町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

早稲田大学大学院 社会科学研究科「現代人権論研究演習」Ⅱ『一般職公務員の分限処分について』大学での活動

2008.05.25(日)

箇所:早稲田大学大学院 社会科学研究科 政策科学論専攻
科目:「現代人権論研究演習」Ⅱ
開講学期[単位数]:2008年度 通年[4単位]
担当:後藤 光男 教授(早稲田大学 社会科学総合学術院)
テーマ:『一般職公務員の分限処分について』
1 はじめに
1)人間は、失敗するという自明
 世上においては、あまりにも自明なことは、逆に、口の端に上らないことが往々にしてある。
 その例ならば、いくらでも挙げることができるが、一例に、「まずいものより美味しいものを食べたい」とか、「心地悪いことよりも心地よい方が好ましい」といった言説をあげることができる。

 その一例として、ここでは、「人間は失敗する」ことを採りあげたい。
 たしかに、多くの人間は、その大小を問わず、じつに多くの失敗を犯す。人間は、失敗を余儀なくされる生き物、という定義も可能かと思われるほどに、失敗する。

 その例として、プロ野球という、野球の一流人が集まる世界でも、日本であると米国であると、あるいはその他の国であるとを問わず、打者は、10回のうち7回失敗しても優秀だといわれることを、挙げることができる。
 あるいは、日本の国技といわれる相撲では、一場所15回の対戦で、7回負けても昇進する。つまり、46%の失敗を許容しているのである。

 それとともに、人間は失敗すると同時に、その失敗をアブソーブさせる方途も心得ている。

 たとえば、学校には試験がつきものだが、すべての試験で満点を取らなくても、学校は学生(あるいは、生徒、児童)にそれをとがめることはせず、多くの学校では4割の不正答でも単位の修得は可能にしており、卒業することはできるような配慮を行っている。
つまり、4割の間違いは、予め設定した許容の範囲内に収める知恵がそこに働いている。

 そこには、人間は失敗する自由、愚行権も享有しているとみることも可能である。

2)ほとんどの公務員は雇用保険に加入していないという事実
 労働者であれば、雇用保険が適用される。
 雇用保険に関する雇用保険法1条によれば、その目的は、下記のとおりである。
1条 雇用保険は、労働者が失業した場合及び労働者について雇用の継続が困難となる事由が生じた場合に必要な給付を行うほか、労働者が自ら職業に関する教育訓練を受けた場合に必要な給付を行うことにより、労働者の生活及び雇用の安定を図るとともに、求職活動を容易にする等その就職を促進し、あわせて、労働者の職業の安定に資するため、失業の予防、雇用状態の是正及び雇用機会の増大、労働者の能力の開発及び向上その他労働者の福祉の増進を図ることを目的とする。

 ところが、公務員には多くの場合、雇用保険法は適用されない。それは、下記のとおりである。
6条 次の各号に掲げる者については、この法律は、適用しない。
4.国、都道府県、市町村その他これらに準ずるものの事業に雇用される者のうち、離職した場合に、他の法令、条例、規則等に基づいて支給を受けるべき諸給与の内容が、求職者給付及び就職促進給付の内容を超えると認められる者であつて、厚生労働省令で定めるもの

 すると、公務員は労働者であるにも係わらず、「失業した場合及び雇用の継続が困難となる事由が生じた場合に必要な給付が行われない」ことがあり、不当に扱われる労働者という存在になってしまう。

 それとも、公務員は労働者ではないのであろうか。
3)法律上の公務員
 日本国憲法では、労働者という言葉は用いられない。
しかし、28条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と定める。
ここで「勤労者」とは、労働力を提供して対価を得て生活する者のことであり、労働者(労働組合法3条)と同義である。[9]芦部信喜・後掲書247頁

 そこで、労働組合法によると、その3条に下記の文言がある。
3条 この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。
 次に、労働基準法で労働者はどのように定義されているかをみる。
9条 この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。
 上記のとおり、法律では、公務員は労働者として認識される。
 つまり、公務員は労働者と認定されるのにもかかわらず、雇用において、失業した際に、雇用保険に加入していないために、公的保障を受けられない。

 かかる事態は、何を意味しているのであろうか。
 こんなことが、考えられる。
 公務員は容易には失業されない前提があるために、雇用保険に加入する合理的な理由が見出せないため、雇用保険には加入していない。
 なるほど、公務員は容易に失業されないという言説が日本ではある。
 それは、本当なのだろうか。

4)どうして筆者は公務員の分限処分に関する論文を作成するのか
 「はじめに」で以上3点にわたって記したように、人間は、失敗するという自明のことから考えたい。
 次に、公務員は、雇用保険に加入していないという事実がある。
 しかし公務員は、雇用保険に加入している私企業社員とおなじ労働者であることが、法律上明らかとなった。

