町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

立教大学 経済学部「マーケティング論」課題リポート大学での活動

2000.10.01(日)

機関:立教大学 経済学部専門教育科目
学科目:「マーケティング論」
開講学期[単位数]:2000年度 通年[4単位]
担当:有馬 賢治 教授(経営学部 経営学科)
課題図書:門川 義彦(立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科 兼任講師)『笑顔のチカラ』(みらい出版)

1.始めに
まず始めに、先生に御礼を申し上げます。なぜなら授業の課題でこの書物を指定されなければ、おそらく本書を読むことは絶対になかったと思うからです。得るものが多く、私にとっては大変に有意義な本でした。

2.著者門川氏の授業での印象を含めて、『笑顔のチカラ』を通読して得た感想
 教室にいらっしゃった門川氏に関して最も印象に残っていることは、受け答えの際、必ず始めに「はい」と仰有ることでした。それも少し過剰とも思えるほどに強く、「はい」と仰有っていました。そのときはまだ本書を読んではいなかったので、少なからぬ違和感を覚えたものですが、本書を通読して、門川氏がそうしていた理由を素直に納得することが出来ました。

 つまり、本書p.165にあるように「はい」という言葉には、本来年齢に関係なく、周囲の人を明るくし、自分自身も明るくする三つの不思議な効用があるために、あれほどまでに強調した「はい」を必ず仰有っていたのでした。

 たしかに門川氏の指摘するように、「はい」の後にはネガティヴな言葉は続きませんし、自分の経験からも素直に納得できますが、「はい」を繰り返すことによって、自然と気分が高揚してきます。
 そして「はい」と発音することで、笑顔になりやすくなります。考えるまでもなく、世にこれほど便利な言葉はそうそうあるわけではありません。

 けれどそれを知っていながら、長じて後なかなか使わなくなってしまう人が多いのは、実にもったいないことです。私もこれからは意識的に「はい」を多用して、円滑なコミュニケーションを図りたいと念じた次第です。

 以下、紙数の関係から本書第1章のみを仔細に見ていきます。

 顔の中でどうしても嘘をつけないのが、「目」という指摘。これはみな実感として理解していることです。
 ただ、目の中の瞳孔の部分が嘘をつけない、とは知りませんでした。

 つまり、瞳孔の大きさが人の気持ちの変化を素直に表してしまうのです。そして瞳孔が開いている時のほうが、人は魅力的に見えるという実験結果に至って、我々は目の輝きや眼差しの重要さに改めて気づかされるのです。

 そこから一歩歩みを進めて、お互いの目を見て気持ちを伝え合う、アイコンタクトによるコミュニケーションを著者は奨励しています。なぜならどんなに素晴らしい笑顔でも、アイコンタクトのない笑顔は単なる笑いでしかないと、著者は指摘しているのですから。

 しかし通常の日本人にとってはこの、お互いの目を見つめ合うアイコンタクトが苦手です。私が幼少の頃受けた教育で常々言われたことに、「相手の目を見つめるのは失礼だから、口元を見つめなさい」という教えがありました。

 たしかに恋人同士でもなければ、二人の日本人が向き合って座った際に、会話の間中ずっと相手の目を見続けるというのは不自然です。適当に目を合わせたり、逸らせたりしながら、肝心のときにのみ相手の目を見つめるというのが、日本人の会話における通常の目の動きでしょう。

 それが証拠に小津安二郎の映画に象徴されるように、そこに登場する人物は往々にして向き合うことなく会話を交わしています。つまり、恰も自動車のリアシートに座っているかのように、小津映画の登場人物は二人並んで座り、決して目を合わそうとはしないのです。正確を期して言えば、敢えて目と目を合わさないようにわざと二人は並んで座るのです。
 それは、日本人における会話の目的にも合致しています。

 つまり、欧米人における会話は多くの場合、違いを先ず明らかにして、その後双方が歩み寄れる妥協点を見出す作業であるのに比して、日本人はお互いの言葉の端々から相手の考えていることを察し、一致点を見出すことに会話の主眼が置かれているからです。

 その際最も留意しなければならないのは、直接的な言葉によって相手の思いを引き出すのではなく、飽くまでも相手の思っていることを”察する”ことです。

 そのためには相手の視線が邪魔になります。上述したように目は嘘をつかないのですから、たとえ相手が心にもないことを言って、それが「目」に現れても、目を見ていなければ、嘘とは明確化されません。

 こうして敢えて相手の目を見ないことによって、相手の思いを忖度し、落とし所を探るのです。
 いわゆる腹芸というものです。こうして従来の日本人はアイコンタクトをせずに会話を成立させていました。

 しかしこの形態での会話は、お互いが同じ土俵に上がっているという仮定のうえでのみ成立します。

 ですから、現今のように世代間や所属集団等の様々な局面において、divideされてしまった日本ではなかなか通用しにくい会話形態なのかも知れません。

 まして21世紀に入れば、より多くの分野でグロウバリゼイションが促進されることは必至です。

 ならば我々も、「コミュニケーションの第一歩はアイコンタクトから」と念じつつ、相手の目を見つめなければならなくなるでしょう。これが本書を通読して得た最も大きな収穫でした。