町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

慶應義塾大学 文学部専門教育科目「フランス文学概説」大学での活動

2019.08.03(土)

箇所:慶應義塾大学 文学部専門教育科目【通信授業】
科目:「フランス文学概説」[3単位]
問題:➀教科書第1部第1章「恋愛の諸相」の解説を踏まえて、1つまたは複数の作品を読んで論じなさい。

「フランス文学概説」

選択した設問番号1 採り上げた作品『クレーヴの奥方』青柳瑞穂、永田千奈訳

【章立て】

1、「有名な「告白」」を通じてわかった「自意識過剰」小説

1-1、「告白」の場面

1-2、実際にみる「告白」

2、どのように「告白」されているのだろうか

2-1、「何んとも言」わない告白

2-2、「これからあたしがしようとしている告白」

2-3、過剰なる自意識とそれへの対応

1、「有名な「告白」」を通じてわかった「自意識過剰」小説

 『クレーヴの奥方』においてクライマックスを形成させているといわれる、クレーヴ夫人による夫のクレーヴ公への告白のシーンを、青柳瑞穂訳の『クレーヴの奥方』[1]では、註の(16)として、次のようにしるしている。

「有名な「告白」である」[2]

 なるほど、このようにしるされると、その「有名な「告白」」とは、一体にどのようになされたものであったのか、興味はいや増さる。

 そこでこの、「有名な「告白」」への考察をおこなったところ、『クレーヴの奥方』という作品は、評者にとって「自意識過剰小説」と読むことができたので、その考察をもって本レポートとしたい。

1-1、「告白」の場面

 その「告白」にいたる過程は、次のようにしるされている。

道に迷ったヌムール公が偶然見つけた城館の離れで、クレーヴ夫妻が庭園から歩いてくるのが目に入り、予想外の展開に驚いたヌムール公は、思わず小部屋に身を隠すと、それを知らないクレーヴ夫妻は離れに腰を落ち着けてしまう。ヌムール公は、このままクレーヴ夫人の姿を眺めていたいと思ったし、それ以上に、夫妻でどんな話を交わしているのかを聞いてみたい欲望を抑えられかねず、花壇に面した小部屋に身をひそめ、耳をそばだてていると聞こえてきたクレーヴ夫人のことばが、先程指摘した、註として挙げられている「告白」だというのである。

1-2、実際にみる「告白」

 その告白を、青柳瑞穂訳で実際にあたってみるため、少し長くなるが新潮文庫の141頁以降より、引用する。

「あなたは何んとも言いませんね。」彼は語をついだ。「それでは私の考えが間違っていないと言うようなものですよ。」

「ほんとにそうなんですわ。」彼女(クレーヴ夫人)は夫の膝に身を投げながら答えた。「これからあたしがしようとしている告白は、これまで世の妻が自分の夫にしたこともないような告白です。それというのも、あたしの行為も意図も潔白であることが、あたしに告白する勇気を与えてくれるからです。あたしが宮中から遠ざかっている理由のあるのは本当ですし、また、あたしのような年頃の女たちがときどき見舞われる危険をさけようとしているのも本当です。これまで、あたしは自分の弱味をにぎられたことなどただの一度もありませんでした。それに、宮廷生活から遠ざかることをあなたさえ許してくださるか、それとも、母が生きていて、指導してくださったとすれば、今後とてそんな心配はなかろうと思います。宮廷生活から遠ざかろうとする決心がどんなに有害なものであったにしても、あたしは何時までもあなたにふさわしい妻でありたいために、よろこんでこの決心をします。あたしのこんな気持が不愉快だというのなら、あたしはいくらでもあやまりましょう。気持はともかく、少くとも、行為の上では、あたしはあなたに不愉快な思いなどさせないつもりです。あたしがこんな言いにくいことをいうのも、夫に対しては、どんな人々よりも親愛と尊敬の念を持つことが必要だからということをお考えください。どうぞ、あたしを可哀想だと思って、みちびいてください。そして、出来たら、今までどおり愛してください。」というこれらのせりふが、クレーヴ夫人による「告白」だというのである。