 また、一般職公務員が従うべき法に、国家公務員であれば、国家公務員法(以下、国公法)があり、地方公務員であれば、地方公務員法(以下、地公法)があるが、それぞれ、国公法78条では、「勤務実績がよくない場合」、「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」、「その官職に必要な適格性を欠く場合」、「官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」。地公法28条では、「勤務実績が良くない場合」、「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」、「その職に必要な適格性を欠く場合」、「職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」には、本人の意に反し降任及び免職される場合があるという。

 降任も免職も公務員の身分にとっては、不利益な変動であり、それは懲戒以外の措置であるために、分限処分とよばれるが、公務員という身分に就くことが失敗だと自他ともに認識した場合、その公務員はどうすればいいのであろうか。

 それが、この論文を作成しようとした原初の動機であった。
 上記法律を字義通りに適用すれば、公務員に就いたことが失敗であると認識した公務員は、「その(官)職に必要な適格性を欠く場合」に該当しているものとみさなれるかもしれないが、それによって免職されても、公務員は雇用保険に加入していないため、満足な公的保障は望めない。

 あるいは、上記法律が適用されず、免職されなくても当該公務員は、失敗感を払拭されるような出来事や心理的変化が来たさないかぎり失敗感を抱いたまま、定年までその職にあり続けることになる。

 はたしてそれは、当該公務員にとって幸福なことなのであろうか。
 むしろ、公務員も雇用保険に加入することによって、新たな職を見出す機会を設けた方が、当該職員にとっても資することになるのではないか。

 それに関連し、2008年5月5日の朝日新聞朝刊に次の記事を見出した。それは、朝日新聞主筆による、ラスムセン(デンマーク)首相へのインタビュー記事である。
 そこで、ラスムセン首相は、このように答えている。
 「我が国の労働市場モデルはフレクシュリティー(「柔軟性」と「保障」の合成語)と呼ばれる。我が国では雇用と解雇にあたって規制がほとんどない。毎年、労働人口の3分の1が職を変える。しかし、仕事を失った者には次の職に就くまで、最高で直前収入の9割を政府が補償する。雇用ではなく収入を守る考え方だ。労働力の流動性が、革新分野に人材を集めやすくし、競争力につながる。」

 なるほど、守るべきは雇用ではなく、収入であり、労働力の流動性が、革新分野に人材を集めやすくし、競争力につながる、とは、まさしく卓見だと意見を同じくしたものである。

 また、日本はいま公務員改革の渦中にあることも忘れてはならない。
 つまり、安倍晋三内閣での公務員改革により、国家公務員法78条1項の「勤務実績がよくない場合」が、「人事評価又は勤務の状況を示す事実に照らして、勤務実績がよくない場合」と改正された。(ただし、未施行)
「人事評価」がよくない場合に変更されたことで、具体的な基準が設けられ、分限処分の基準が明確化されたのである。

 この動きは、政府がいよいよ分限処分に本腰をいれたことを意味するのではないか。
 その際、国公法および地公法にある、「勤務実績が良(よ)くない場合」、「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」、「その(官)職に必要な適格性を欠く場合」、「官(職)制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」に、公務員が分限処分を受けるのが相当であると認める場合を確定することが大事なことであると、筆者は考える。

 そうでなければ、分限処分が恣意的に行われる場合が生じる可能性があるからである。
 したがって、小論では、上記分限処分が行われるのが相当であると認められる場合を確定させたい。

 次に、公務員には、雇用保険が適用されない現状があるが、私企業従業員は雇用保険に加入している。
 このように、官民格差が厳然としてある実態を解明したい。
最終的に、果たして巷間いわれる公務員は免職され難いという言説は、事実に基づくものなのか、それとも単なる思い込みに過ぎないのか、それを確かめたい。

2 日本人の労働観
 公務員とは、職の一種である。
 職とは、働くこと、つまり労働を内包する。
であるならば、私もその一人である、日本人にとっての労働をまず考えたい。

 日本人の労働観は、西欧人のそれと比較した場合、少なからず異なるものだという認識を、西欧人は持っているようである。
 その西欧人のひとりに、クロード・レヴィ=ストロースがいる。

 レヴィ=ストロースとは、大久保喬樹が指摘するように、1960年代にフランスから始まったいわゆる構造主義を、民族文化分析の方法論として開発した構造分析の原理を用いて始動させたひとりである。[1]

 レヴィ=ストロースは、1977年以来4度来日し、各地を訪問調査し、その感想を様々な機会に発表している。
 それを大久保は、下記のように紹介している。
 “第1回の滞日中、レヴィ=ストロースは、当時彼が中心となって企画中だった労働についての比較人類学的共同研究の準備作業の一環として、日本各地の伝統職人―杜氏、刀鍛冶、陶工、宮大工、和菓子、漆器、染織等―を訪ね歩き、また、国立民族学博物館等の研究者たちと意見交換を行ったりした。

 その成果は、レヴィ=ストロース滞日時の講演、発言を集めた『構造・神話・労働』(みすず書房、1979年)におさめられた講演「労働の表象」とそれに付随するシンポジウムの記録、大橋保男との対談「未開と文明」、「一民族学者のみた日本」などにうかがわれるが、すでに、そこには、幅広い文明史的、文明批評的な視野に基づいた日本観があらわれでてきている。

