型を代表するものと考える”と記すのみで、その根拠を示すことはしていないが、筆者はそれに対して有効な反論を戦わすべき論拠を持ち合わせていないため、中根の説をここでは踏襲する。

 イギリス式の家の顕著な特徴は、個室がはっきりあり、一人一人が別々にそこに入っていることである。

 これに対して、“インド・イタリア式の家では、それぞれ個々
人の部屋はあるが、家族全員の共通の場というのが、たいへん重要な機能をもっていて、そこでみんながおしゃべりをして、一日の大部分の時間を過ごすのがつねである”という。

 “これに対して、日本の家はどうであろうか。まず、その特色は個室というものがないこと。各家族成員に明確にそして恒常的にきまった部屋というものがない。(中略)外国人は家を買ったり、借りたりするとき、「ベッド・ルームがいくつある家か」というように、家の大きさを表現する。それに対して、日本人は「何坪の家か」あるいは、すべての部屋をひっくるめて「いく部屋の家か」というふうに表現する。日本人は、住居(部屋)というものを家族生活に必要な機能によってみる。たとえば、居間、納戸、玄関、台所などというように。ところが、他の社会では、住む人を中心にして考えるわけである。すなわち家族の各人の部屋がちゃんとあるかないかということが問題になるわけである。こうしたことからもよくわかるように、日本人は、家族というものを、個々人にわけないで、一つの集団として考えている。(中略)いちおう、部屋の仕切りはあるが、障子や唐紙なので、すいてみえたり、隣室の声がきこえたりするというばかりでなく、寒い季節を除いては、障子や唐紙はつねにあけられているのが普通である。”

 “内部の配置・人間関係は、当然外部との関係に影響してくる。日本式では、内部に壁というものがないかわりに、外部に対する壁がたいへん厚くなっている。したがって、人々にとって、家のウチとソトでは大変な違いがある。”

 このように、中根は日本式住居では、ウチとソトを峻別するかわりに、内部においては、仕切りはあっても障子や唐紙などで、とてもルースに対応する様態を指摘している。

5、日本文化における普遍〜中根論文の問題
 上記の論文が発表されたのは、『暮しの設計』(中央公論社)1970年夏の号での「部屋の配置と家族関係」においてである。

 38年前の論文であるから、今日からみると、いささか実状にそぐわないと思われる指摘があり、その最たるものは、日本の家屋に個室がないという記述である。

 いまや子ども部屋をはじめ、日本の家屋に個室があるのは、ごくあたりまえのことである。
 ただ、それにもかかわらず、日本式家屋では、ウチとソトを峻別する様式それ自体は、いささかの変化もみられない。

6、中根千枝『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書、1967年)にみるウチとソト
 『適応の条件』より前に上梓され、一世を風靡した中根の著作に、『タテ社会の人間関係』がある。
 そこでは、“「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、この感覚が尖鋭化してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。”との記述がある。(p.49)

 この論考は、1964年に発表された論文をもとにしているため、時間的にはいまから44年も前に遡ることができるが、今日の日本社会に当てはまる論考であることには、ほとんど変化はない。

 たとえば、当時は考えられなかったであろう、電車内で化粧を施す女性や電車の床に平気で座り込む若者にとって、「ソト」にいる乗客は、あたかも風景のようなもので、上記の表現を借りれば、“「ウチ」の者以外は人間ではな”いのであって、「ウチ」にいる当事者とは隔絶された存在なのである。だから、そのような行動に羞恥心を持つことはない。

 こうして、ウチとソトを日本人が分けるのは、中根が指摘するように、“同質のものを序列によって差をつける”(p.89)ことに意味を見出すからであろう。

 たとえば、イングランド発祥のサッカーと、日本の国技といわれる相撲を比較しよう。

 サッカーのワールドカップは、予選を勝ち抜いたチームに本大会での出場権が与えられ、その際、一切の予断は許されない。

 つまり、イングランドのチームであろうが、日本のチームであろうが、その実力に応じて予め序列をつけることはせず、どちらのチームであろうが、本大会に出場すれば、序列化されることはなく、同一条件のもとで戦う。

 ところが、大相撲は、序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内、三役、横綱といった具合に、番付を組むことで、同じ相撲とはいえ序列化し、予断を目視化させる。

 このように、序列化を好む日本人ゆえ、本場所後の大相撲トーナメントは盛り上がりに欠けるのであろう。トーナメントは、横綱も平幕も同じステージ上で戦うから、多くの日本人には興味を持てなくなってしまうのである。

 こうして、日本人がウチとソトを分ける理由は、明らかになった。

 つまり、日本人はウチにあっては常に序列化を指向し、序列化できない存在はソトとなり、関心の埒外へと葬られる。

 それは、序列化することによって自分の位置が決まるために、相手との接し方も自ずと決まるからである。そこに関係の安定性を見出せる。だから、相手との上下関係を明らかにさせようとするのである。

 ところが、上下関係にない相手はウチの者ではなくなってしまう。ソトの方となり、必然的によそよそしい態度でしか、接することが出来ない。それは、上下関係にないために、ウチの存在とはならなくなっているからである。

7、なぜウチとソトを分かるのか
 このように、日本人はウチとソトを峻別しようとする。
 ウチとソトを分けた後、日本人はウチにあるものを序列化し、自らの位置をその序列内で確定させることによって初めて、自分の位置を確認できるから、という理由を上に述べたが、それではどうして、他人との比較において自分の位置を確認するのか、という問題が残される。