 ちなみに、夫人によるこの「告白」をきいたクレーヴ公は、「両手で頭をかかえたなりで、ぽかんとしていた」のであり、この告白がもとで、クレーヴ公は遂には、死に至る。

2、どのように「告白」されているのだろうか

 評者はこの部分を読んだとき、註があったため、これら一連のシーンで「告白」がなされたのだと認識できたものの、註がなければ到底「告白」があったとは理解することはできなかった。

 この、クレーヴ夫人による「勇気」をもってなされた告白を、評者とおなじように、クレーヴ公も理解することがなかったならば、クレーヴ公は死に至ることもなかっただろうに。けれどクレーヴ公は、妻が「勇気を出して申し上げ」[3]た内容を理解してしまったのである。

2-1、「何んとも言」わない告白

 興味深いのは、この「告白」が「あなたは何んとも言いませんね」というように、なによりも無言からはじまっている、ことである。

 あらためて、「告白」を『広辞苑』[4]にあたると、次のようにしるしている。「➀心の中に思っていたことや隠していたことをうちあけること。また、そのことば」。

 この語釈のように、告白に「ことば」は必要欠くべからざるものである。にもかかわらず、この場面における告白は、「何んとも言」わずになされるのである。「心の中におもっていたことや隠していたことをうちあけ」ては、いないのである。

 夫人の無言によって、クレーヴ公は「私の考えが間違っていないと言うようなものですよ」というように、夫人が心の中に隠していることを悟ってしまうのである。

2-2、「これからあたしがしようとしている告白」

 表題のようにクレーヴ夫人がいったのであるから、それを受けて、どのような告白が夫人の口から発せられるのだろうかと固唾を呑みながら読み進めると、クレーヴ夫人は次のように発言をする。以下は、永田千奈訳によってその部分を紹介する。

「私が宮廷から遠ざかろうとしているのには、訳があります。私のような年齢の女性が陥りがちな危険を避けたいからです。私は一度も付け込まれるような隙は見せてはおりません」[5]というものであるが、これを告白というのであれば、それを聞く者にとってはきわめて分かりにくい告白といえるのではないだろうか。先述のように、評者ははじめてこの部分を読んだとき、この発言のどこが「告白」なのか、わからなかったほどである。なかんずくクレーヴ夫人は、「私は一度も付け込まれるような隙は見せてはおりません」とまで言い切っているではないか。不貞はなかったのである。これを素直に聞けば、どうしてクレーヴ公が、「両手で頭をかかえたなりで、ぽかんとして」しまうのか、理解しかねようというものである。

 この場面を青柳瑞穂訳でみると、ますます、分かり難くなってしまう。先の引用文にあるように、「あたしが宮中から遠ざかっている理由のあるのは本当ですし、また、あたしのような年頃の女たちがときどき見舞われる危険をさけようとしているのも本当です。これまで、あたしは自分の弱味をにぎられたことなどただの一度もありませんでした」というのである。このような告白を妻から聞かされれば、大概の夫であれば、むしろ妻の不貞を疑う労苦から解放され、安心してしまうのではないだろうか。

 その上で、「あなたは妻が夫に示し得る最大の貞節の証しを見せてくれた」[6]とまでクレーヴ公にいわせるのである。こうしてクレーヴ公は、妻の貞節を知りつつ自分が妻の恋の対象ではないことを自覚し、煩悶することになるのである。

2-3、過剰なる自意識とそれへの対応

 こうして当作品は、こんにちのわれわれからすると、時代の推移にともなう世相の違いを超えて、「恋」によって生ずる恥じらいや臆病さをおおいに強調しているところに特徴があるものと考える。だからこそ、いくら時代が変わろうとも変わらない、恋心を抱くことによって生じる純情に訴えるところが大きく、当作品は現代にまで生き残ることができたのではないだろうか。

 それを通じて読み取れるのは、「告白」の際にみられる過剰なまでの自意識である。それを過剰と思わず、あまりにも純朴に受け止めてしまうクレーヴ公の対応は、こんにちのわれわれからすると奇異の感を抱かせるが、「恋」に真摯に向き合うと、このような対応をとることが、宜なるものなのかもしれない。

【総字数】3,274字              


[1] 新潮文庫、昭和52年33刷。

[2] 前掲書・233頁。

[3] 『クレーヴの奥方』永田千奈訳(光文社、2016年)191頁。

[4] 岩波書店、第七版

[5] 上掲書・191頁。

[6] 『クレーヴの奥方』青柳瑞穂訳143頁。