 レヴィ=ストロースは、上記「労働の表象」において、「労働」についてこのように語っている。
 “西欧社会における労働の観念は、明白に二つの要素によって規定されています。一つは、ユダヤ=キリスト教的な伝統であって、これによれば、労働とは神の力によって人間に課せられた「罰」であります。もう一つは、商業経済および資本主義の観点からの規定です。(中略)個々に別々のものとしてとらえられるような労働ではなく、売買という操作の中で溶けあって一つになるような労働です。”

 ただ、ここで注意しなければいけないのは、このような労働観は、16世紀に始まった宗教改革によって形成されたものである、ということである。
 つまり、ルターは「労働は罪を償うための労働であるから、労働によって富が手に入っても、これを享楽のために使ってはならない」という「勤勉・節約」の倫理を説き、カルヴァンは、「神の栄光のために」伝統的な職業や仕事のやり方に関わることなく、労働の合理化を図るべきだという。[2]

 こうして、ルターとカルヴァンは、ともに「罪の治療剤としての労働」と「勤勉・節約」とを説いた。

 翻って、ヨーロッパ文明の淵源を構成したヘブライズムとヘレニズムという二大潮流のうちのひとつ、古代ギリシャでは、「労働」を、人間的な自由の対極にあるものと捉え、これを蔑視していた。
 したがって、古代ギリシャでは、多様な職業や生産活動を包括する統一的概念としての「労働」概念は存在せず、今日われわれが「労働」と捉えている諸活動はそれぞれ多種多様な具体的活動としてのみ認識されていた。[3]

 “このように、われわれ西欧の人間にとっては、労働一般という考え方があるわけですが、travail(労働、仕事)というフランス語、あるいはそれに該当する他の西欧諸国のことばを、一つの日本語の単語だけで統一的に訳すのは実際上不可能に近いということを、日本の方と話していてはからずも知りました。”

 こうして、レヴィ=ストロースは端無くも、近代西欧では、古代ギリシャとは異なる「労働」観を把持させていることを吐露しているのだが、ここで注目されるのは、上記のように、日本人は、近代西欧社会が持つ「労働」観とは異なる「労働」観を持っているということである。

 続いて、レヴィ=ストロースは、夫婦の漆職人が働く現場を見学した際に、漆による蒔絵製作とともに行なわれる、家事、炊事、子どもの教育などに対して、妻にその“どちらの「労働」を好むかと尋ね”たところ、蒔絵製作は「労働」とは呼べるものの、家事、炊事、子どもの教育は「労働」ではなく、別の範疇にあることを知らされ、驚くのである。

 つまり、日本人は、近代西欧人とは異なり、「仕事」と「労働」を峻別していることが、レヴィ=ストロースによって、明らかにされる。[4]
それは、古代ギリシャと相似ていることも併せて、理解された。

3 一般職公務員
 国家公務員と地方公務員を問わず公務員における一般職とは、国家公務員法第2条2、地方公務員法第3条2による、国家公務員又は地方公務員の「職」のうち、法律に制限的に列挙される特別職に属する職以外の一切の通常の職をいう。

 特別職には、内閣総理大臣、国務大臣、裁判官及びその他の裁判所職員、国会議員、地方公共団体の長、就任について公選又は地方公共団体の議会の選挙、議決若しくは同意によることを必要とする職等の職が挙げられる。
 それを数量でみると、日本の公務員総数は、下記の通りになる。
 公務員約432万人。
 国家公務員約110万人。うち特別職約30万8千人。一般職約79万3千人。
国家公務員のうち、特定独立行政法人及び日本郵政公社(当時)の役職者を除いたもので、2003年度末予算定員。
 地方公務員約322万人。うち特別職約7万5千人。一般職約314万4千人。
地方公務員の一般職は「平成14年地方公共団体定員管理調査」により、特別職の数は「平成11年地方公務員給与の実態」による。(総務省資料)[5]

 ちなみに、平成9年8月現在の公務員数は、下記の通りである。
 国家公務員約115万6千人。
 地方公務員約328万3千人。
 比率にすると、約26%が国家公務員で、74%が地方公務員であるため、比率における経年異同は少ないが、公務員数の総数は減員された。

4 憲法にみる公務員の選定・罷免の逐条解釈
憲法15条 ?公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
 ?すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
 ?公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
 ?すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 本条は、国民主権の理念のもとにおける公務員の本質を明らかにし、公務員の選挙についての大原則を定める。

 国民主権的民主制の統治機構を規定する憲法は、その前文で以下のように記している。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」ものである。
したがって、天皇主権を規定した明治憲法における官吏の地位(大日本帝国憲法10条)とは異なり、現憲法下における公務員の地位は、今や「国民の代表者」として、究極的には国民の意思に基づくものでなければならず、また、その性格は、国民の公務員として国民「全体の奉仕者」でなければならない。本条1項及び2項は、公務員の地位についてのこの原則を明記したものである。[6]室井力・後掲書151頁