 それは、自我が確立されていないからではないだろうかと筆者は考えた。強固な自己があれば、他人と比較することなく、自分を主張すればいいのである。

 ところが、日本における自我は、きわめて曖昧であり確立されていないがために、他人との比較を経ることで、ようやくにして初めて確立される。

 つまり、相手が存在することによって初めて存立する自己ゆえ、日本における自己は極めて脆弱なのである。

 そのために、日本語では敬語の使用が重視される。上下関係が明確化されたことにより、自分の位置が確定されたため、それに応じた言葉遣いが要求されるからである。
また、一人称を指す言葉が他の言語に比して、日本語においては格段に多いことも指摘できる。たとえば主に男性が使う一人称だけでも、わたし、わたくし、あたし、あたい、わたい、わし、あっし、わっち、わて、われ、ぼく、おれ、おいら、おら、こちとら、こちら、こっち、自分、我輩、予、それがし、手前、小生、小職等が挙げられる。驚くべきことに、関西においては今でも、「自分」といって二人称を指す場合がある。このように、同一の言葉を、一人称でも二人称でもどちらでも使うという言語は、日本語ぐらいではないだろうか。

 これは、西洋と違い脆弱にして曖昧な自己を表出する必要
に迫られ、自分を強固に固定化するのを避けて、自分をぼかすために、いくつもの一人称を使い分けていると考えられる。

8、ウチが極小化される若者
 先にふれた、電車内で化粧を施す女性、客同士が向かい合うボックス型の電車車輌ならばともかく、窓に面して一列に並んだ7人掛けの椅子に腰掛け、お結びをほお張る若者、電車の床に平気で座り込む若者であっても、むしろ、外国人とのコミュニケーションにおいては、それを苦手とする熟年層には到底及びもつかないほどの練達さを見せる若者を、じつにしばしば目にする。

 これは、どのように理解すればいいのであろうか。
 筆者は、ここで再び『タテ社会の人間関係』にある文言をひきたい。

 “彼ら(欧米)の社会では、組織の構造指標となるものは「タテ」につながる序列ではなく、「ヨコ」につながる階層的な分類である。こうした構造をもつ社会では、同僚意識が強く、そこに連帯性が生まれ、反対に、そのなかでの序列意識はきわめて低調となるのである。”(p.88)

 つまり、日本の若者は、いつしか日本的な組織構造から解き放たれており、それゆえに、欧米型の社会組織構造を身につけてしまっている者も少なからずいるのではないか。

 そのために、日本人といえども、欧米人とはスムーズに意思疎通が図られるのではないだろうか。

 ただ、そうはいってもその若者も日本人であることに変わりはないので、ウチとソトを瞬時に峻別することはやめない。ソトの人間は、風景化させることによってヒトではなくなり、そこにいるのは単なる風景としてのヒトとなるので、考慮する対象ではなくなるために、電車内で衆人環視のもとでも、平気でメイキャップを施すことができるのであろうし、弁当さえも広げることができるのであろう。

 つまり、今日の若者にあっては、ウチが極小化され、とうとう自分ひとりのみがウチとなり、あとはすべてソトとなったために、他人は等しく考慮する対象ではなくなったのである。

 したがって、電車の車輌内では、どんなに混雑していようと自分ひとりしかヒトはいないから、平気で化粧を施すことができる。

 また、非日本人であろうが、若者にとっては日本人と同じように、単なるソトのヒトなので、日本人と変わりなく気軽にコミュニケイトすることが出来るようになったのではないだろうか。

 なおこれは、阿部謹也が展開した「世間」論とも軌を一にするものである。

 そこで阿部は、ヨーロッパは個人を単位として人間同士が相互に結合する社会、日本はお互いに相手の顔色を見ながらもたれあう「世間」だというのである。

 こうして、今日の日本の若者にとって「世間」は、ただ自分ひとりに極小化されてしまった、ということではないのか。

9、まとめ〜「個」と「公共」の同時伸張
 以上、若者における世間が著しく狭隘化してきた現状をみてきたが、それは、日本の社会においては、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の減衰がもたらされているという認識と重なるものがある。若者は、公共空間とのコミットメントを避けようとしているため、自ずとソーシャル・キャピタルが衰退しているというのだ。

 ただ、それとは正反対の流れを形成するベクトルとして、団塊の世代と呼ばれる昭和22~24年に産まれた、800万人におよぶベビーブーマーの生き方を考えてみたい。

 団塊の世代は、戦後日本の高度経済成長の担い手であり、当時は仕事を最優先し、地域との繋がりを顧みようとしなかった多くの方々もいたが、60歳を迎え、社会の第一線を退く年齢になると、地域との結びつきをより重視しようとする方々が目立って増えてきている。

 こうして、団塊の世代における主要な社会が、勤務先から地域へと移動したのである。

 それまで、地域とのつながりは、家族において子や妻を通じてのみ保たれていたが、それに自らも参画しようとする意識の変化を、ここからは読み取れる。

 このように、今でこそ社会とのコミットメントをなるべく簡素化したがる若者ではあるが、彼らや彼女たちも、年齢を重ねることによって、団塊の世代と同じように、案外地域とのつながりや社会との接点を求めようとする可能性も有しているのではないだろうか。

【参考図書】
和辻哲郎『風土』−人間学的考察(岩波書店、1977年)
中根千枝『タテ社会の人間関係』−単一社会の理論(講談社現代新書、1967年)
 同  『適応の条件』−日本的連続の思考(講談社現代新書、1972年)
阿部謹也『「世間」とは何か』 (講談社現代新書、1995年)