 こうして、本条1項は、主権者である国民が、公務員の任免について根源的な権能をもつことは、民主政治における国民参政の第一原理であることを宣言したものである。[7]伊藤満・後掲書131頁

 以下で、上記条文の文言に検討を加えたい。
〔1〕「公務員」とは、ここでは、広義で国または公共団体の公務に参与することを職務とする者の総称である。国家公務員法(以下、「国公法」という)および地方公務員法(以下、「地公法」という)にいう一般職および特別職の国家公務員および地方公務員はもちろん、認可法人である日本銀行の職員など準公務員といわれる者や、さらに、国会議員・地方議会の議員をも含むと解すべきであろう。狭義では、これらより狭く、各法律によってちがうが、特に、国会議員および地方議員を除く例である。

〔2〕「選定」とは、ある人を一定の地位(公務員の地位)につける行為をいう。選任というのも同じ意味である。
ここでの「選定」は、任命と選挙に大別される。任命は、単一の意志によって選定することである。たとえば、内閣総理大臣が国務大臣を任命することである(68条1項)。しかし選挙は、多数(の選挙人)の意思の合致によって選定することである。選挙人が両議院の議員を選挙し(43条以下)、地方公共団体の住民がその長や、その議会の議員を選挙する(93条)ことを指す。したがって、すべて合議体による選定は、選挙の性質を有する。憲法58条第1項は、議院がその役員を「選任」するというが、この「選任」は選挙にほかならない。国会法では、これを選挙と呼んでいる(国会法25条・27条等)。この意味からいうと、内閣や、最高裁判所も、合議体である以上、内閣の行う最高裁判所長官の指名(6条2項)や、裁判官の任命(79条1項・80条1項)、また最高裁判所が行う下級裁判所の裁判官の指名(80条1項)も、選挙の性質を備えているといえる。しかし、内閣とか、裁判所とかいうような少数の成員から成る合議体による選定は、ふつうには選挙とはいわないものと考えられる。

〔3〕「罷免」とは、公務員に対して、その意志にかかわらず、一方的にその公務員たる地位を奪うことをいう。
国民が投票により、直接に公務員を罷免することをひろくリコール(recall)という。地方自治法の定める議員や長に対する解職の請求にもとづく投票は、すなわち、リコールである。最高裁判所裁判官に対する国民の審査も、その性格を有する。
 ただし、上記公務員の選定・罷免権が保障されているとはいえ、国会議員に対する国民の罷免権は、否定される。なぜならば、日本国憲法51条で、国会議員の免責特権が認められているからである。

〔4〕「国民固有の権利」とは、国民が当然にもっているとされる権利、したがって、他人にゆずりわたすことのできない権利の意である。(英語inalienable rightの訳語であろうか)。

〔5〕3項は、あらゆる公務員の終局的任免権が国民にあるという国民主権の原理を表明したもので、かならずしも、すべての公務員を国民が直接に選定し、罷免すべきだとの意味を有するものではない。
 したがって、本項の趣旨は、すべての公務員の選定および罷免は、直接または間接に、主権者である国民の意志に依存するように、その手続が定められなくてはならないということである。[8]宮澤俊義、芦部信喜・後掲書219頁
 つまり、国民代表の府たる国会の制定する法律にもとづいて選定罷免されることを意味する。[7]伊藤満・後掲書131頁
 これは、公務員の地位が、明治憲法下の天皇の官吏から現行憲法下の国民の公務員へと転換したことを理念的に表明したものであって、公務員のすべてが国民によって直接に選定・罷免されることを必ずしも意味せず、その地位が何らかの形で究極的に国民の意思に基づくことを要求するに過ぎない。

 ここで採り上げる一般職行政公務員については、一般に、国民の意思とみなされる国会の制定する法律に委ねられ、選定罷免される。
 法律によってとくに直接の罷免の請求が認められているものとしては、先述のリコール制度を利用したうえでの、地方公共団体の長及び副知事・助役その他の役員(出納長、収入役、選挙管理委員、監査委員、公安委員)ならびに地方議会の議員が該当する。

5 公務員の人権
 公務員関係においては、【1】政治活動の自由の制限(国公法102条、地公法36条、人事院規則14-7)や、【2】労働基本権の制限(国公法98条、地公法37条、特定独立行政法人等の労働関係に関する法律17条等)が規定されている。こうした人権制約の根拠や限界についてはどのように考えるべきであろうか。

 まず、日本国憲法が「法の支配」の原理を採用し、基本的人権を基本原理とし、さらに、国会を「唯一の立法機関」と定めているので、伝統的な特別権力関係論の説く法原則は、到底そのままでは通用しえないとする立場から、公務員に用いられた特別権力関係を人権制限の根拠としては、不十分であるという批判に応え、憲法が公務員関係の存在と自律性を憲法秩序の構成要素として認めていることに求めるのが妥当であるとする説をとる。[9]芦部信喜・後掲書104頁

 それにかんしては、公務員の人権の制約根拠について、憲法が公務員関係という特別の法律関係の存在とその自律性を憲法的秩序の構成要素として認めていること(15条・73条4号)に求める見解(憲法秩序構成要素説)が、妥当であると考えられている。[10]高作正博・後掲書48頁

 公務員の人権に対する制約は、公務員関係の存立と自律性を維持するために必要かつ合理的な最小限度のものでなければならない。政党政治のもとでは、行政の中立性が保たれて初めて公務員関係の自律性が確保され、行政の継続性・安定性が維持されるといえるため、公務員の政治活動の自由及び労働基本権に対する制限は、「行政の中立性の維持」という目的を達成するため合理的な必要最小限度の規制に限られるということになる。

 近時の判例を見た場合、労働基本権の一律かつ全面的な制限も合憲であると判断し(全農林警職法事件に関する最大判。同様のものとして岩手教組学テ事件に関する最大判、全逓名古屋中郵事件に関する最大判)、政治活動の自由の制限について、【1】禁止の目的、【2】目的と禁止される政治的行為との関連性、【3】政治的行為の禁止により得られる利益と失われる利益との均衡という三点から合憲性を判断するいわゆる合理的関連性の基準を援用し現行法の規制を合憲として(猿払事件に関する最大判)、公務員の人権保障に消極的な傾向を示している。

6 日本の公務員法制の特色
1)日本国憲法が確認した国民主権下の公務員は、国民の公務員であり、かつ、国民から行政権の行使について信託・委託を受けた公務員であり、国民全体に奉仕する公僕*1である。(憲15条1項・2項)。
この憲法15条の基本的な考え方は、(1)公務員がかつての「天皇の官吏」から「国民(全体)の奉仕者」へと転換したこと、(2)政党政治下の公務員であるものの、特定の政党への奉仕を排除すること、の2点を意味する。

2)これに対し、かつての大日本帝国憲法下の官吏制度は、江戸時代からの前近代的な家長制的家産制を受け継ぎながら確立したものである。
 すなわち、初期の明治政府は、国内外の政治状況から天皇制を中心とする富国強兵政策を実現する必要に迫られ、強固な官僚機構を確立させる必要があった。しかも、この機構の根底には江戸時代からの封建的主従関係が強く支配し、さらに藩閥政治が行なわれ、国家の官職が藩閥の自由に処分できる私物のように取り扱われていた。

 しかし、上のような実態をもっていた明治政府初期の官吏制度は、明治22年(1889年)の大日本帝国憲法(明治憲法)の発布と共に法制度として一応体系化された。

3)この明治憲法下の官吏制度の特色は、(1)官吏はすべて天皇の任命大権(明治憲法10条)に基づいて任命される天皇の官吏であったこと(官吏服務規律)、(2)個々の官吏が昇進する場合にも身分的な地位そのものが目的とされたこと、(3)したがって、明治憲法下の官吏制度は純粋な契約関係ではなく、封建制度における君臣主従の関係に類していたといえること、(4)官吏と国民との関係については、官吏は政治上、法律上の責任を負う必要はなく、特権的は地位に立って、天皇の名において、国民を支配する立場にあったこと、などの点である。

4)上のような性格を有していた明治憲法下の官吏制度は、第二次世界大戦の敗戦、連合軍の占領、憲法改正など、わが国の国家制度の重大な変革によりその基盤が覆えされ、「天皇のための官吏」から「国民のための公務員」に変わったのである。

 しかし、このような法理念と法制度の根本的な転換により法制度の外形は国民主権主義に基づく公務員法制に変化したにも拘らず、それを運用する公務員は従来の官吏が引き続きその任にあったために、官僚制の体質が依然として残存していたのである。[11]
*1公僕
この「公僕」を、『新明解国語辞典』(三省堂、第6版)で引くと下記の文言となる。「〔権力を行使するのではなく〕国民に奉仕する者としての公務員の称。〔ただし実情は、理想とは程遠い〕」

7 公務員の分限と懲戒の相違
 公務員の勤務関係の性質が、行政契約による関係か、あるいは労働契約関係かという議論は措き、公務員は、「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない」(国公法96条、地公法30条)。

 これは、公務員に課せられた最も基本的で重要な義務である。
 具体的には、【1】職務専念義務(国公法101条、地公法35条)、【2】法令および上司の命令に従う義務(国公法98条1項、地公法32条)、【3】秘密を守る義務(国公法100条1項、地公法34条1項)、【4】信用と名誉を保つ義務(国公法99条、地公法33条)などであるが、ほかに、職務の公正、円滑な執行を妨げるという見地から、労働法上の権利の制限、政治的権利の制限、営利企業との関係の規制、非営利企業との関係の規制などがなされている。

 これらの義務を遂行できない状態、あるいは義務違反がある場合に問題となるのが、分限・懲戒である。
 この公務員に対する分限処分や懲戒処分が、現行公務員法上、行政処分としての典型的な裁量処分であることについては、異論のないところである。[12]

 ところで、公務員にはその職務の遂行に全力を挙げて専念することができるよう、身分保障がなされている。
 したがって、法の定める場合を除いて、その意に反して公務員としての地位を失ったり、公務員としての各種の権利を制限され、あるいは奪われることはない。

 そして、すべて職員の分限、懲戒については公正でなければならない(国公74条、地公27条)のが原則であり、職員の分限上の取り扱いに関する人事院規則においても「(国家公務員)法第二七条に定める平等取扱の原則、法第七四条に定める分限の根本基準及び、法第百八条の七の規定に違反して職員を免職し、又は降任し、その他職員に対して不利益な処分をしてはならない」(人規11−4第2条)としているのである。[13] 

 この分限も懲戒も共に、国または公共団体と公務員とからなる限定された部分社会における内部規律権の行使として行われるものである。その意味では、一般権力関係における法原理がそのまま妥当するとはいえない側面があることは否定できない。

 そこには部分社会の存立目的、すなわち公務員の職務の遂行という目的からみて合理的範囲での特殊な取扱いの可能性が予想されるからである。
 また同時に、私法上の契約あるいは労働契約関係におけると同様の側面もみられる。

8 分限の意義と性格
 分限とは、律令時代には公田、私田等の財産を遺産として分配を受ける地位あるいは限度を意味していた。[14] 

 封建時代においては知行高から転じて身分的制約の意味に用いられ、明治32年公布された文官分限令における分限の意味は、その人の資格に応じた公法上の地位、ないしはその人の身分によって受けられる法律上の利益の限度を意味していると考えられていた。

 現行公務員制度上の分限は、身分保障を前提とする公務員の身分関係の変動を意味する。
 国家公務員法は「職員は、法律又は人事院規則に定める事由でなければ、その意に反して降任され、休職され又は免職されることはない」(75条1項)と定め、公務員の身分を保障し、職員が欠格条項(38条)に該当するに至ったとき、人事院規則に定める場合を除いて当然失職する(76条)ほかは、法律または人事院規則に定める事由による場合に限り、その意に反する身分関係の変動があることを認めている。

 降任とは、現に就いている官職と同一の職種に属する下の等級の官職に任命すること、休職*2とは、公務員たる身分を留保し、一時的にその職務の担当を免ずること、免職*3とは、公務員関係を解除し、公務員としての身分を失わせるものをいう。

 職員がその意に反して降任および免職されるのは、
1)勤務実績がよくない場合
2)心身の故障のため職務の遂行に支障があり、またはこれに堪えない場合
3)その他その官職に必要な適格性を欠く場合
4)管制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合
に限られる(78条・33条の3項)。

 勤務実績がよくない場合とは、勤務評定の結果または勤務実績を判断するに足ると認められる事実に基づき、勤務実績の不良なことが明らかな場合(人規11−4第7条1項)であるが、その程度に応じた分限処分がなされるべきであり、とくに免職処分をする場合については、他の官職への配置換えや降任処分によっては目的を達せられない場合に限って認められると解すべきであろう。心身の故障のため職務の遂行に支障があり、またはこれに堪えない場合とは、任命権者が指定する医師2名によって、長期の療養もしくは休養を要する疾患、または療養もしくは休養によっても治癒し難い心身の故障があると判断され、その疾患または故障のため職務の遂行に支障があり、またはこれに堪えないことが明らかな場合(人規11−4第7条2項)であるが、免職処分については、療養もしくは休養によっても治癒し難いこと、職務の遂行が不可能であることを不可欠の要件と考えるべきであり、それに至らない場合は、休職・降任を考慮すべきであろう。

 その他その官職に必要な適格性を欠く場合とは、職員の適格性を判断するに足ると認められる事実に基づき、その官職に必要な適格性を欠くことが明らかな場合(人規11−4第7条3項)である。

 最高裁昭和48年9月14日判決(民集27巻8号925頁、『行政判例百選「第5版」1』156-7頁)によれば、当該公務員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質・能力・性格等に基因して、その職務の円滑な遂行に支障があり、また支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合を指し、適格性の有無は当該公務員の外部に表われた行動・態度に徴して判断されることになる。

 管制もしくは定員の改廃または予算の減少により廃職または過員を生じた場合で問題となるのは、いずれの職員を免職にするかという点である。勤務成績・勤務年数・その他の事実に基づき公正に判断して任命権者が定めるものとされる(人規11−47条4項)。

 しかし、これまでの行政整理の際には、一定期間職務義務を免除し、その期間満了の際に予め提出された辞職願に基づいて依願退職を行なうという特命制度による方法が多くとられていることからも明らかなように、公務員の意に反する分限免職処分は少なくとも平常時においては採るべきではない、極めて例外的な制度として理解すべきものと思われる。(村井・後掲書218頁)

 上記のように、村井龍彦は記すが、期限付き任用に関しては、判例に則すとどのような結論を導いているのだろうか、以下にそれを記す。
*2休職
 停職も休職と同様職員としての身分を保有させたまま職務に従事させない処分であるが、職員の義務違反に対して責任を問う懲戒処分の一種である点が異なる。
*3免職
 免職には、法律または人事院規則に定める事由により一方的に行なわれる分限処分と、懲戒事由に基づいて行なわれる懲戒免職のほか、公務員自身の辞職に基づく依願免職がある。ただし、人事院規則によれば、公務員自身の辞意による退職を辞職とし、職員をその意に反して退職させることを免職としている(人規8−12)。

9 解雇権濫用法理

10 日本郵政公社(大曲郵便局)事件 最高裁 平成16年3月25日第一小法廷判決[20]
〈事実の概要〉
 本件は、大曲郵便局(現・秋田県大仙市)において、郵便外務事務に従事していたX(原告・被控訴人・被上告人)が、国公法78条3号の規定に該当するとして、郵便局長であるYによって分限免職処分を受けたことに対し、同処分が違法だとしてYの訴訟継承人である日本郵政公社(被告・控訴人・上告人)に対し、本件処分の取消しを求めた事案である。
 Xは、昭和44年10月1日付けで郵政事務官に任用され、同月20日付けで大曲郵便局郵便課勤務を命ぜられ、本件免職処分を受けるまで同郵便局の郵便外務事務に従事していた。
 Xは、平成2年6月から同9年6月までの間、Yより937回にわたる指導・命令を受け、かつ131回に及ぶ注意・訓告に付された。
 さらにXは、平成6年以降、国公法82条に基づいて5回の懲戒処分を受けた。
 Yは、平成9年に国公法78条3号及び人事院規則により、Xを分限免職処分に付した。
 Xは、本件免職処分を不服として、人事院に対して不服申立てをしたところ、人事院は平成10年6月、本件分限免職処分を承認する旨の判定をした。
 1審判決及び原判決は、Xの多様な非違行為の大部分が職務命令後、懲戒処分後又は懲戒処分を承認する旨の人事院判定後には是正改善されていること等を理由に、これらの非違行為がXの「簡単に矯正することのできない持続性を有する素質等に起因するということはできない」とし、これらの是正改善された非違行為を本件免職処分の処分理由とすることは、裁量権の行使を誤った違法があるとして、本件処分を取り消す判断を下した。

〈判旨〉
 原判決破棄、1審判決取消し、請求棄却。
 (1)「国公法78条3号の『その官職に必要な適格性を欠く場合』とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解される。この意味における適格性の有無は、当該職員の外部に表れた行動、態度に徴してこれを判断すべきであり、その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして判断すべきであることはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連付けて評価すべきであり、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討した上、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連において同号該当性を判断しなければならない。」

 (2)これを本件についてみると、Xは「懲戒処分を受けても、人事院の判定が下されるまでは、当該懲戒処分の理由とされた非違行為を一向に改めようとしないばかりか」、「人事院の判定が下された後は、それまでと異なる類型の新たな非違行為を始め、懲戒処分の対象
とされなかった非違行為については頑として改めなかったというのであるから、上司の指導、職務命令に従わず、服務規律を遵守しないXの行為、態度等は、容易に矯正することのできないXの素質、性格等によるものであり、職務に円滑な遂行に支障を生ずる高度の蓋然性が認められるというべきである。そうすると、本件処分が裁量権の範囲を超え、これを濫用してされた違法なものであるということはできない」。

〈解説〉
 1 国公法78条3号は、「官職に必要な適格性を欠く場合」には、当該職員をその意に反して降任又は免職することができると定め、いわゆる適格性の欠如を認めている。
 また、人事院規則も7条3号で「法第七十八条第三号の規定により職員を降任させ、又は免職することができる場合は、職員の適格性を判断するに足ると認められる事実に基き、その官職に必要な適格性を欠くことが明らかな場合とする。」と定めている。

 この分限処分の趣旨・目的及び3号に該当する「適格性を欠く場合」の一般的判断基準は、昭和48年の長束小学校長降任処分事件によって示され(ただし地公法28条1項3号適用)、それ以降、同条3号に関する多くの事案はこの判断基準によって処理されてきた。

 本件に関しては、1審判決、原判決及び本判決のいずれも前期長束小学校長降任事件最高裁判決の判断基準を踏まえつつも、結果として最高裁は下級審とは逆の判断を示したのであって、「適格性」の有無に関する判断が容易ならざることを示している。

 2 本件における争点の1は、Xの一連の非違行為が、「簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因」する行為に該当するか否かである。
 これに対して、本件1審判決及び原判決は、懲戒処分に付された行為に限定する限り、2度と同じ非違行為に及んでいないのであるから、「簡単に矯正することのできない持続性を有する素質」等に基因するものとはいえないと判断しており、本件処分を取り消す判断をとった。
 これに対して最高裁は、懲戒処分が人事院判定によって承認された後は、Xが同一の非違行為に及んでいないという事実を「懲戒処分を受けても、人事院の判定が下されるまでは、当該懲戒処分の理由とされた非違行為を一向に改めようとしない」態度と評価し、かつ「人事院の判定が下された後は、それまでと異なる新たな非違行為を始め」る等のXの態度をもって、一連の非違行為を「容易に矯正することのできないXの素質、性格等」に基因するものと判断した。

 すなわち最高裁は、Xの長期間にわたる多種多様な非違行為が繰り返されている事実を重視したものといえよう。
 争点の2は、Xの非違行為が職務の円滑な遂行にどの程度の支障を及ぼしたかである。
 それに関して、長束小学校長降任処分事件最高裁判決によれば、「適格性を欠く場合」とは、前期のような職員の行為により、「その職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合」をいうものと解されている。

 本判決は、当該職員の業務に直接支障を及ぼさない職場規律違反についても、それが繰り返されるならば「職務の円滑な遂行に支障を生ずる高度の蓋然性がある」と認めたことを意味する。

 3 本判決の意義のひとつに、非違行為を繰り返す職員に対して分限処分を課し得ることを明確に肯定していることを挙げることができる。
 本判決は、長束小学校長降任処分事件最高裁判決以降の下級審判例等を踏まえ、懲戒処分を課せられたにもかかわらず繰り返される非違行為につき、容易に矯正することのできない持続性を有する素質、性格等を基因として採用するとの判断を示した。
 これは、一定の条件の下において懲戒事由が分限事由に転化することを肯定するものといえよう。

【参考文献】
[1]大久保喬樹『見出された「日本」 ロチからレヴィ=ストロースまで』(平凡社、2001年)
p.163、p.199、p.202
[2]田村正勝『社会科学原論講義』(早稲田大学出版部、2007年)p.120
[3]水町勇一郎『労働法〔第2版〕』(有斐閣、2008年)p.3
[4]クロード・レヴィ=ストロース日本講演集『構造・神話・労働』大橋保夫編(みすず書房、1979年)p.88、p.106
[5]人事院『平成14年次報告書』(2003年7月)
[6]有倉遼吉編『判例コンメンタール1 憲法?』(三省堂、1977年)第15条担当 室井力
[7]伊藤満『逐条憲法特講[上]』(有信堂、1975年)
[8]宮澤俊義著・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社、1978 年第2版)
[9]芦部信喜『憲法』新版(岩波書店、1999年)
[10]後藤光男・猪股弘貴編著『憲法』(敬文堂、1999年)第3章人権総論 高作正博
[11]雄川一郎・塩野宏・園部逸夫編『現代行政法大系』第9巻 田中舘照橘「公務員法総説」(昭59年、有斐閣)4-6頁
[12] 室井力『公務員の権利と法』(昭53年、勁草書房)266頁
[13] 雄川一郎・塩野宏・園部逸夫編『現代行政法大系』第9巻 村井龍彦「公務員の分限・懲戒」(昭59年、有斐閣)215-216頁
[14]佐藤英善『概説・論点・図表 地方公務員法』(平成2年、敬文堂)67頁
[15]塩野宏・菅野和夫・田中舘照橘編『公務員判例百選』古城誠「公務員の期限付任用」(昭和61年、有斐閣)20頁
[16]『行政判例百選1「第5版」』(有斐閣、2006年)
[17]鵜飼信成『公務員法』〔新版〕(有斐閣、1986年)288頁
 懲戒処分は、公務員の義務違反に対して、その使用者である国家が、公務員法上の秩序を維持するため、使用者として行なう制裁である。(中略)
 これらの組織体内部の懲戒は、同一の、あるいは同種類ではあるけれども、一層重大な、違法行為に対する、刑罰の制裁とは区別されなければならぬ。
[18]阿部泰隆『行政裁量と行政救済』(三省堂、1987年)
*比例原則、上掲書178頁
 比例原則とは分限事由・懲戒事由の存する場合にいかなる種類の処分を選択すべきかについて、事由と処分の間の均衡を要求する原則である。
上掲書180頁
 免職処分と免職に至らない他の処分との間を区別して、比例原則は主としては前者にのみ適用するという取扱いが合理的と思う。
[19]田村悦一『行政訴訟における国民の権利保護』(有斐閣、1975年)127頁
 瑕疵なき裁量行使を請求する権利が手続的にのみ構成されるのと同様に、行政手続の内容が多少とも裁量に委ねられている領域では、その手続の公正を要求するという具体的請求権はない。ここでは、公正な手続の内容自体を争うというよりは、むしろその行政の権限行使の方法にむけられたものであるに過ぎない。
[20]『ジュリスト』(No.1291)2005.6.10清水敏
 長束小学校長降任処分事件
〈判旨〉
 地公法28条所定の分限処分は、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的から同条に定めるような処分権限を任命権者に認めるとともに、分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限処分の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤った違法のものであることを免れないというべきである。